入院の思い出(その2) | thAshの雑種な日記

thAshの雑種な日記

主な登場人犬/ thAsh: ここの管理人、適当で不真面目で皮肉屋。 天然1号: 妻、平成サザエさん伝説の女、令和も伝説継続中!  フレディー: 長男 2011年5月追加。今の呼び名は2011/09/11の日記参照  天然2号: 愛犬、2015年1月4日没(享年19歳3ヶ月3日)。  

盲腸からしばらく経ってその冬。俺はあいかわらず冬はスキーで毎週のように遊びまわっていた。そして先輩と二人で俺のダットラで行った新潟のみつまたかぐらスキー場。今はどうなっているかわからないが、みつまたかぐらスキー場は麓の駐車場からゴンドラか、ちょっと離れた民宿街からリフトでいきなり山の上に上った先にゲレンデがあった。そして帰りは民宿街に戻るには下山コースというちょっと急な斜面を下って、あとはほぼ平地を進むのが一般的だった。
その日、カナダのウィスラースキー場から買って帰った新しいロシニョールの2mの板は快調で俺もいい気になってリフトの営業が終るまで滑って、下山コースへ。ここは急斜面で苦労している人が多いなかをいい気になってよけながらスイスイと降りてちょっと停まったときに、左膝の中で何かがクルンとまわるような感覚がして、足がいたくて動けなくなった。先輩がパトロールを呼んでくれてゲレンデ整備の雪上車で救護室に行くと、膝の靭帯か半月板が切れたのだろうとのこと。
そこから先輩に慣れないダットラ(マニュアル)で雪道+高速で家まで送ってもらい、翌日に半年前に盲腸で入院していた総合病院に行くと手術が必要とのことだった。それでも事の重大さに気がつかない俺は会社に行っていいか聞いたら行ける訳ないだろうと言われ、2日くらい自宅ですごしてから入院、そしてまた手術だった。
入院は今度は大部屋で6人が一緒だった。総合病院なのでいろいろな科があるのだが、小児科と婦人科はまったく別になっていて、外科と内科は俺の入院する整形外科と一緒の棟だった。なかでも整形外科は比較的若い人が多く、死と隣り合わせではないので、入院患者も気楽な奴ばかりだった。
中には入院のベテランがいて、内科は死にそうな人は別室に運ばれるとか、そのときは特殊な呼び方をするのでわかるとかという話を聞いた。そんな同室にはいろいろな人がいて、俺が一番若かった。多かったのが椎間板ヘルニアで肉屋の人、バイクを引き起こそうとして悪化した人、ずっと悪くてついに手術に踏み切った人とかがいた。それから木工加工の人はずっと同じ姿勢で加工をしていて首が曲がってしまい、金属で肩と頭蓋骨を外から固定しているので、ロボットのようになっていたっけ。しかも1ヶ月もいたのでこのメンバーが変わっていくので、10人くらいの人と同室になったことになる。
この人たちからいろいろな昔の話、戦時中にバッテリー工場に動員されて何かの物質が体にはわるいんだけど舐めると甘いからみんなで舐めたとか、過去の話を聞いた。とにかく毎日一緒なんだから皆と話ばかりしたし、そんな上の世代の人と話す機会なんてほとんどそれまで無かったので、俺には新鮮だった。そしてそれぞれの人にそれぞれの人生があって夕方にはその人の家族が来てその人、をいたわる。その人はその家族たちをこれまで支えてきて、そして入院してしまったんだと思うと、ただ遊んで若いうちに怪我した俺なんて恥ずかしかった。
入院は手術直後は痛かったが、しばらくは気楽でその後のリハビリはすごく痛かった。でもそんなことより同室だった人たちのことを今でもよく思い出す。僕はあの入院は人生経験のうちでとても有意義だったと今でも思う。