働く妊婦(その1)
イギリスで働く女性が妊娠出産する際の手続きや制度について書いてみたいと思います。とは言っても私の個人的な例ですが。私は中小企業に勤める正社員で勤続年数は現在4ヶ月です。更に深くイギリスの制度を知りたい方はこちら(英国政府の公的サービスに関するホームページ)をご覧下さい。
12月9日(妊娠11週4日)
まだ安定期に入る前でしたが、1週間前に最初のエコー検査で妊娠が確認され出産予定日も6月26日と確定したので直属の上司に妊娠を報告しました。直属の上司からは「Congratulations!」とお祝いの言葉を頂き、社長と会計兼人事兼総務部長には連絡しておくけど、他の人への報告は私の自由に任せると言われました。
通院の為の遅刻や早退は有給という寛大な会社ですが、1回目の助産婦検診と2回目のエコー検査の為にクリスマス前に2日間も半日しか働けず、また病弱だったり不摂生の結果の通院とは別に記録して欲しいと思い早めに報告しました。妊婦検診や両親学級へはどの会社に勤めていても勤務時間内に有給で行けます。
1月4日(妊娠15週2日)
会計兼人事兼総務部長の信之介さんに会議室に呼ばれて個人的にお祝いの言葉を頂き私が26週間の産休を取れる事は確実だがその間SMP(Saturatry Maternity Pay、産休中の支給金。会社が国の代わりに立て替えて支払い、後に国からその分の支払いを受ける。)を受け取れるかは微妙だと知らされました。出産予定日を伝えて部長がもう一度各所に問い合わせた所資格がある事が判明してほっとしました。
改めて産休、産休中の支給金、職場での健康と安全評価についての手紙を貰い、この時必要がある場合他の社員に知らせても良いかと聞かれたので結構ですと答えました。この時会議室は使用中で会計部の小部屋で話していて皐月さんも同席していました。彼女はお友達でもちろん事情を知っています。
細かい産休に入れる時期や産休中の支給金受給資格があるかどうかを判定する日付の数え方などは面白くないと思うので省略します。産休中の支給金の金額は最初の6週間が給料の90%でその後の20週間は一律毎週2万1200円だけ(これでもかなり厳しいですが5年前はたったの1万2千円でした。)です。
26週間の産休の後すぐ仕事に戻る場合は会社に予告は不要です。会社に戻らない事にした場合も産休中の支給金の返却は不要ですが1ヵ月以上前に文書でその旨を報告する必要があります。産休が終わる前に職場復帰したい場合は28日以上前に文書でその意図を知らせますが、産後2週間の就労は禁止されています。
1月10日(妊娠16週1日)
受付兼総務の夏那さんと人気の少ない朝一番にHealth and Safety Assessment(健康と安全評価)を行いました。机や椅子は快適な状態か、重い物を持ち上げる業務や化学物質等に晒される業務があるか、強い匂いや大きな音に晒されていないか、職場の温度や湿度は適当か仕事量は多過ぎないか確認しました。
出版社でデザイナーという仕事上妊娠したからといって急に変える必要がある事はありませんでしたが、ただ1つ、たまに寒過ぎる事があるので足下に置く小さなヒーターを用意して貰う約束をしました。そして今後また状態が変わったらいつでも夏那さんに相談して欲しいと言われました。
更にそれに付け足して夏那さんが挙げたのは「2、3時間おきにコンピューターから離れて休息を取る事。会社は弥生が休めるコーナーかソファーを用意しようとしている。」、「ラッシュアワーの通勤を避ける為に給料の額は現在と同じで10時4時の短縮勤務もできると法律にあるので必要なら申し出る事。」でした。
「無理をして働き過ぎないで。今は仕事よりあなたとおなかの赤ちゃんの健康の方が大事だから。」と言われて私は大感激。こんなに社員を大切にしてくれる会社があるんですね。妊娠中はおなかの赤ちゃんに無理をかけない程度に、産休後に職場に復帰したら精一杯働いて恩返しをしようと思いました。
12月9日(妊娠11週4日)
まだ安定期に入る前でしたが、1週間前に最初のエコー検査で妊娠が確認され出産予定日も6月26日と確定したので直属の上司に妊娠を報告しました。直属の上司からは「Congratulations!」とお祝いの言葉を頂き、社長と会計兼人事兼総務部長には連絡しておくけど、他の人への報告は私の自由に任せると言われました。
通院の為の遅刻や早退は有給という寛大な会社ですが、1回目の助産婦検診と2回目のエコー検査の為にクリスマス前に2日間も半日しか働けず、また病弱だったり不摂生の結果の通院とは別に記録して欲しいと思い早めに報告しました。妊婦検診や両親学級へはどの会社に勤めていても勤務時間内に有給で行けます。
1月4日(妊娠15週2日)
会計兼人事兼総務部長の信之介さんに会議室に呼ばれて個人的にお祝いの言葉を頂き私が26週間の産休を取れる事は確実だがその間SMP(Saturatry Maternity Pay、産休中の支給金。会社が国の代わりに立て替えて支払い、後に国からその分の支払いを受ける。)を受け取れるかは微妙だと知らされました。出産予定日を伝えて部長がもう一度各所に問い合わせた所資格がある事が判明してほっとしました。
改めて産休、産休中の支給金、職場での健康と安全評価についての手紙を貰い、この時必要がある場合他の社員に知らせても良いかと聞かれたので結構ですと答えました。この時会議室は使用中で会計部の小部屋で話していて皐月さんも同席していました。彼女はお友達でもちろん事情を知っています。
細かい産休に入れる時期や産休中の支給金受給資格があるかどうかを判定する日付の数え方などは面白くないと思うので省略します。産休中の支給金の金額は最初の6週間が給料の90%でその後の20週間は一律毎週2万1200円だけ(これでもかなり厳しいですが5年前はたったの1万2千円でした。)です。
26週間の産休の後すぐ仕事に戻る場合は会社に予告は不要です。会社に戻らない事にした場合も産休中の支給金の返却は不要ですが1ヵ月以上前に文書でその旨を報告する必要があります。産休が終わる前に職場復帰したい場合は28日以上前に文書でその意図を知らせますが、産後2週間の就労は禁止されています。
1月10日(妊娠16週1日)
受付兼総務の夏那さんと人気の少ない朝一番にHealth and Safety Assessment(健康と安全評価)を行いました。机や椅子は快適な状態か、重い物を持ち上げる業務や化学物質等に晒される業務があるか、強い匂いや大きな音に晒されていないか、職場の温度や湿度は適当か仕事量は多過ぎないか確認しました。
出版社でデザイナーという仕事上妊娠したからといって急に変える必要がある事はありませんでしたが、ただ1つ、たまに寒過ぎる事があるので足下に置く小さなヒーターを用意して貰う約束をしました。そして今後また状態が変わったらいつでも夏那さんに相談して欲しいと言われました。
更にそれに付け足して夏那さんが挙げたのは「2、3時間おきにコンピューターから離れて休息を取る事。会社は弥生が休めるコーナーかソファーを用意しようとしている。」、「ラッシュアワーの通勤を避ける為に給料の額は現在と同じで10時4時の短縮勤務もできると法律にあるので必要なら申し出る事。」でした。
「無理をして働き過ぎないで。今は仕事よりあなたとおなかの赤ちゃんの健康の方が大事だから。」と言われて私は大感激。こんなに社員を大切にしてくれる会社があるんですね。妊娠中はおなかの赤ちゃんに無理をかけない程度に、産休後に職場に復帰したら精一杯働いて恩返しをしようと思いました。
妊娠初期
5年半ぶりの妊娠も無事に中期に入りました。ここでイギリスの医療制度に興味がある方の為に初期の手続きや検査について簡単に記しておきたいと思います。前回と同じく今回も私は私営ではなく国営の病院で出産の予定です。出産は総合病院で、普段の診察は近所の全科診療所で助産婦さんにして貰います。
国営の病院では診察代、検査代、分娩代、帝王切開の手術代などは一切かかりません。その代わり経過が順調な場合は日本に比べて極端に診察やエコー検査の回数が少なく、体重測定、腹囲測定、内診もありません。妊婦と出産後1年未満の女性は薬代と歯科治療費が無料になります。
10月23日(妊娠4週6日)
自宅で市販の妊娠検査薬を使うと陽性の結果が出ました。なんとなく妊娠している気がしていたので、実はフライングで2日と10日にも調べていて陰性の結果が出ていました。さっそく私と夫の両親に妊娠報告の電話をし、娘にも妹か弟がママのおなかに居るよと知らせました。
11月4日(妊娠6週4日)
NHS(National Health Service、国民医療サービス)のGP(General Practice、全科診療所)にて全科診療医の診察。市販の妊娠検査薬で陽性だったと伝えると改めて妊娠検査薬は使わず、尿検査と血圧検査だけ行って後はFolic Acid (葉酸)を既に摂取しているかどうか確認しただけで終わり。
12月2日(妊娠10週4日)
NHSの総合病院で出産予定日とNuchal Translucency(妊娠初期から中期にかけて見られる胎児の後頚部の浮腫。その厚さが3mm以上あると染色体異常や心臓などの先天奇形の頻度が高くなる。)を調べるための最初のエコー検査。出産予定日は6月26日に確定、NT検査は時期尚早で再検査に。
12月14日(妊娠12週2日)
GPにてMidwife(助産婦)の診察。尿検査と血圧検査と血液検査。黄色い表紙のA4判のMaternity Record(妊娠の経過を記録する物で出産後は病院に返却する。)の発行を受け、自分の健康状態と病歴、夫や近い血縁者の病歴の聞かれてその答えはMaternity Recordに記入される。
12月21日(妊娠13週2日)
NHSの総合病院でNuchal Translucencyのエコー再検査。私の年齢、35才だと21番目の染色体が2本ではなくて3本ある状態(ダウン・シンドローム)の可能性は一般的には229分の1。この検査でその可能性は1030分の1(母親の年齢が24才の場合と同じ確率。)に下がりました。
この次のGPでのMidwifeの診察は何と2月15日(妊娠21週2日)です。いくら順調でクリスマスを挟んでいるからって9週間も間が空くんですよ。もちろんその間何か異常や不安な事があったら緊急婦人科や産婦人科外来に電話出来て場合によってはそちらにいって診察して貰えますが。
国営の病院では診察代、検査代、分娩代、帝王切開の手術代などは一切かかりません。その代わり経過が順調な場合は日本に比べて極端に診察やエコー検査の回数が少なく、体重測定、腹囲測定、内診もありません。妊婦と出産後1年未満の女性は薬代と歯科治療費が無料になります。
10月23日(妊娠4週6日)
自宅で市販の妊娠検査薬を使うと陽性の結果が出ました。なんとなく妊娠している気がしていたので、実はフライングで2日と10日にも調べていて陰性の結果が出ていました。さっそく私と夫の両親に妊娠報告の電話をし、娘にも妹か弟がママのおなかに居るよと知らせました。
11月4日(妊娠6週4日)
NHS(National Health Service、国民医療サービス)のGP(General Practice、全科診療所)にて全科診療医の診察。市販の妊娠検査薬で陽性だったと伝えると改めて妊娠検査薬は使わず、尿検査と血圧検査だけ行って後はFolic Acid (葉酸)を既に摂取しているかどうか確認しただけで終わり。
12月2日(妊娠10週4日)
NHSの総合病院で出産予定日とNuchal Translucency(妊娠初期から中期にかけて見られる胎児の後頚部の浮腫。その厚さが3mm以上あると染色体異常や心臓などの先天奇形の頻度が高くなる。)を調べるための最初のエコー検査。出産予定日は6月26日に確定、NT検査は時期尚早で再検査に。
12月14日(妊娠12週2日)
GPにてMidwife(助産婦)の診察。尿検査と血圧検査と血液検査。黄色い表紙のA4判のMaternity Record(妊娠の経過を記録する物で出産後は病院に返却する。)の発行を受け、自分の健康状態と病歴、夫や近い血縁者の病歴の聞かれてその答えはMaternity Recordに記入される。
12月21日(妊娠13週2日)
NHSの総合病院でNuchal Translucencyのエコー再検査。私の年齢、35才だと21番目の染色体が2本ではなくて3本ある状態(ダウン・シンドローム)の可能性は一般的には229分の1。この検査でその可能性は1030分の1(母親の年齢が24才の場合と同じ確率。)に下がりました。
この次のGPでのMidwifeの診察は何と2月15日(妊娠21週2日)です。いくら順調でクリスマスを挟んでいるからって9週間も間が空くんですよ。もちろんその間何か異常や不安な事があったら緊急婦人科や産婦人科外来に電話出来て場合によってはそちらにいって診察して貰えますが。
フローレンス・ナイチンゲール博物館
土曜日の夕方、夫の両親が娘の香蓮を車でロンドンまで送ってくれました。2人は土曜日曜と我が家に滞在し、月曜日には車でガトウィック空港に向かい2週間のホリデーに出発します。バルベイドスに飛び、そこから客船でのクルーズをする予定だそうです。
日曜日の今日、義理の母は気管支炎に罹っているのでお留守番でしたが残りの義理の父、透、香蓮、私ででかける事にしました。最初は東ロンドンのExCeL展示場で開催中のロンドン・ボート・ショーを見に行こうかと思いましたが、当日券が大人1人2800円もするので断念。
代わりにフローレンス・ナイチンゲール博物館に行きました。この博物館は聖トーマス病院の一部にあります。テムズ河を挟んだ向かいにあるのは国会議事堂で、ウエストミンスター橋を渡る道の向こう側にはロンドン・アイという観覧車があります。
聖トーマス病院はNHS(国民医療サービス)の病院で、夫の母方の祖母は第二次世界大戦中の1940年に看護婦としてこの病院で働いていました。ドイツ空軍の空襲を受けて病院も被弾したそうですが、彼女は紙一重で無事でした。
昼時に食堂に行こうとエレベーターに向かった時に婦長さんに何かの用事で呼び戻されたのだそうです。その直後に爆弾がそのエレベーターを直撃!彼女がそこで亡くなっていたら義理の母も夫も私がこの6月に同病院の産婦人科で出産予定の我が家の第二子も存在しないところでした。
その爆弾が落ちた後に夫の祖母は食堂に行って食事をしたそうです。デザートはライス・プディング(米を牛乳で煮込んで砂糖を加えた物)で、爆弾のせいで埃が積もっていました。でも冷めて上に膜が出来ていたのでシェフはそれをくるくると巻いて取り除いて盛り付けてくれたそうです。
被弾という非日常ももう日常になっていたのですね。そして第二次世界大戦中のイギリスも食料の配給はありましたがそれでもデザートとか甘い物が供されていたのですね。日本の都会での配給の話では甘い物どころか主食も足りなくて飢えていたそうなのでその違いにも驚きました。
フローレンス・ナイチンゲール(以下FNと略。)の名前と業績は日本でも有名です。彼女が1854年に勃発したクリミア戦争のイギリス人従軍看護婦で、その献身的な看護ぶりから「クリミアの天使」、「白衣の天使」と呼ばれていました。
イギリスのアートカレッジで学んでいる時に意外にも彼女の名前が出て来ました。彼女は病院の衛生状態と施設の改善の必要性を訴え、それにかかる経費を権威から引き出す為にグラフやチャートを使ったのですがそれがデザイン的にも美しいのです。
FNは献身的な看護婦であっただけではなく、統計学者、看護教育者でもあったのです。そしてイギリスでは日本でのキャッチフレーズと違い、「Lady with the Lamp」(ランプの貴婦人)として知られています。クリミア戦争時にランプを手に病棟の夜回りをする姿から来たフレーズです。
FN博物館はかなり小さい割には入館料は大人1160円、子供は5才以上が840円と高めの設定です。展示内容はいくつかの再現シーン以外は基本的に関連遺物、写真、イラストレーション、文章で構成されていて子供は中学生以上でないと楽しめないと思います。
私はFNが幼少期に読んだ本、彼女の直筆の書類、持ち歩いた薬箱、洋服などを実際に見れて嬉しかったです。期待していたグラフやチャート類の展示は一番有名な扇形の円グラフ("Coxcomb" Diagram of the causes of mortality in the army in the east April 1854 to March 1855)だけでしたが。
以下博物館で学んだ彼女の生涯の主な出来事を箇条書きにして挙げてみます。
FNの名前、フローレンスがイタリアのフィレンツェ(フローレンス)と同じなのは偶然ではなく、彼女の両親が3年間に渡るヨーロッパでの新婚旅行中に彼女は次女としてフィレンツェで生まれたからそう名付けられた。ちなみに姉はナポリで生まれたのでパースィノープ(ギリシャ語でナポリの意味。)。
中上流階級の裕福な家庭に育ちケンブリッジ大学卒の父親からフランス語、ギリシャ語、イタリア語、ラテン語、ドイツ語、歴史、数学、古典文学、古典哲学の教育を受けた。姉は芸術的(彼女のスケッチが博物館にも多数展示されている。)で家庭的だったがFNはアカデミックだった。
教育は受けたものの家庭と社交界の中に限定された当時の中上流階級の女性としての生活に満たされないでいたFNは家族と一緒のフランス、イタリア、スイス旅行、友人と一緒のエジプト、ギリシャ、ドイツの旅行中一時的に気は紛れたが、その最中に貧困にあえぐ人々の生活も垣間見る。
1837年に「神の為に働け」というお告げを聞いてから13年後にいくつかあった結婚話は全て断り良家の子女に相応しくない仕事だという両親の反対を押し切って看護婦になる決意をした。1850年から51年の間にドイツのカイゼルスベルトにて看護婦になる為の教育を受けた。
1853年から1854年の間にロンドンのアッパー・ハーリー・ストリート1番地にある慈善事業の病院に就職し、FNの看護技術と組織力の高さを証明する。家族との対立は続いていたが最終的に父親が折れて生活費の援助をした。(ハーリー・ストリートは今でも私営の病院が多いので有名な通り。)
クリミア戦争が勃発し、近代最初の戦争特派員のウイリアム・ハワード・ラッセル(ザ・タイムス紙所属)によって戦場ではロシア軍の攻撃によってではなく、病院の設備と衛生管理の不備によって感染症に罹って死んで行く兵士の方が多いという悲惨な様子が報道された。
1854年ナイチンゲールはクリミア戦争の後方基地のスクタリに従軍。現地では官僚的形式主義、軍医、一部の看護婦からの対立的な態度を克服して、病院の衛生状態を改善し患者の世話の質も上げる事に成功し傷病兵の死亡率は大幅に下がる。
クリミア戦争終結後、FNは国民的ヒロインとして迎えられる事を拒み偽名を使ってひっそりとイギリスに帰国する。帰国後も1910年に亡くなるまで数々の病院の状態に関する情報を収集し、統計資料や報告書の作成してその改善に力を尽くし、聖トーマス病院内に看護学校も設立する。
日曜日の今日、義理の母は気管支炎に罹っているのでお留守番でしたが残りの義理の父、透、香蓮、私ででかける事にしました。最初は東ロンドンのExCeL展示場で開催中のロンドン・ボート・ショーを見に行こうかと思いましたが、当日券が大人1人2800円もするので断念。
代わりにフローレンス・ナイチンゲール博物館に行きました。この博物館は聖トーマス病院の一部にあります。テムズ河を挟んだ向かいにあるのは国会議事堂で、ウエストミンスター橋を渡る道の向こう側にはロンドン・アイという観覧車があります。
聖トーマス病院はNHS(国民医療サービス)の病院で、夫の母方の祖母は第二次世界大戦中の1940年に看護婦としてこの病院で働いていました。ドイツ空軍の空襲を受けて病院も被弾したそうですが、彼女は紙一重で無事でした。
昼時に食堂に行こうとエレベーターに向かった時に婦長さんに何かの用事で呼び戻されたのだそうです。その直後に爆弾がそのエレベーターを直撃!彼女がそこで亡くなっていたら義理の母も夫も私がこの6月に同病院の産婦人科で出産予定の我が家の第二子も存在しないところでした。
その爆弾が落ちた後に夫の祖母は食堂に行って食事をしたそうです。デザートはライス・プディング(米を牛乳で煮込んで砂糖を加えた物)で、爆弾のせいで埃が積もっていました。でも冷めて上に膜が出来ていたのでシェフはそれをくるくると巻いて取り除いて盛り付けてくれたそうです。
被弾という非日常ももう日常になっていたのですね。そして第二次世界大戦中のイギリスも食料の配給はありましたがそれでもデザートとか甘い物が供されていたのですね。日本の都会での配給の話では甘い物どころか主食も足りなくて飢えていたそうなのでその違いにも驚きました。
フローレンス・ナイチンゲール(以下FNと略。)の名前と業績は日本でも有名です。彼女が1854年に勃発したクリミア戦争のイギリス人従軍看護婦で、その献身的な看護ぶりから「クリミアの天使」、「白衣の天使」と呼ばれていました。
イギリスのアートカレッジで学んでいる時に意外にも彼女の名前が出て来ました。彼女は病院の衛生状態と施設の改善の必要性を訴え、それにかかる経費を権威から引き出す為にグラフやチャートを使ったのですがそれがデザイン的にも美しいのです。
FNは献身的な看護婦であっただけではなく、統計学者、看護教育者でもあったのです。そしてイギリスでは日本でのキャッチフレーズと違い、「Lady with the Lamp」(ランプの貴婦人)として知られています。クリミア戦争時にランプを手に病棟の夜回りをする姿から来たフレーズです。
FN博物館はかなり小さい割には入館料は大人1160円、子供は5才以上が840円と高めの設定です。展示内容はいくつかの再現シーン以外は基本的に関連遺物、写真、イラストレーション、文章で構成されていて子供は中学生以上でないと楽しめないと思います。
私はFNが幼少期に読んだ本、彼女の直筆の書類、持ち歩いた薬箱、洋服などを実際に見れて嬉しかったです。期待していたグラフやチャート類の展示は一番有名な扇形の円グラフ("Coxcomb" Diagram of the causes of mortality in the army in the east April 1854 to March 1855)だけでしたが。
以下博物館で学んだ彼女の生涯の主な出来事を箇条書きにして挙げてみます。
FNの名前、フローレンスがイタリアのフィレンツェ(フローレンス)と同じなのは偶然ではなく、彼女の両親が3年間に渡るヨーロッパでの新婚旅行中に彼女は次女としてフィレンツェで生まれたからそう名付けられた。ちなみに姉はナポリで生まれたのでパースィノープ(ギリシャ語でナポリの意味。)。
中上流階級の裕福な家庭に育ちケンブリッジ大学卒の父親からフランス語、ギリシャ語、イタリア語、ラテン語、ドイツ語、歴史、数学、古典文学、古典哲学の教育を受けた。姉は芸術的(彼女のスケッチが博物館にも多数展示されている。)で家庭的だったがFNはアカデミックだった。
教育は受けたものの家庭と社交界の中に限定された当時の中上流階級の女性としての生活に満たされないでいたFNは家族と一緒のフランス、イタリア、スイス旅行、友人と一緒のエジプト、ギリシャ、ドイツの旅行中一時的に気は紛れたが、その最中に貧困にあえぐ人々の生活も垣間見る。
1837年に「神の為に働け」というお告げを聞いてから13年後にいくつかあった結婚話は全て断り良家の子女に相応しくない仕事だという両親の反対を押し切って看護婦になる決意をした。1850年から51年の間にドイツのカイゼルスベルトにて看護婦になる為の教育を受けた。
1853年から1854年の間にロンドンのアッパー・ハーリー・ストリート1番地にある慈善事業の病院に就職し、FNの看護技術と組織力の高さを証明する。家族との対立は続いていたが最終的に父親が折れて生活費の援助をした。(ハーリー・ストリートは今でも私営の病院が多いので有名な通り。)
クリミア戦争が勃発し、近代最初の戦争特派員のウイリアム・ハワード・ラッセル(ザ・タイムス紙所属)によって戦場ではロシア軍の攻撃によってではなく、病院の設備と衛生管理の不備によって感染症に罹って死んで行く兵士の方が多いという悲惨な様子が報道された。
1854年ナイチンゲールはクリミア戦争の後方基地のスクタリに従軍。現地では官僚的形式主義、軍医、一部の看護婦からの対立的な態度を克服して、病院の衛生状態を改善し患者の世話の質も上げる事に成功し傷病兵の死亡率は大幅に下がる。
クリミア戦争終結後、FNは国民的ヒロインとして迎えられる事を拒み偽名を使ってひっそりとイギリスに帰国する。帰国後も1910年に亡くなるまで数々の病院の状態に関する情報を収集し、統計資料や報告書の作成してその改善に力を尽くし、聖トーマス病院内に看護学校も設立する。
もちともち類
ライスワインショップで注文した日本食が金曜日に夫の職場に無事配達されました!大量に頼んだので3箱に分けて梱包されていたそうです。一番の楽しみはお餅!年始年末には調達が間に合わず餅無しのお雑煮を食べていたのです。実家から送って貰った手持ちのそうめんを入れてみて、「地方によってはお雑煮にそうめんを入れる所もあるかもしれない。」と自分に言い聞かせようとしましたがやはり物足りなかったのです。しくしく。
という訳で今回は満を持してお雑煮の材料を用意して前日からお雑煮を作りお餅の到着を待っていたのです。普通の食料品はウエイト・ローズ(スーパーマーケット)の宅配を利用していますが、椎茸はShiitake Mushroomsとして売られているけど大根(Mooli、ムーリ)はないのでこれはわざわざ近所のテスコ(スーパーマーケット)に出掛けて人参と共に購入済みです。他に具としてはベーコン、鳥もも肉、乾燥だいこんの葉を戻したものを入れました。
夫には電話で「箱を開けてお餅を見つけて必ず持って帰って来てね。サイズは名刺位で厚みは1.5cm位で白くて煮ると柔かくなるあなたの嫌いなやつね。違うメーカーのが2袋入っているはずだから両方ね。」と念押ししました。帰宅して冷蔵庫からお雑煮の入った鍋を出して来て火にかけると、家中はお醤油とかつおだしベースのお雑煮の匂いで一杯になりました。夫が帰って来てお帰りなさいの挨拶ももどかしく日本食の段ボール箱を受け取って開けてお餅を発見!
さっそくお餅を煮てから用意した汁に入れて、三つ葉は無いので自分で栽培している青じその葉かたまたまなんとなく水耕栽培している人参の葉かどちらか迷った末人参の葉を浮かべて完成、ウキウキしながら食べ始めたのです!ところが・・・。お餅が不味いのです。カップ麺の力うどんやおでんの種の、あの油揚げの中に入っているお餅のようにかなり加工された味なのです。舌触りが均一過ぎてなんだか人工的に合成された物のような感じ。
疑問を感じたままそのお餅を3つ食べ切り、もう1つのメーカーのお餅も1つ煮て食べてみたらこちらはおいしい、普通のお餅の味。この味の違いは何だと思って裏の表示の欄を見たら、名称は岩手の生切餅ふっくら小餅(株式会社高橋フーズ)は「生切り餅」で越後生一番(越後製菓株式会社)は「切りもち」でぼぼ同じ物を指すように思えます。しかし原材料名は前者はもち米粉、pH調整材(クエン酸)、後者は水稲もち米(国内産)でした。
やはり前者の不味い方がより加工されている感じですね。値段はどうだったっけと調べてみると前者は650gで約800円(1g/1.23円)、後者は400gで700円(1g/1.75円)でした。不味い方が少し安いけどあまり大きな違いではないですよね。季節商品という事で特価になっているようです。値上がりまたは売り切れる前にお店に行っておいしい越後生一番(越後製菓株式会社)の方をまとめ買いしようと思いました。
同じ食品でもジュースだったら果汁の量が一定量以上だと「ジュース」でそれ以下だと「ジュース飲料」、チョコレートだったらやはりカカオの量が一定量以上だと「チョコレート」でそれ以下だと「チョコレート類」という感じで名称が違っていますよね?私は大体果汁やココアの含有量が高い物の方が好きだけどたまにはもっと安っぽい、薄い感じの含有量が低い物を選びたい時もあります。どちらの場合も納得済みで選ぶから良いのだけど。
今回のお餅では岩手の生切餅ふっくら小餅(株式会社高橋フーズ)は「もち類」で越後生一番(越後製菓株式会社)は「もち」となってたらもっと分かり易かったのに。違う名称で呼んで貰いたい程風味が違っていました。ほとんど騙されたような気分ですが被害額は800円。これが構造計算偽造のマンションだったら一生の問題です。私が日本に住んでいたら構造計算偽造のマンションを買っていた可能性は否定できないな、人事ではないと思いました。
という訳で今回は満を持してお雑煮の材料を用意して前日からお雑煮を作りお餅の到着を待っていたのです。普通の食料品はウエイト・ローズ(スーパーマーケット)の宅配を利用していますが、椎茸はShiitake Mushroomsとして売られているけど大根(Mooli、ムーリ)はないのでこれはわざわざ近所のテスコ(スーパーマーケット)に出掛けて人参と共に購入済みです。他に具としてはベーコン、鳥もも肉、乾燥だいこんの葉を戻したものを入れました。
夫には電話で「箱を開けてお餅を見つけて必ず持って帰って来てね。サイズは名刺位で厚みは1.5cm位で白くて煮ると柔かくなるあなたの嫌いなやつね。違うメーカーのが2袋入っているはずだから両方ね。」と念押ししました。帰宅して冷蔵庫からお雑煮の入った鍋を出して来て火にかけると、家中はお醤油とかつおだしベースのお雑煮の匂いで一杯になりました。夫が帰って来てお帰りなさいの挨拶ももどかしく日本食の段ボール箱を受け取って開けてお餅を発見!
さっそくお餅を煮てから用意した汁に入れて、三つ葉は無いので自分で栽培している青じその葉かたまたまなんとなく水耕栽培している人参の葉かどちらか迷った末人参の葉を浮かべて完成、ウキウキしながら食べ始めたのです!ところが・・・。お餅が不味いのです。カップ麺の力うどんやおでんの種の、あの油揚げの中に入っているお餅のようにかなり加工された味なのです。舌触りが均一過ぎてなんだか人工的に合成された物のような感じ。
疑問を感じたままそのお餅を3つ食べ切り、もう1つのメーカーのお餅も1つ煮て食べてみたらこちらはおいしい、普通のお餅の味。この味の違いは何だと思って裏の表示の欄を見たら、名称は岩手の生切餅ふっくら小餅(株式会社高橋フーズ)は「生切り餅」で越後生一番(越後製菓株式会社)は「切りもち」でぼぼ同じ物を指すように思えます。しかし原材料名は前者はもち米粉、pH調整材(クエン酸)、後者は水稲もち米(国内産)でした。
やはり前者の不味い方がより加工されている感じですね。値段はどうだったっけと調べてみると前者は650gで約800円(1g/1.23円)、後者は400gで700円(1g/1.75円)でした。不味い方が少し安いけどあまり大きな違いではないですよね。季節商品という事で特価になっているようです。値上がりまたは売り切れる前にお店に行っておいしい越後生一番(越後製菓株式会社)の方をまとめ買いしようと思いました。
同じ食品でもジュースだったら果汁の量が一定量以上だと「ジュース」でそれ以下だと「ジュース飲料」、チョコレートだったらやはりカカオの量が一定量以上だと「チョコレート」でそれ以下だと「チョコレート類」という感じで名称が違っていますよね?私は大体果汁やココアの含有量が高い物の方が好きだけどたまにはもっと安っぽい、薄い感じの含有量が低い物を選びたい時もあります。どちらの場合も納得済みで選ぶから良いのだけど。
今回のお餅では岩手の生切餅ふっくら小餅(株式会社高橋フーズ)は「もち類」で越後生一番(越後製菓株式会社)は「もち」となってたらもっと分かり易かったのに。違う名称で呼んで貰いたい程風味が違っていました。ほとんど騙されたような気分ですが被害額は800円。これが構造計算偽造のマンションだったら一生の問題です。私が日本に住んでいたら構造計算偽造のマンションを買っていた可能性は否定できないな、人事ではないと思いました。
便乗発表は遠慮または未遂
今朝デザイナーの蒼哉さんが向かいのプロダクション部の絵奈さんにエコー検査の胎児の白黒の写真を見せていました。蒼哉さんはいつもボソボソとしゃべる(ごめんね~、でも本当なの。)ので何を言っていたのかは良く聞こえませんでしたが。でも彼は昨日「病院の予約がある。」と1時間早退していたので、たぶん奥さん(かガールフレンドかな。)の妊娠12週のエコー検査に一緒に行ったのでしょう。ちょうどやはり早めに出勤していたプロダクション部の史彦さんと隣の席の私も写真を見せて貰いました。
史彦さんは子供さんが2人いるようですが、「14年前にジェマが生まれた時とは大違いだな~。鮮明な写真だね。」と感心していました。蒼哉さんは「トム・クルーズは自分の子を妊娠中のケイティ・ホームズの為にエコー検査機を購入したんだって。でもそういうもんじゃないよな。こうやってたまに中の様子を覗いても、後は実際に生まれて対面するまで待つのがまた楽しみなのに。」と話していました。
絵奈さんは「あ~その話ね。子供が生まれた後はどこかの病院にエコー検査機を寄付するとは言ってたけどね~。」と反応していました。蒼哉さんには現在2才位の長女のデイジーちゃんがいます。次もまた女の子が生まれたらポピーちゃんとかお花の名前を付けるのかな。そういえば夫の友人、リッチーさんの所に最近生まれた女の子はリリー・ローズちゃんと名付けられました。お花の名前は流行り?!
蒼哉さんのパートナー、妊娠12週という事は現在15週に入ったばかりの私とあまり変わらないのねとその偶然に感激して「実は私も・・・。」と言いたくなったけど、他の人が注目の的というかスポットライトの中心にいる時に便乗して言うのも配慮がないと思って止めました。そう考えた時に夫と私が結婚したばかりの頃招待されたリッチーさんの友人のカールさんの婚約お披露目パーティーでの1件を思い出してしまいました。
カールさんとその彼女はサウス・ケンジントンにあるカフーツ(Cahoots)というバー/パブのカウンターに気前良くクレジットカードを預けて招待客を飲み放題でもてなしてくれたのですが、その時私は夫、夫の友人のクリフさん、その彼女のMさんと一緒のテーブルに座っていました。夕べも半ばにMさんが突然クリフさんに「ねえ、私達も婚約しましょう。そしてこの席でみんなに発表しちゃいましょう!」と言い出したのです。
「・・・。」黙り込むクリフさん。それぞれ違う理由で心配そうに彼の顔を覗き込むMさんと夫の姿がありました。その一瞬の沈黙の後に夫が「ちょっと・・・。」と席を外してクリフさんを男性用トイレに連れて行き、長い事戻って来ませんでした!不安がるMさんに、「あのクリフさんの沈黙と私の夫の行動からどう考えたって事態はMさんの希望に添っていない事は明らかよね。」とは思ってももちろん言えず。
永遠に続くかと思われた居心地の悪い時間の後やっとクリフさんと夫が戻って来ましたがやはり婚約と便乗婚約発表には至りませんでした。私と夫はクリフさんがそこまでMさんに傾倒している訳では無い事を知っていました。それなのにその場の流れで事を荒立てない為にみんなに好かれて居たいという理由から「Yes」と言いそうになっているクリフさんを心配して夫はトイレで「本当にそれで良いのか?」と聞いていたそう。
ちなみにカールさんとその彼女も結局婚約を解消しました。仕事帰りにパブに行ったり大晦日にはチケット制になる街中のバーで年越しをする時には大抵2人も居たのですが、お互いに惹かれ合いながらも折り合いが悪いようでなんだか毎回の様に途中でケンカしてどちらかがプンプンしながら退場というパターンだったので、まあ予想出来る結末だったかも知れません。
史彦さんは子供さんが2人いるようですが、「14年前にジェマが生まれた時とは大違いだな~。鮮明な写真だね。」と感心していました。蒼哉さんは「トム・クルーズは自分の子を妊娠中のケイティ・ホームズの為にエコー検査機を購入したんだって。でもそういうもんじゃないよな。こうやってたまに中の様子を覗いても、後は実際に生まれて対面するまで待つのがまた楽しみなのに。」と話していました。
絵奈さんは「あ~その話ね。子供が生まれた後はどこかの病院にエコー検査機を寄付するとは言ってたけどね~。」と反応していました。蒼哉さんには現在2才位の長女のデイジーちゃんがいます。次もまた女の子が生まれたらポピーちゃんとかお花の名前を付けるのかな。そういえば夫の友人、リッチーさんの所に最近生まれた女の子はリリー・ローズちゃんと名付けられました。お花の名前は流行り?!
蒼哉さんのパートナー、妊娠12週という事は現在15週に入ったばかりの私とあまり変わらないのねとその偶然に感激して「実は私も・・・。」と言いたくなったけど、他の人が注目の的というかスポットライトの中心にいる時に便乗して言うのも配慮がないと思って止めました。そう考えた時に夫と私が結婚したばかりの頃招待されたリッチーさんの友人のカールさんの婚約お披露目パーティーでの1件を思い出してしまいました。
カールさんとその彼女はサウス・ケンジントンにあるカフーツ(Cahoots)というバー/パブのカウンターに気前良くクレジットカードを預けて招待客を飲み放題でもてなしてくれたのですが、その時私は夫、夫の友人のクリフさん、その彼女のMさんと一緒のテーブルに座っていました。夕べも半ばにMさんが突然クリフさんに「ねえ、私達も婚約しましょう。そしてこの席でみんなに発表しちゃいましょう!」と言い出したのです。
「・・・。」黙り込むクリフさん。それぞれ違う理由で心配そうに彼の顔を覗き込むMさんと夫の姿がありました。その一瞬の沈黙の後に夫が「ちょっと・・・。」と席を外してクリフさんを男性用トイレに連れて行き、長い事戻って来ませんでした!不安がるMさんに、「あのクリフさんの沈黙と私の夫の行動からどう考えたって事態はMさんの希望に添っていない事は明らかよね。」とは思ってももちろん言えず。
永遠に続くかと思われた居心地の悪い時間の後やっとクリフさんと夫が戻って来ましたがやはり婚約と便乗婚約発表には至りませんでした。私と夫はクリフさんがそこまでMさんに傾倒している訳では無い事を知っていました。それなのにその場の流れで事を荒立てない為にみんなに好かれて居たいという理由から「Yes」と言いそうになっているクリフさんを心配して夫はトイレで「本当にそれで良いのか?」と聞いていたそう。
ちなみにカールさんとその彼女も結局婚約を解消しました。仕事帰りにパブに行ったり大晦日にはチケット制になる街中のバーで年越しをする時には大抵2人も居たのですが、お互いに惹かれ合いながらも折り合いが悪いようでなんだか毎回の様に途中でケンカしてどちらかがプンプンしながら退場というパターンだったので、まあ予想出来る結末だったかも知れません。
日本からホリデーで来たお友達
年末に『急なお知らせ』というタイトルのメールが来ました。何か悪いお知らせだったらどうしようとドキドキしながら開けたらお友達のAさんが旦那様のHさんと一緒に年末年始の休暇を利用して日本からパリとロンドンに遊びに来るというお知らせでした。ロンドンでの滞在先を教えてくれたので電話をして待ち合わせをして仕事始めの昨日の夕方に2年ぶりに再会しました。
夫も一緒に4人でコベント・ガーデンにあるザ・ボーターハウスというアイルランド系のビールの醸造所経営のバーに行ってきました。様々な種類のドラフトビールと瓶ビールが売っていましたが、私達は700円の味見セットを頼んでみました。エールを3種類、スタウトを3種類とそれぞれが日本の飲み屋さんで出て来るビールのグラス位のサイズ(150ml程?)に入って出て来ました。
私が飲んだのはそのスタウトお試しセットの中のオイスタービール。有名なギネスビールに似た黒ビールです。このビールは栄養があるから老人ホームでも飲ませるとかどこかで聞いた事があります。Aさんもオイスタービールを選び、Hさんは「生温いビールが飲みたい。」という事でそれはきっとエールの話なのでエールお試しセットを飲みました。
AさんとHさんは年末まで滞在したパリとロンドンを比べて「ロンドンの方が住み易そうだね。」と言っていました。地下鉄もきれいだしホームレスの数も少ない印象だそうです。でも「物価が高いね。」とも言っていました。オイスター・カードというプリペイのカードを使えば多少易くなりますが、普通に買う地下鉄の切符の初乗りは600円ですし最近ポンドに比べて円が安いですものね。
ロンドンでは特に劇場やサッカーなどのチケットを手配する事なくロンドン・ブリッジやシティーの辺りを散歩して楽しんだそうです。30 St Mary Axeやロンドン市庁舎など新しい建物が多くあるのが意外だったそうです。ロンドン市庁舎とゴシック調のタワー・ブリッジ、ロンドン・アイとやはりゴシック調の国会議事堂など新旧の建物のスタイルの対比が私も好きです。
使った飛行機会社は英国航空でほぼ水平になって横に視線除けのスクリーンまで出せるシートにかけて快適なフライトで機内食もおいしかったそうです。英国航空に対してかなり良い印象を持っているようなので、実は昔新規参入のライバルの航空会社を潰そうとしてdirty trickと呼ばれる手段を選ばぬ強引さを発揮したのを知ってるか聞いたらやはり知りませんでした。
夫はイギリス人で当時もイギリス在住だったから知っているのは当然ですが、私もテレビでドキュメンタリー番組を見たり、リチャード・ブランソンさん(ヴァージン・レコードやヴァージン・アトランティック航空等の創立者)の『ヴァージン—僕は世界を変えていく』を読み英国航空のやり方の汚さに驚きました。「イギリスは紳士の国だと思っていたのに~。」というHさんに「それは残念ながら昔の話だね~。」という夫の返事でした。
バランスを取る為にも当時の英国航空の経営陣に居た人の書いた当時の様子も読んでみたいと思うけどたぶんそういう本は無いです。ところでリチャード・ブランソさんの原書名は『Loosing My Virginity』だったんですよ。きわどいタイトルが邦題では度が過ぎるという事で無難な物に変更されたのかな。夫は1999年のクリスマスプレゼントの1つとしてこの本を貰ったのです。

ヴァージン―僕は世界を変えていく
Hさんのお仕事は不動産関係なので今日本のテレビや新聞に毎日の様に出て来る耐震偽造について聞いてみました。私が疑問に思っていたのは耐震偽造して節約した経費を業者が懐に入れていたのか販売価格に反映させていたのかです。もし販売価格に反映させていたのなら一般の人でも「この物件は同条件の他の物件に比べて格安なのはなぜか。」って疑問に思わなかったのかって。
Hさんによると「問題の物件は他より安かったから何かおかしいと分かる人は分かったはず。」という事ですが、やっぱり彼は専門家だから気がつくのかも知れませんね。蚤の市のアンティークとは違って新築の不動産には掘り出し物は無いんですね。あまりにもお買い得物件には裏があって、その裏が何かを確認して納得の上での購入なら良いけど今回のように全く知らされないのは酷いです。
AさんもHさんもお仕事も順調そうでその上Hさんは資格試験のために学校に通って勉強もしているそうです。最近お引っ越しもしたそうだし充実した日々を過ごしているようで良かったです。これは夫が2人に初めて会った1999年に既に気がついていた事なんですけど、2人は頷き方その他の仕草が似ているんです。これは仲の良さの現れですよね、見ているとほのぼのしてしまいます。
結婚当初は全然違う顔つきの夫婦でもお互いの表情をコピーしあっている内に知らず知らず同じ筋肉を動かすので同じ部分が発達したり、年を取れば同じ所に皺が出たりするそうです。たまにいらっしゃいますよね、ご夫婦というより血のつながった姉弟または兄妹かなんて思ってしまう程お顔の似たカップルが。AさんもHさんも将来はそういう感じになるのかなと思いました。
最後にAさんは「もっと英語が出来れば・・・。」と夫を気遣ってくれ、夫も「もっと日本語が出来れば・・・。」と言いつつ双方ともなんとか会話を成り立たせていて私はとても嬉しかったです。私達がいつ日本に里帰りできるのか、しかも東京に寄れるかは分からないけど次に会える時をまた楽しみにしています。また近々ロンドンに遊びに来てくれると嬉しいです。
2005年は5月に私の高校時代の同級生のお母様が在英中のもう1人の娘さんを訪問ついでに私達にも会ってタイ料理を御馳走してくださったし、8月にはカナダから夫の元同僚のマイケルが泊まりがけで遊びに来てくれたし、10月には私が留学生だった頃に知り合った陽子さんがやはり泊まりがけで遊びにきてくれた当たり年(?)でした。
珍しいんですよ、こんなに続けて海外のお友達がイギリスを訪ねてくれるのは。大抵はヨーロッパの方に来ても大陸止まりなんですよね。フランスとかイタリアが大人気でイギリスまで足を伸ばしてくれる人はあまり居ないんです。気持ちは分かるんですけどね。イギリスは住み易いけど旅の楽しみは観光の他には食事とお買い物ですものね。その両方イギリスはヨーロッパに負けます。
でもね、AさんとHさんも「意外とレストランでの食事がおいしかった。」というように、最近では食べ物も昔よりは良くなって来ていて評判のレストランはたくさんあります。テムズ河沿いには10年前には無かった近未来的な建物が立っているし建築散歩も楽しいですよ。後やはりAさんとHさんがしたようにブリジット・ジョーンズの家を見に行ったりと映画のロケ現場散歩も面白いです。みんなもっと遊びに来て~!
夫も一緒に4人でコベント・ガーデンにあるザ・ボーターハウスというアイルランド系のビールの醸造所経営のバーに行ってきました。様々な種類のドラフトビールと瓶ビールが売っていましたが、私達は700円の味見セットを頼んでみました。エールを3種類、スタウトを3種類とそれぞれが日本の飲み屋さんで出て来るビールのグラス位のサイズ(150ml程?)に入って出て来ました。
私が飲んだのはそのスタウトお試しセットの中のオイスタービール。有名なギネスビールに似た黒ビールです。このビールは栄養があるから老人ホームでも飲ませるとかどこかで聞いた事があります。Aさんもオイスタービールを選び、Hさんは「生温いビールが飲みたい。」という事でそれはきっとエールの話なのでエールお試しセットを飲みました。
AさんとHさんは年末まで滞在したパリとロンドンを比べて「ロンドンの方が住み易そうだね。」と言っていました。地下鉄もきれいだしホームレスの数も少ない印象だそうです。でも「物価が高いね。」とも言っていました。オイスター・カードというプリペイのカードを使えば多少易くなりますが、普通に買う地下鉄の切符の初乗りは600円ですし最近ポンドに比べて円が安いですものね。
ロンドンでは特に劇場やサッカーなどのチケットを手配する事なくロンドン・ブリッジやシティーの辺りを散歩して楽しんだそうです。30 St Mary Axeやロンドン市庁舎など新しい建物が多くあるのが意外だったそうです。ロンドン市庁舎とゴシック調のタワー・ブリッジ、ロンドン・アイとやはりゴシック調の国会議事堂など新旧の建物のスタイルの対比が私も好きです。
使った飛行機会社は英国航空でほぼ水平になって横に視線除けのスクリーンまで出せるシートにかけて快適なフライトで機内食もおいしかったそうです。英国航空に対してかなり良い印象を持っているようなので、実は昔新規参入のライバルの航空会社を潰そうとしてdirty trickと呼ばれる手段を選ばぬ強引さを発揮したのを知ってるか聞いたらやはり知りませんでした。
夫はイギリス人で当時もイギリス在住だったから知っているのは当然ですが、私もテレビでドキュメンタリー番組を見たり、リチャード・ブランソンさん(ヴァージン・レコードやヴァージン・アトランティック航空等の創立者)の『ヴァージン—僕は世界を変えていく』を読み英国航空のやり方の汚さに驚きました。「イギリスは紳士の国だと思っていたのに~。」というHさんに「それは残念ながら昔の話だね~。」という夫の返事でした。
バランスを取る為にも当時の英国航空の経営陣に居た人の書いた当時の様子も読んでみたいと思うけどたぶんそういう本は無いです。ところでリチャード・ブランソさんの原書名は『Loosing My Virginity』だったんですよ。きわどいタイトルが邦題では度が過ぎるという事で無難な物に変更されたのかな。夫は1999年のクリスマスプレゼントの1つとしてこの本を貰ったのです。

ヴァージン―僕は世界を変えていく
Hさんのお仕事は不動産関係なので今日本のテレビや新聞に毎日の様に出て来る耐震偽造について聞いてみました。私が疑問に思っていたのは耐震偽造して節約した経費を業者が懐に入れていたのか販売価格に反映させていたのかです。もし販売価格に反映させていたのなら一般の人でも「この物件は同条件の他の物件に比べて格安なのはなぜか。」って疑問に思わなかったのかって。
Hさんによると「問題の物件は他より安かったから何かおかしいと分かる人は分かったはず。」という事ですが、やっぱり彼は専門家だから気がつくのかも知れませんね。蚤の市のアンティークとは違って新築の不動産には掘り出し物は無いんですね。あまりにもお買い得物件には裏があって、その裏が何かを確認して納得の上での購入なら良いけど今回のように全く知らされないのは酷いです。
AさんもHさんもお仕事も順調そうでその上Hさんは資格試験のために学校に通って勉強もしているそうです。最近お引っ越しもしたそうだし充実した日々を過ごしているようで良かったです。これは夫が2人に初めて会った1999年に既に気がついていた事なんですけど、2人は頷き方その他の仕草が似ているんです。これは仲の良さの現れですよね、見ているとほのぼのしてしまいます。
結婚当初は全然違う顔つきの夫婦でもお互いの表情をコピーしあっている内に知らず知らず同じ筋肉を動かすので同じ部分が発達したり、年を取れば同じ所に皺が出たりするそうです。たまにいらっしゃいますよね、ご夫婦というより血のつながった姉弟または兄妹かなんて思ってしまう程お顔の似たカップルが。AさんもHさんも将来はそういう感じになるのかなと思いました。
最後にAさんは「もっと英語が出来れば・・・。」と夫を気遣ってくれ、夫も「もっと日本語が出来れば・・・。」と言いつつ双方ともなんとか会話を成り立たせていて私はとても嬉しかったです。私達がいつ日本に里帰りできるのか、しかも東京に寄れるかは分からないけど次に会える時をまた楽しみにしています。また近々ロンドンに遊びに来てくれると嬉しいです。
2005年は5月に私の高校時代の同級生のお母様が在英中のもう1人の娘さんを訪問ついでに私達にも会ってタイ料理を御馳走してくださったし、8月にはカナダから夫の元同僚のマイケルが泊まりがけで遊びに来てくれたし、10月には私が留学生だった頃に知り合った陽子さんがやはり泊まりがけで遊びにきてくれた当たり年(?)でした。
珍しいんですよ、こんなに続けて海外のお友達がイギリスを訪ねてくれるのは。大抵はヨーロッパの方に来ても大陸止まりなんですよね。フランスとかイタリアが大人気でイギリスまで足を伸ばしてくれる人はあまり居ないんです。気持ちは分かるんですけどね。イギリスは住み易いけど旅の楽しみは観光の他には食事とお買い物ですものね。その両方イギリスはヨーロッパに負けます。
でもね、AさんとHさんも「意外とレストランでの食事がおいしかった。」というように、最近では食べ物も昔よりは良くなって来ていて評判のレストランはたくさんあります。テムズ河沿いには10年前には無かった近未来的な建物が立っているし建築散歩も楽しいですよ。後やはりAさんとHさんがしたようにブリジット・ジョーンズの家を見に行ったりと映画のロケ現場散歩も面白いです。みんなもっと遊びに来て~!
国際結婚の増加
『国際結婚は15組に1組 昨年まとめ』という記事が朝日新聞のホームページに載っていました。過去最多だそうです。日本国内で届けられた国際結婚は8割近くは夫日本人、妻外国人の組み合わせで、日本国外で届けられた国際結婚は85%は妻日本人、夫外国人の組み合わせだったそうです。国際結婚をした日本人男性が選んだ相手は中国人が38%、フィリピン26%、韓国・朝鮮18%で、国際結婚をした日本人女性が選んだ相手は米国人24%、韓国・朝鮮17%、中国10%だそうです。
日本国内では国際結婚カップルでは夫が日本人という組み合わせに偏っていて、国外ではそれが逆転する所が面白いですね。日本で15組に1組ならイギリスなら5組に1組という感じがしますが、それはきっと私がロンドン在住で自分が国際結婚していて「類は友を呼ぶ」になっているからそう感じるだけで実際はもっと低いかもしれません。また、日本人かは分からないけど「見かけがオリエンタルとそれ以外の人種」というカップルは99%は女性がオリエンタルという感じです。
日本人の私とイギリス人の夫はその典型的パターンにしっかり当てはまっています。これでもし夫が同級生ではなくて私よりずっと年上だったら、私はメールオーダーで来た花嫁と思われたりしてと冗談で話しています。以前にテレビのドキュメンタリー番組で見たんですよ。年配の男性がタイから花嫁をメールオーダーしたり、嫁不足の農村の若い男性がしゃべらなければ見かけは同じなのが良いって東欧からやはり花嫁を輸入したり。両性合意の上なら構わなとはいえ女性がまるで商品扱いされているのが悲しいですね。
日本国内では国際結婚カップルでは夫が日本人という組み合わせに偏っていて、国外ではそれが逆転する所が面白いですね。日本で15組に1組ならイギリスなら5組に1組という感じがしますが、それはきっと私がロンドン在住で自分が国際結婚していて「類は友を呼ぶ」になっているからそう感じるだけで実際はもっと低いかもしれません。また、日本人かは分からないけど「見かけがオリエンタルとそれ以外の人種」というカップルは99%は女性がオリエンタルという感じです。
日本人の私とイギリス人の夫はその典型的パターンにしっかり当てはまっています。これでもし夫が同級生ではなくて私よりずっと年上だったら、私はメールオーダーで来た花嫁と思われたりしてと冗談で話しています。以前にテレビのドキュメンタリー番組で見たんですよ。年配の男性がタイから花嫁をメールオーダーしたり、嫁不足の農村の若い男性がしゃべらなければ見かけは同じなのが良いって東欧からやはり花嫁を輸入したり。両性合意の上なら構わなとはいえ女性がまるで商品扱いされているのが悲しいですね。
デジタル写真とビデオの整理
家族日記とアルバムのホスト会社が最近ASP(Active Server Pages)サポートを中止したので新しいホスト会社を見つけて引っ越ししました。夫がデータベースをプログラムして私がHTMLを使わなくても日記と写真の更新ができるようにしてあり、それがなくなると困るからです。
夫がサイトの内容を職場のコンピューターのHDにバックアップしたものの運悪くそのHDが半分壊れてしまい、何とかバックアップしたファイルを新しいアドレスにアップロードしたけれどサムネイルが一部正しく表示されていません。で、仕方なく私のコンピューターのHDのバックアップからアップロードし直しています。
その作業の途中で日付などが間違っているのを見つけては修正もしているのでなかなか前に進みません。というか点検作業中に昔の写真に見入っているから進まないんです。更に私の隣では夫がデジタルビデオの録画内容をDVDに焼く作業を始め、その映像をテレビに写しているのでそれにも気をとられています。
写真とビデオを比べてみると、カメラは私が撮影、ビデオは夫が撮影するので私は動画にばかり夫は静止画にばかり登場します。そしてもちろん一番多く写っているのは香蓮なのですが、カメラで捉えた瞬間も良いけれどやっぱりビデオの臨場感は凄いです。音と動きって強く記憶を呼び起こしますね。
ビデオは撮りっぱなしで普段再生して見る事はほとんど無いのでとても新鮮でした。夫が今日DVDに焼いていたのは香蓮が1才半の頃に録画した物で当たり前だけどガー、グーとかわいい音は出すけど言葉はパパとママ位で全然しゃべらないのが不思議な感じでした。
歩き方も両腕を上げてひょこひょこと行く様子が『モンスター・インク』に出て来るブーという幼い女の子にそっくりでした。前に牛乳配達の集金係さんに「ブーにそっくり。」と言われた時は、単に同じオリエンタル系に見えるという事かしらと理解したのですが、やっぱり同じ年頃で動きも似ていたからそう言われたんでしょうね。
体型も顔つきも香蓮の素は入っているけど全然違っていて面白かったです。そして忘れていた癖、例えばすぐに「ガーッ」と言って人を驚かせようとする、ビデオカメラの液晶画面を見える様にしてやると喜ぶ、近づいて来てレンズに蓋をしようとするなども思い出し懐かしさに浸ったクリスマス・ホリデー最後の一日でした。

モンスターズ・インク
夫がサイトの内容を職場のコンピューターのHDにバックアップしたものの運悪くそのHDが半分壊れてしまい、何とかバックアップしたファイルを新しいアドレスにアップロードしたけれどサムネイルが一部正しく表示されていません。で、仕方なく私のコンピューターのHDのバックアップからアップロードし直しています。
その作業の途中で日付などが間違っているのを見つけては修正もしているのでなかなか前に進みません。というか点検作業中に昔の写真に見入っているから進まないんです。更に私の隣では夫がデジタルビデオの録画内容をDVDに焼く作業を始め、その映像をテレビに写しているのでそれにも気をとられています。
写真とビデオを比べてみると、カメラは私が撮影、ビデオは夫が撮影するので私は動画にばかり夫は静止画にばかり登場します。そしてもちろん一番多く写っているのは香蓮なのですが、カメラで捉えた瞬間も良いけれどやっぱりビデオの臨場感は凄いです。音と動きって強く記憶を呼び起こしますね。
ビデオは撮りっぱなしで普段再生して見る事はほとんど無いのでとても新鮮でした。夫が今日DVDに焼いていたのは香蓮が1才半の頃に録画した物で当たり前だけどガー、グーとかわいい音は出すけど言葉はパパとママ位で全然しゃべらないのが不思議な感じでした。
歩き方も両腕を上げてひょこひょこと行く様子が『モンスター・インク』に出て来るブーという幼い女の子にそっくりでした。前に牛乳配達の集金係さんに「ブーにそっくり。」と言われた時は、単に同じオリエンタル系に見えるという事かしらと理解したのですが、やっぱり同じ年頃で動きも似ていたからそう言われたんでしょうね。
体型も顔つきも香蓮の素は入っているけど全然違っていて面白かったです。そして忘れていた癖、例えばすぐに「ガーッ」と言って人を驚かせようとする、ビデオカメラの液晶画面を見える様にしてやると喜ぶ、近づいて来てレンズに蓋をしようとするなども思い出し懐かしさに浸ったクリスマス・ホリデー最後の一日でした。

モンスターズ・インク
少数派
このクリスマスに夫の実家に遊びに行き義理の母のPCを借りて気がついたのですが、このアメブロの「新しい記事を書く」画面にはMacintoshでは見られないたくさんの便利な機能がついているのですね。今まで文字の大きさや色を変えたりリンクを貼ったりするのは皆さんHTMLでコーディングをしていらっしゃるのかと思っていたら違いました。ボタン1つでできるんですね、PCユーザーだと!
私は家でも職場でもMacintoshユーザーで普段ブラウザーはSafariを使っているのですが、Internet Explorerを使ってみても結果は同じでした。便利なボタンは一切出て来ないです。HTMLも良く知らない私は仕方なく他の方のページでブラウザーの「ソースを表示」を利用してリンクのコードなどを見て覚えていました。リンクや自分のブログのアドレスなどは辞書に登録して使っています。
このブログは無料で使わせて貰える代わりに広告が入りますが、この広告も11月頃までは最新の記事にあるキーワードに関連した広告が入っていて、毎回記事の内容と関連した広告が出る様子を興味深く見ていました。もちろん機械が全部自動でやっているんでしょうけどね。それが最近どうやらブログのジャンルに関連した広告しか入らないようになったみたい。
とは言っても私のジャンルは日記・ブログでテーマは限らず書いていますが、一番多いのは「職場」に関する記事です。サブタイトルにも上司とか同僚と書いてあるので広告の分野を割り当てる機械か人がそれに反応したのか、この頃は「派遣の仕事探し」だったり「通信制高校で高卒資格取得」だったりと仕事とか資格関連の広告しか出ない様になりました。
最後にこれは積極的にアメブロさんになんとかして欲しいと思うのが、新しい記事をアップする度に付くアダルト関連のページからのトラックバック。記事をアップした後しばらくして戻って来ると3つ4つは必ず付いているので即消すのですが毎回だと面倒臭いです。でも大晦日と元旦の今日は何も付いて来ない!機械が自動でやっていると思ったけど実は人が手作業でやってるのかしら。
私は家でも職場でもMacintoshユーザーで普段ブラウザーはSafariを使っているのですが、Internet Explorerを使ってみても結果は同じでした。便利なボタンは一切出て来ないです。HTMLも良く知らない私は仕方なく他の方のページでブラウザーの「ソースを表示」を利用してリンクのコードなどを見て覚えていました。リンクや自分のブログのアドレスなどは辞書に登録して使っています。
このブログは無料で使わせて貰える代わりに広告が入りますが、この広告も11月頃までは最新の記事にあるキーワードに関連した広告が入っていて、毎回記事の内容と関連した広告が出る様子を興味深く見ていました。もちろん機械が全部自動でやっているんでしょうけどね。それが最近どうやらブログのジャンルに関連した広告しか入らないようになったみたい。
とは言っても私のジャンルは日記・ブログでテーマは限らず書いていますが、一番多いのは「職場」に関する記事です。サブタイトルにも上司とか同僚と書いてあるので広告の分野を割り当てる機械か人がそれに反応したのか、この頃は「派遣の仕事探し」だったり「通信制高校で高卒資格取得」だったりと仕事とか資格関連の広告しか出ない様になりました。
最後にこれは積極的にアメブロさんになんとかして欲しいと思うのが、新しい記事をアップする度に付くアダルト関連のページからのトラックバック。記事をアップした後しばらくして戻って来ると3つ4つは必ず付いているので即消すのですが毎回だと面倒臭いです。でも大晦日と元旦の今日は何も付いて来ない!機械が自動でやっていると思ったけど実は人が手作業でやってるのかしら。
あけましておめでとうございます!
みなさん良い年末とお正月をお過ごしでしょうか。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
お正月らしい日本食の在庫は無い状態で年越しとなりました。ワイト島から戻って来てから宅配の日本食を注文しようとしたら、既に年内の配送の受付は終わっていました。それでも新年早々夫の職場に届く様にして米、餅、調味料などを注文しました。年越しのための日本食を入手するにはもう街の中心部の日本食料品店に直接出向くしかなかったのですが、この大晦日は前日に続いて街に買い物に出る気が起きませんでした。
日本に住んでいたら近所のコンビニエンスストアに走ればお餅やパックに入ったご飯が簡単に手に入るのにね~。結局近所のスーパーで椎茸、大根、人参は入手できたのでそれにベーコンと鶏肉を加えてお雑煮を作りました。肝心の餅なしのお雑煮、鮪の照り焼き、ほうれん草のおひたし、タイ米という「気持ちだけ」和風の2005年最後の夕食になりました。
午前12時を回ると同時に始まったロンドンのウエストミンスター橋近くのテムズ河で行われた花火は奇麗で迫力がありました。とは言っても私はテレビで見たのですが。10分から15分程続いた花火は構成にメリハリがあり、ロンドン・アイという近未来的なデザインの観覧車を上手に使っていました。観覧車の向かいにはライトアップされたゴシック調のビッグ・ベンと国会議事堂があり背景も素敵でした。
実際に花火の打ち上げを見に行った年もありますがこれが大変なんですよ~。まず人混みの整理のためにあちこちで道路が封鎖されていて思う様な方向に進めませんし、日本と違ってに公衆トイレの数は少ないし、仮設のトイレが設置される訳でもありません。街中のホテルは宿泊客以外はシャットアウトするしパブやレストランも事前購入したチケットが無いと入れなかったりするのです。
2005年を振り返ると家庭内ニュースとしてはまず私の再就職。アートカレッジ卒業後6年間程勤めていた会社が業務縮小する事になり失業者として年明けを迎え、フリーランスとしての4ヵ月の試用期間を経て9月1日付けで無事に正社員採用されました。年末に昇給とボーナスもあり前の職場と比べて年収が約20%増えて、職場環境も通勤環境も好転してもう言う事なしです!
そして夫の趣味の映画製作。2004年に通ったPanicoのコースで知り合った人達を中心に自主制作の映画を制作していて、未だに大賞は獲得していないものの様々なコンテストでファイナリストに選ばれたり次点に入ったりと着実に結果が出てきています。何より好きな事をして生き生きしている夫を見るのが嬉しいし、夫がコースで知り合った人達とは私もお友達になれました。イギリス人の女性のお友達が出来たのは渡英11年目にして初めてです!
娘はかつてのバスと地下鉄に乗って片道45分(通常の通勤路を外れて保育園まで送り迎えをしていた私達は片道1時間半。)かけて私立の保育園に通う生活から解放されて近所の公立保育園に入園、秋から同じ建物の中にある公立小学校に進学しました。朝夕と預かって貰っている私立保育園では他の学校に通う様々な年齢のお友達も出来て楽しい毎日を過ごしています。
家族全員大きな怪我も病気もせず健康に過ごせ、秋には2人目の赤ちゃんを妊娠している事が確認できました。幸い1人目の香蓮の時と同じく多少疲れ易いという以外はつわりも無く普段とほぼ変わらない生活ができています。クリスマスにアルコールが飲めなかったりスティルトンやブリー、パルマハム、レバーのパテなど食べられない物が多いのは悲しいですがそれも赤ちゃんに会う為なら何て事はないです。
今年も家族全員健康で、家庭と仕事と趣味の全部をバランス良く楽しめる年になると良いなと思っています。
お正月らしい日本食の在庫は無い状態で年越しとなりました。ワイト島から戻って来てから宅配の日本食を注文しようとしたら、既に年内の配送の受付は終わっていました。それでも新年早々夫の職場に届く様にして米、餅、調味料などを注文しました。年越しのための日本食を入手するにはもう街の中心部の日本食料品店に直接出向くしかなかったのですが、この大晦日は前日に続いて街に買い物に出る気が起きませんでした。
日本に住んでいたら近所のコンビニエンスストアに走ればお餅やパックに入ったご飯が簡単に手に入るのにね~。結局近所のスーパーで椎茸、大根、人参は入手できたのでそれにベーコンと鶏肉を加えてお雑煮を作りました。肝心の餅なしのお雑煮、鮪の照り焼き、ほうれん草のおひたし、タイ米という「気持ちだけ」和風の2005年最後の夕食になりました。
午前12時を回ると同時に始まったロンドンのウエストミンスター橋近くのテムズ河で行われた花火は奇麗で迫力がありました。とは言っても私はテレビで見たのですが。10分から15分程続いた花火は構成にメリハリがあり、ロンドン・アイという近未来的なデザインの観覧車を上手に使っていました。観覧車の向かいにはライトアップされたゴシック調のビッグ・ベンと国会議事堂があり背景も素敵でした。
実際に花火の打ち上げを見に行った年もありますがこれが大変なんですよ~。まず人混みの整理のためにあちこちで道路が封鎖されていて思う様な方向に進めませんし、日本と違ってに公衆トイレの数は少ないし、仮設のトイレが設置される訳でもありません。街中のホテルは宿泊客以外はシャットアウトするしパブやレストランも事前購入したチケットが無いと入れなかったりするのです。
2005年を振り返ると家庭内ニュースとしてはまず私の再就職。アートカレッジ卒業後6年間程勤めていた会社が業務縮小する事になり失業者として年明けを迎え、フリーランスとしての4ヵ月の試用期間を経て9月1日付けで無事に正社員採用されました。年末に昇給とボーナスもあり前の職場と比べて年収が約20%増えて、職場環境も通勤環境も好転してもう言う事なしです!
そして夫の趣味の映画製作。2004年に通ったPanicoのコースで知り合った人達を中心に自主制作の映画を制作していて、未だに大賞は獲得していないものの様々なコンテストでファイナリストに選ばれたり次点に入ったりと着実に結果が出てきています。何より好きな事をして生き生きしている夫を見るのが嬉しいし、夫がコースで知り合った人達とは私もお友達になれました。イギリス人の女性のお友達が出来たのは渡英11年目にして初めてです!
娘はかつてのバスと地下鉄に乗って片道45分(通常の通勤路を外れて保育園まで送り迎えをしていた私達は片道1時間半。)かけて私立の保育園に通う生活から解放されて近所の公立保育園に入園、秋から同じ建物の中にある公立小学校に進学しました。朝夕と預かって貰っている私立保育園では他の学校に通う様々な年齢のお友達も出来て楽しい毎日を過ごしています。
家族全員大きな怪我も病気もせず健康に過ごせ、秋には2人目の赤ちゃんを妊娠している事が確認できました。幸い1人目の香蓮の時と同じく多少疲れ易いという以外はつわりも無く普段とほぼ変わらない生活ができています。クリスマスにアルコールが飲めなかったりスティルトンやブリー、パルマハム、レバーのパテなど食べられない物が多いのは悲しいですがそれも赤ちゃんに会う為なら何て事はないです。
今年も家族全員健康で、家庭と仕事と趣味の全部をバランス良く楽しめる年になると良いなと思っています。