スキーは1回流れたので前になってしまったが、3月12日のマジ疲れたスキーの続きを書こうと思う。
それは途中まで書いてあったが、疲れて書けなかったある「事件」のこと。
その日はいつもの先輩と後輩と僕の3人で、集合場所までそれぞれの車で来てから僕の車で木曽福島スキー場に行った。
多分その日の6本目で、木曽福島スキー場の一番上のコースに行った。
この時点で11時半くらいなので、これでレストハウスまで降りて昼食にしようかと考えていた。
木曽福島の一番上のコースはペアリフトで登って降り口すぐがやや急こう配、その後に中間になだらかなところがあって、そこで右にカーブしてその下のクワッドリフトの降り場までまた上と同じくらいの勾配の斜面を下っていく。
なので見通しのいい時は一気にクワッドリフトの降り場まで降りて、次をどうするかみんなで相談するのだが、その時は雪もかなり降っていてガスもでて見通しが悪いので、中間のなだらかなところの最後で待ってから、最後の斜面を降りていた。
順番は最初に飛ばす僕が先に出て、次が後輩、そして最後はじっくりと安全に滑る先輩がおりていく。
それはいつも俺と後輩はとりあえずバカで気持ちの良さを追求するので先に行き、後から来る先輩を待つというのがパターン。
その時も下に降りて、そこで後輩と二人で先輩を待った。
ところがたいして長い斜面でないのになかなか来ない。
普段は見通せる斜面も雪とガスで視界が悪くコースの下の方しか見えない。
そのうち他の人も降りてきたが、あいかわらず先輩の姿が見えない。
あー、こりゃ重たい雪にとられて転倒したかな?先輩にしては珍しいなと思った。
それからもかなり待ったのだが、なかなか来ない。
板が外れて行方不明なのか?それか谷に落ちたのか?怪我して動けないのか?とかだんだん不安になって、俺か後輩がまたリフトで上がって状況を見ようかと思ったほど。
すると下ってくる人影が見えたが、先輩の黒いヘルメットでなく白いヘルメットだし、滑り方がぎこちないので滑りを見慣れた先輩じゃないと思った。
でも近づいてきたら先輩だった。
ゴーグルは外れ、全身雪まみれで、白く見えたヘルメットは黒いヘルメットに雪が付着して白く見えたのだった。
大丈夫ですか~?って笑って、雪をはらってあげるとなんか様子がおかしい。
そして下を向いて「記憶が無い」という。。。
え?まず今のココの場所がわからないと言うし、なぜここにいるのかもわからないという。
そこで俺や後輩がわかるかと聞くとそれはわかるし、自分の名前も言える。
少し安心したが、下を向いてへばって「少しこのまま休みたい」という。
これはマズいだろ?
パトロールを呼んだ方がいいかもというと、先輩は大丈夫だという。
しかしそのうち自分は転んでないともいうし、このスキー場にみんなで来たのはわかるが、後はわからないという。
完全に記憶が一部欠落している。
ヘルメットの前面から上部が雪だらけだったので頭を打ったのは間違いない。
そこで意を決して先輩の意思は尊重しないでパトロールを呼ぼうと思ったら、なんとタイミングよくクワッドリフトからスキー場パトロールの人が2人降りてきた。
すぐに声をかけて状況を説明すると、パトロールの人が先輩に名前を聞いたり手足の動作とかをさせるが、今日が何日かには答えられない。
そこで先輩はパトロールの人とリフトで一番下まで降りて、パトロール本部で落ち合うことになった。
後輩と相談して、俺は先に降りて着替えて車をパトロール本部の近くまで移動することにして、後輩は先輩と一緒にパトロール本部にいくことにした。
もちろんこんな状況なのでその日のスキーは終了。
先輩をどこかの医療機関に早く診せないと。
車について急いで着替えてスキー道具をかたづけるが、こんな時に限ってルーフボックスが壊れてうまく開かない。。
あー、ちゃんと修理しておくんだった。。(その後、直したけどね)
で、車をまわして俺もパトロール本部に行くと、もうみんな来ていた。
パトロールの人はこういう状況になれているらしく、先輩の状態は悪くないので一時的な脳震盪だと思うが念のため地元の医療機関でCTをとったほうがいいという。
もちろん俺らも同じ意見だ。
そこで先輩のスキー道具を車に運んで着替えを持って行ってパトロール本部で着替えさせて、そしてすぐに車でスキー場を出た。
雪はさっきよりも強く降りだしたが、道路や車につくとすぐに溶けるような湿気の多い雪で、フワフワしない。
この感じは昔はよくいった新潟の雪によく似ている。
気温も0℃前後なので暖かい。
とりあえず12時を回ったのでお腹が空いた。
先輩も食べられるというので、大好きな蕎麦屋さんに行った。
ここのかき揚げ天ぷらそばが絶品なのだが、ランチでその天丼と蕎麦のセットがあったのでそれを頼んだ。
平日のお昼にここに来ることは無いのでランチセットなんて初めて食べたが、ボリュームも味も良かった。
先輩の様子はぜんぜん普段と変わらないが、その前後の記憶がすっぽりと抜けたままだそう。
国道19号に出て、しばらくすると雪は雨になり、猛烈に降ってきた。
なんでも今日は爆弾低気圧の通過でピンポイントで天気が悪いらしい。
こんな日に企画して決行してしまった俺の責任もあるなぁ。。
先輩は一人暮らしなのでこのまま家に帰すと絶対に病院に行かないだろうから、今日は俺らが強制的に連れていくことにした。
それに今回は3人で後輩もいるので、先輩に車を運転させることも無いようにできる。
後輩と相談して、まずは浜松の集合場所に行って後輩が先輩の車を運転して、俺と一緒に2台で病院に行く。
そして受診が終わったら先輩の家まで一緒に行って車と先輩をおいて、それから俺の車でまた集合場所に戻り、そこから後輩も俺も車で帰宅するという段取りにした。
普段なら19号から恵那からは257号の下道で帰るのだが、今日はなるべく早く浜松に着きたいので中津川から高速を使う。
病院の受診時間とか、ちょうど浜松で帰宅ラッシュに巻き込まれないようにすることとか、山道で身体に負担がかからないようにするとかを考えると、ケチって下道を行くべきではないと判断した。
まぁ高速は遠回りになるので、時間はたいしてかせげないんだけどね。
ちょうど高速に慣れた後輩の運転だったので、ノンストップで浜松まで。
途中で俺もリウマチ治療で通っている浜松市内の総合病院に電話して状況を説明し、診てもらえることを確認した。
先輩の様子はいつもと変わらないが、時々チェックしてないと。
浜松の近くまで行くと、急に天気は良くなって晴れ間まで出てきた。
高速を降りると4時半前、思ったよりだいぶ早く着けた。
そして集合場所に行って、先輩の車を後輩が運転。
後輩は蕎麦屋からずっと2台を乗りついで運転しっぱなしだ。
更に後輩は街中の道もよく知ってるので、裏道を駆使してギリギリ5時前でラッシュに巻き込まれずに病院に着けた。
良かった、今日は後輩も一緒で。
診察はまぁ1時間くらいで終わるだろうと思っていたら救急外来は人が多くて、なんだかんで終わったのが8時過ぎ。
この待っている時間が一番つらかった。
そしてCTや血液や心電図までチェックしてもらって、異常はないとのこと。
あー、よかった・・
猛烈に疲れたけど先輩も後輩も一人暮らしだし、俺も帰宅しても夕食は無いのでみんなで食事に行った。
しかし最初に行ったハンバーグのさわやかはちょうどフェア中で40分待ちというので、近くのガラガラのファミレスに移動して夕食。
そして先輩の家に20年ぶりくらいに行って、そこからまた30分はかかる朝の集合場所へ。
後輩と別れて一人で帰宅して、道具の後片付けをして、風呂に入ったらもう23時。
流石に疲れ果てた・・
で、一人暮らしで家族も近くに親族もいない先輩が心配で、生存確認のメールをお願いしておいたら翌日にそれが来た。
うん、しばらくは様子をみないといけないけど、とりあえず安心かな?
しかしこんなの初めてだよ。
先輩はそんなに飛ばさないし割と慎重な人だし、ヘルメットもしていたのに。
本当に何があるかわからないなぁ、気をつけないと。