【言志耋録 50条より】
端坐(たんざ)して
内省し
心の工夫を做(な)すには
宜しく先(ま)ず
自ら其の主宰を認とむべきなり
省する者は我れか
省せらるる者は我れか
心は固(も)と
我れにして
軀(み)も亦た我れなるに
此の言を為す者は
果して誰(たれ)か
是れを之れ自省と謂う
自省の極は
乃(すなわ)ち霊光(れいこう)の
真の我れたるを見る
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きちんと坐って
内心をかえりみ
心の修養をするには
まず
自ら自己の本体を
認識しなければならない
「内省するのも自己であるのか。
それとも内省されるものが
自己であるのか。
心はもとより自己であり
肉体もまた自己であるのに
この言葉を発する主体は
果して誰であるのか」
と。
こうするのを
自己反省というのである
このような
自己反省の窮極に至って
霊妙な良心の光が
真の自己である事を
知るに至るのである
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あなたは
内省し
良心に従うことで
真の自己が
仮の自分の人欲に克ちます