『アメリカン・フィクション』 (2023) コード・ジェファーソン監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

アメリカにはオフィシャルには「人種差別はない」ということになっているらしい。勿論、そんなことは虚構だと誰もが知っているが、一口に人種差別といっても、かなり複雑であるということがこの映画を観てよく分かる。そして人の認識も時代とともに変化していて、そのリアルな部分は結局当事者しか分からないのだろう。

 

そのことを感じたのは、2018年(第91回)アカデミー賞授賞式での出来事。作品賞は『グリーンブック』が受賞したが、その受賞を不服とするスパイク・リーが怒ってその場を立ち去ろうとしたことが印象的だった。貧富の差がある白人と黒人の交流と言えば、1989年アカデミー賞作品賞を受賞した『ドライビング Miss デイジー』がある。それから30年近く経って、人種を越えた交流という同じ題材でありながら、スパイク・リーが不服だったのはそれが「白人の救世主(white savior)」の物語だったから。自分も『グリーンブック』の鑑賞後に「上から目線」的な違和感を覚えないでもなかった。非黒人にとってはハートウォーミングな物語が、黒人にとっては差別的な内容であるということは30年の間の認識の変化だろう。

 

セロニアス・モンク・エリソンは才能ある作家だったが、出版社の反応はイマイチ。世の中はもっと「黒人らしい文学」を求めているという現実にうんざりしていた。彼はしばらく家族と疎遠だったが、久しぶりに会った母親は認知症を患い始めており、完全介護の施設に入れる必要があった。売れない作家には大きな負担であり、頼りは医者の妹。しかしその妹が急死し、モンクは経済的に追い詰められてしまう。そこで半ばヤケクソで思いっきりステレオタイプな黒人の物語を書いてみると、それが彼の予想に反してベストセラーになってしまう。

 

人種差別という現実に、スパイク・リーやバリー・ジェンキンスは怒りをもって創作のモチベーションとしている。そのセンシティブな題材をあくまでコミカルに、痛烈な風刺をもって描いた本作は、実にクレバーな作品だと感じた。「~らしさ」を求めるという「ラベリング」が差別になるということは、例えば「女らしさ」を女性に求めればそれが性差別になるという構図に似ている。

 

また浅薄な技巧をもって大衆に迎合した「芸術」が、専門家からも評価され、大衆にも熱狂的に受け入れられるという状況を描くことは、かなり痛烈な皮肉だった。自分が思い出したのは佐村河内守氏の一件。新垣隆氏の大衆に迎合する作品が優れた芸術だとして世に受け入れられた状況は、まさにこの作品の描いた状況を地で行くものだった(佐村河内氏を描いた森達也監督のドキュメンタリー映画『FAKE』はかなり面白いのでお勧め)。

 

テンポもよく、楽しみながら観た後に、いろいろと考えさせられる深みのある作品。アカデミー脚色賞を受賞しただけのことはある。お勧め。

 

★★★★★★ (6/10)

 

『アメリカン・フィクション』予告編