昨夜、2015年1月4日22時02分頃、愛犬のパルが永眠しました。
享年19歳3ヶ月と3日でした。
ついにこの時が来てしまいました。
2日の夜21時半くらいから悪くなってほぼ2日。
意識はなくグッタリして覚悟はしてました。
昨日は昼間に二人で暖かい部屋でゆっくりすごす時間が取れたし、外にも出て太陽と風にあてて、そして最期を看取って僕の手の中で旅立っていったのは幸いでした。
亡くなったときは突然ゴフっと茶色い胃液?を吐き、2回ほどのけぞって、そして息が止まりました。
胸に手をあてると心臓の鼓動というより痙攣のようなピクピクした動きがちょっとあって、そしてすべてが止まりました。
もう泣いて声もでなくて、まだ暖かい身体を触り、それが脚の先からどんどん冷えていくのがわかりました。
愛する命がそっと消えていって、僕の心にもぽっかりと穴が開きました。
冷え切って死後硬直する前に体をきれいにして、箱に毛布と吸水のパッドをひいて、愛する子を納めました。
そして部屋をかたづけたのですが、涙はとめどなくあふれて何度もパルの体をさわりました。
だってその姿勢は元気だったころに安らかに寝ていたときと同じ姿勢と顔だったんです。
だけど触ると、その時のパルじゃないことに引き戻されます。
月曜の今日から仕事だし年末にトラブルがあったのでどうしても午前だけは出社しないといけないし、寝床に入ったのですが、眠れず妻と思い出を語っては泣き。。
そして今日、会社は昼であがって、最期の準備をしました。
かさばる毛布はやめて白いバスタオルをひいて、その上に乗せて、花といつものドッグフードと大好きなチーズを入れました。
そして車にのせて家をでて、近所の仲のよかった人に声をかけて顔をみてもらうとその人が泣き出して、こっちも泣いて。。
その後はいつもの散歩コースをゆっくりまわって、そして市営の火葬場に向かいます。
今日は風もなく晴れて暖かく、本当に平和な日でした。
高い空を見上げて、パルのことを想うとまた涙が。。
火葬場に市営のところを選んだのは、遺灰が戻らないからです。
なにか偶像的に遺すのは悲しさを呼び起こすだけだし、写真と記憶があればいいと思うからです。
それに位牌とか祭壇があってもそれがずっと子孫が守っていくわけでもなく、いつかはどこかに捨てられるわけで、それなら何もないほうがいいと考えたからです。
3歳の子どもは死についてわからないようで、無邪気ですが、その歳だしそれはそれでいいんです。
帰宅してから、その勢いで家中の犬のものをかたづけてごみにしていきました。
時間をおけばあれこれ取っておくことになるからです。
それでも何点かは捨てられずにそっととっておきました。
この片付けの最中にも、思い出してまた大泣きしてしまいました。
近所の方から花をいただき、それを友人の娘さんがだいぶ前に描いてくれたパルの絵の前に妻が供えました。
こんな祭壇みたいにしたくなかったんですが、花が枯れるまではこのままです。
涙って枯れることがないんですね。
いまはいつでもすぐに泣けます。
そして泣きすぎて頭痛となぜか足が筋肉痛です。
今夜も辛い夜が続きます。
いまもこれを書きながら泣いてます。
さよならパル。大好きだったよ。


