THE・GAZIRA/SAT・2024「研究発表会」について | 演劇企画集団THE・ガジラ 鐘下私塾

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演劇企画集団 THE・ガジラ 年間ワークショップ。

これは今回のテキストである『紙風船』の作者である岸田國士の言葉である。

 

要するに「演出家」の意図に従つて動作し、与へられた「台詞」を忠実に暗誦すれば、先づよいとされてゐた。俳優の素質及び才能(については)……舞台度胸のある素人が、意外な賞讃を浴び……歌舞伎乃至新派劇畑の俳優が、何等「新劇的」教養なくして新劇の舞台に立ち、これが、現代劇もこなせる俳優といふ折紙をつけられる有様……遂に「新劇」は演劇としての「生命」を希薄にし、やがて、演出家がゐなければどんな芝居もできない俳優を作り上げ、その演出家さへ、今になつて、役者がへたで芝居がやれぬと云ひ出した。

 

 日本における本格的な近代劇運動の牙城として築地小劇場が開場したのが1924年(大正13年)というから今年でちょうど100年になるが、この岸田の苦言は、その築地小劇場が開場して10年後の言である。因みに、岸田國士は、文学座の創設者ということもあり大方の人は「新劇の人」というイメージを抱くかもしれないが、実はこの岸田こそ、日本の新劇を批判し続けた演劇人はいない。それも孤軍奮闘的にである。

 

――革新によって生まれた一つの演劇様式が、在来の伝統劇に対して、近代劇の名を附せられることは、その根本に於て著しい誤りを含んでゐる。

――(築地小劇場は)博覧会場流の「見せるための実験」に終始し、決して、実験者自身のための実験をなし遂げてゐない……誰でもが、気まぐれに行ひ得る程度の実験に満足した。

――演劇の本質に対し、あまりに無関心であり、あまりに、認識を欠いてゐた。

 

 これら岸田の新劇批判は枚挙にいとまがない。巷では「築地小劇場から100年」と称し演劇雑誌などで特集が組まれたり、いたるところでシンポジウム等も行われ、この100年の歴史を振りかえっているようだが、この件について私が思うのは、この100年、私たち「演劇人はなにをしていたのか?」という問いである。日本の新劇に対する数多くの岸田の批判は、そのまま現在の演劇界にも言えるのはもちろん、実はこの100年で、当時よりも事態はより深刻化しているのではないか、と私には思われるからである。そしてその岸田が、その近代劇発足当初から常々言い続けていたのが、俳優教育の“重要”であった。

 

 これまで『紙風船』は、ガジラWSでは、最終公演へ向けた “中間発表” のテキストとして使用してきた。それは演劇作品の上演というより、あくまで、俳優の「対話のためのテキスト」、いわゆる教材的な使用であった。それがなぜ今回は最終公演としたのかその意図についてはみなさんにご想像いただくとして、これを演劇作品として上演(研究発表)するため、私たちはこの4月からの約2ヶ月間、テキスト上演のために本格的に取り組んできた。戯曲読解はもちろん、当時の時代背景や作家論(先に記したような岸田の演劇観)にまで踏み込み、この『紙風船』の演劇的本質や魅力を思考し続けてきた。今回はその集大成である。因みに私は今回、具体的なミザンスや個々の台詞の物言いに関しての指示は一切していない。そもそもこれも厳密に言えば、ミザンスなどに象徴される「形にする」作業は本来演出家の主な仕事ではないのである。なので今回みなさんが目撃するのは、俳優自身が、戯曲読解や作家論を踏まえた上で、このテキストを俳優それぞれが研究し、俳優それぞれが思考し悩み、それを元に、観ている人たちに「何かを伝えようと」、最終的に俳優自身が形象化したものである。これはスタニスラフスキーも言っていることだが、演劇において重要なのは「俳優の能動性」であり、そもそも近代演劇というものは本来それがなくては成立し得ないものである。岸田が固執したのもそれであった。だから、

――「演出家」の意図に従つて動作し、与へられた「台詞」を忠実に暗誦すれば、先づよいとされてゐた。

こうした日本の新劇界の風潮を批判し続けたのである。

 

 私は先に、近代劇発足10年の際に吐かれた岸田の苦言は、100年を経たことで、解消されるどころかより深刻化しているのではないかと記したが、こと俳優の演技についての私見を一つだけ言っておけば、今、巷間で行われている俳優の演技の大半は、それこそ生成AIで代替可能だと思われる(もちろんそうではない俳優もいる)。これはAIの脅威論では決してない。一時期、「アンドロイドは人間を超えられるか否か」が話題になった時があったが、問題は、私に言わせれば人間がアンドロイド化しているのであって、それはAI問題についても同じである。要はこの100年で、人間は単純化(というより矮小化)してしまっているのである(アンドロイドが人間の単純化とは一概には言えないが)。

 岸田は「紙風船」が書かれた、まさに同時期、「演劇一般講座」と題した演劇論を展開しているが、その中で、こう記している。

 

日本の現代劇は、演出の根本を写実に置き、その完成から出発しても決して遅くはない。徒らに様式の奇に走るのは、却つて舞台の生命を稀薄にするものであります。

(これも多くの現代演劇人には耳の痛い言葉ではないだろうか?)

日本に於ける「明日の演劇」は、或は西洋に於ける「昨日の演劇」であつてもかまはない……要するに、われわれは、いろいろな意味での新しい演劇――新日本の現代劇を作るために、面倒でも、もう一度基礎工事をしなければならないのです。

 

 今回の発表会は、岸田の言を借りれば、それぞれの俳優たちがそれぞれの演技を「基礎工事」をした結果でもある。

 

 最後に、今回は長時間となりますが、私たちの成果に対しお付き合いいただき、本当にありがとうございます。

 

                                    2024/06/22 鐘下辰男

 

【引用文献】

『戯曲の生命と演劇美』「文学第二巻第四号」1934(昭和9)年4月1日

『純粋演劇の問題――わが新劇壇に寄す――』「新潮第三十年第二号」1933(昭和8)年2月1日

『演劇講座-演劇論』(文藝春秋社編)大正13年(1924)9月(1号~翌年5月12号)

大正15年(1926)「演劇一般講座」と題して『我等の劇場』収録。