こんばんは、はるとです。
きょうも、ひとりぶんの転職の話をさせてください。
思い出したのは、32歳の女性のこと。
自治体の窓口で働いていた人です。
彼女には、いつのまにかついた癖がありました。
自動ドアが開く音がするたびに、顔を上げて確認する。
似た服装の人が入ってくると、心臓が跳ねる。
その繰り返しでした。
窓口には、いろんな事情の人が来ます。
住民票。
戸籍。
保険。
税金。
手続きが分からない人。
家族を亡くしたばかりの人。
生活に不安がある人。
できるだけ丁寧に説明しよう。
そう思って続けてきたと言っていました。
来る人の多くは、普通に話を聞いてくれます。
ありがとう、と言って帰る人もいる。
家族を亡くした手続きに来た高齢の男性が、
書き方が分からなくて、同じ記入欄で何度も手が止まってしまっていたそうです。
彼女は隣に座って、一緒に埋めました。
手続きを終えた男性は、帰りぎわに小さくお辞儀をして、こう言ったそうです。
「今日、初めて人とちゃんと話した」
その日のことを、彼女はいまでも覚えていました。
この仕事が好きだった、と。
でも、ときどき、そうではない人が来ます。
制度上できないことを求められる。
待ち時間が長いと、怒鳴られる。
本人確認の書類が必要だと説明すると、こう言われる。
「役所のくせに、偉そうにするな」
制度を決めたのは、彼女ではありません。
それでも、その日の怒りをまるごと受け取るのは、窓口に座っている人なんです。
ある男性が、毎週のように来るようになりました。
望んだとおりの処理ができないと納得せず、1時間を超えても窓口から動かない。
「税金で食ってるんだろ」
「お前らは、市民の奴隷だ」
「名前は覚えたからな」
彼女は、上司に助けを求めました。
返ってきたのは、この言葉です。
「もう少し、話を聞いてあげて」
「苦情になったら大変だから」
上司が窓口に出てくることは、ありませんでした。
やがてその男性は、彼女を名指しするようになります。
彼女が休みの日にも来て、あの人を出せと言う。
電話もかかってくる。
ある日、男性がスマートフォンを彼女に向けました。
「お前の対応を撮影して、ネットに出す」
彼女は、上司を呼びました。
上司は出てきましたが、強くは言いませんでした。
まあまあ落ち着いて、と繰り返しただけ。
そして彼女に、小声でこう言ったそうです。
「刺激しないで」
男性は、その日2時間近く居座りました。
帰り際に、こう言ったと言います。
「帰り道、気をつけろよ」
彼女は、そのまま上司に報告しました。
返ってきたのは、この一言でした。
「本気で言ったわけじゃないと思うよ」
この頃にはもう、休みの日でさえ気を抜けなくなっていました。
スーパーで似た背格好の人を見ると、通路を変える。
市の名前がついた封筒を見るだけで、肩が上がる。
日曜の夜は、眠りにつくまで何時間もかかったと言いました。
面談に来たとき、彼女の第一声は、謝罪に近い言葉でした。
「こんなことで辞めたいなんて、甘いでしょうか」
周りには、こう言われていたそうです。
公務員なんだから、恵まれている。
民間はもっと厳しい。
安定を捨てるなんて、もったいない。
——ここが、いちばんの山でした。
私は、ひとつだけ聞きました。
「その安定は、あなたを守ってくれましたか」
彼女は、答えませんでした。
安定という言葉は、便利です。
つぶれない。
給料が遅れない。
定年まで働ける。
たしかに、それは事実なんです。
でも、その安定が守っているのは雇用であって、
そこに座っている人の心と体ではないことがあります。
「帰り道、気をつけろよ」と言われた人に、刺激しないでと返す組織。
それは安定していても、安全ではありません。
「もったいないと言う人は、あなたの代わりに窓口には座りません」
私は、そう伝えました。
彼女が次に選んだのは、民間の会社の事務でした。
保険の手続きを扱う部署です。
窓口で覚えた制度の知識と、怒っている人の話を最後まで聞ける力は、そのまま評価されました。
ただ、年収は下がりました。
少しではなく、はっきり下がったそうです。
賞与も、退職金の見込みも、前のほうが良かった。
辞めると伝えたとき、周りの反応は割れたと言います。
同期のひとりは「もったいない」と。
でも、同じ窓口にいた先輩は、こう言ったそうです。
「よく決めたね。私は言えなかった」
入って数か月経った頃、彼女はこう言っていました。
「ドアの音で、顔を上げなくなりました」
いま、恵まれているはずなのに、しんどい、あなたへ。
条件のいい職場でしんどいと感じる自分を、責めないであげてくださいね。
給料や休みの数は、あなたが受け取っている扱いの、ほんの一部でしかありません。
守ってもらえない場所に居続けることは、安定ではなく、ただのすり減りです。
もったいない、と言う人は、あなたの代わりに座ってはくれませんよ。
では、また明日。
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【今日のブログのおまけ】
「安定の中身を数える」考え方は、私が本業で運営しているサイトにまとめています。
元面接官として、転職サービスを実名で辛口レビューしています。
よかったら、のぞいてみてくださいね。
・公務員から民間に移れるのか分からない人は
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