前回からかなりあいてしまいましたが。


これが2月18〜19日のことで、

それから青森に行き、2月28日まで青森滞在。

実家に帰るのも3年以上ぶりという、、

前回に実家に帰ったのが、コロナ蔓延直前の1月末〜2月はじめにかけて。

その後イギリスはどえらいことになり、それからは帰国できてなかったから、日本自体が久しぶりなうえ、実家はそれに輪をかけて久しぶりだったのでした。

そのどえらい期間、個人的大変化があり…

というのも、イギリスから出られなかったから、イギリス国内を巡りまくり、まるでチェックポイントのように、歴史的建造物に加えあらゆる教会、大聖堂を訪れ。
(ある意味、宗教関連施設も歴史的建造物といえるかも)

イギリスからなんの制約もなく出られるようになってからは(去年の話)、

デンマーク

ノルウェー

アイルランド

ポーランド

オーストリア

スロヴァキア

フランス

ハンガリー(大好き)

に行くことができ、そこでも教会&大聖堂巡りまくり。

4年半のイギリス滞在中、イギリス中を巡り、ヨーロッパ中を旅してきて…

コロナ前は、日本から行ったのも含めると、

渡英前:香港、トルコ、グアム、タイ、マルタ、ポルトガル、ウズベキスタン  

渡英後コロナ前:ギリシャ(ロードス島、クレタ島、アテネ)、イスラエル、パレスチナ、ルーマニア、スペイン、モロッコ

こんな感じだったけど、どこ行ってもメインで見るのは宗教関連。

マルタのなんだかわからないレベルの古代の巨石文化含め。絶対巨石文明時代はあったよね。もちろん日本にも。
それも宗教と連動してる。

結局今のところの人類史とは、宗教史と言い換えてもいいくらい。

人類から宗教取ったらむしろ何が残るんだか…
思考と宗教って本来は切り離せないものだから(教祖にすべてを委ねるタイプのは別モノだと思われ。というか、真逆の存在だと思う。そう思うと宗教ってちゃんと定義されてない気が)、思考をしなくなったときに宗教もなくなるのかもね。

千年後くらいか?



と、話がそれたけど。

実は日本のことがなんもわからないことを痛感するようなって。

ヨーロッパを巡りながら、日本の古代にもめちゃくちゃ興味を持つようになった。

中でももっともわからないのが、地元青森の古代。

何回も書いてるけど、日本史はどうにもしっくりこなくて、学べない。

もしかしたら、『蝦夷の血』がそうさせるのか?なんて思ってみたりして完全に現実逃避😂

どっからどう見ても東北は『大和系』にやられてるわけで。

その『大和』を遡れるだけ遡ってみると、まぁ現行の日本史がどうしてもやりたくないのが我ながらよくわかる。

ならば…

『蝦夷の血』だと開き直って、青森と向き合ってみようかなと思うようになったのが、イギリス時代の話。

縄文まで遡っちゃうとなんだかわかんなくなるから、そこはロマンとしておいといて。
(そんな平和な時代があったのだと思えるだけでもいい気がする)

ということで、

3年ぶりの青森は、可能な限り神社に行きまくってきたぜー!!!

親の運転で笑

身近なものほどわからんもので、親もここにこんなのが!と驚きの連発。

あまりにもたくさん行ったので、全部紹介しきれるかわかんないけどw

まず、どうしても行きたかった、

『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』

が発見された町の神社。















今回思ったのが、雪と神社神社って相性いいなぁと。

なんか厳かというか、神秘的になるというか。

容赦なく埋まるけどね🤣🤣
  
赤と白のコントラストが美しさを際立たせてる感じ✨

『東日流外三郡誌』については、偽書ということになってるけど、全部が全部そうじゃないんじゃないかなぁと。

ってかまぁそもそも、記紀に合わないと偽書だよね。

不都合な真実は、知られないほうがよいこともある!

的な。


ちなみに、大日様の奥に雪で行けなかったけど、あとからしらべたら、坂上田村麻呂とのこと。

今回の旅でつくづく思ったけど、青森の中が坂上田村麻呂すぎる。
(変な日本語)

いいとか悪いとかでなく、あぁつくづく被支配側だったんだなぁと思う次第。
坂上田村麻呂がいいとか悪いとか、どうこうではなくね。

国というものをまとめ上げていくには、時には強権でいく必要があるのは当然だし。

ただまぁ、そうやって混ざり合ってるところから、古代青森につながるなんかがあれば面白いなぁと思う。


ということで、10日にわたる青森滞在。

知らない青森にたくさん出会えたので、書けるぶん書いていきたいと思います筋肉