『正欲』 (2023) 岸善幸監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

岸善幸監督+朝井リョウ原作の作品。これまで朝井リョウ原作の映画化作品では、『桐島、部活やめるってよ』『何者』『少女は卒業しない』を観てきたが、最も心に残った作品。

 

稲垣吾郎演じる検事の寺井は「正しいもの」「普通のもの」の象徴として描かれている。彼は、不登校の息子を学校に戻そうとしたり、世間の常識に当てはまらないものを「バグ」と呼んで排除しようとする。多様性・ダイバーシティを頭では理解している我々観客は、寺井の側にはいないぞと思って観ているのだが、その確信が徐々に揺らいでくる。劇中で放たれる諸橋大也の「なんであくまで自分は理解する側だと思ってるんだよ」というセリフが突き刺さる。それは「自分は正しい側にいて、哀れなマイノリティを『理解してあげる』立場だ」と思い込んでいる観客の傲慢さを指摘したものである(この作品で、特筆すべきは大学生二人を演じた佐藤寛太と東野絢香の圧倒的な存在感)。
 

寺井そして観客は、無意識のうちに「自分が他者を『正常か異常か』ジャッジする側」というポジションに座っている。しかし物語が進むにつれ、観客は「ジャッジされる側」の圧倒的な孤独と、誰にも迷惑をかけずにただ生きたいという切実な願いに触れる。そこで初めて、「理解できないものを、理解できないまま、ただそこに存在することを許しジャッジしない」ことこそが真の多様性であり、自分がいかに傲慢な位置から他者を見ていたかに気づかされる。


そこには「都合の良い多様性」への批判がある。現代社会で礼賛される「多様性」が、実は自分たちが理解・共感できる範囲にしか向けられておらず、本当に理解しがたい異質な欲求や存在に対しては残酷な排除や無関心に向かう構造を暴いていると感じる。つまり、我々も結局は寺井の側なのではないかという問題意識を突き付けているのがこの作品の主題だろう。

 

そうして考えると、異常と正常の境界があいまいになってくる。それは『正欲』のタイトルがイメージするところ。映画内では小児性愛は指弾すべき行為とされていて、それは勿論当然なのだが、それではゼロからAI生成された児童ポルノはどうなのだろうと考えてしまった。ゲームの中で人を殺しても殺人罪に問われることはないのと同等なのではないか。生成AIが急速に進化する中、かつての価値観や道徳観が通用しない時代が来るのかもしれない。

 

そしてこの映画を観て感じたことは、『正欲』は『生欲』とのダブルミーニングなのだろうということ。生きる欲求が存在意義の原動力だとすれば、生きづらさを抱えた生き方からの脱却には自他ともに異質性の理解が必要なのだろう。作中のマイノリティの人々にとって、この作品で描かれている「水」への指向は単なる性的な嗜好にとどまらず、マジョリティの社会で異分子として排除され、「自分は生きていてはいけないのではないか」という絶望から踏みとどまるための、唯一の「生欲(生きたいという欲求)」なのだろう

 

そして新垣結衣演じる桐生夏月が最後に言う「いなくならないから」という言葉が全てだろう。この言葉を共有できる相手と出会うことが他者とのつながりにおいて最強かつ唯一無二の支えであると感じた。

 

★★★★★★ (6/10)

 

『正欲』予告編