『ある男』 (2022) 石川慶監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

大学では物理学を専攻。その学生時代に映画制作に興味を持ち、卒業後にポーランド国立学校で映画を学んだという異色のキャリアを持つ石川慶監督。本作は平野啓一郎の原作を映画化したものだが、これまで石川慶監督が撮ってきた長編作品はいずれも原作のある作品。デビュー作の『愚行録』(2017)以降、『蜜蜂と遠雷』(2019)、『Arc アーク』(2021)と、全く違った趣向の原作を基に丹念に作られた作品という印象はあるものの、個人的にはさほど刺さるところはなかった。その印象が一変したのは、後追いで観たショートフィルムの『点』(2017)だった。原作のある長編作品と違って監督のオリジナル脚本による26分の小品は、14年ぶりに再会した高校時代の恋人二人のつかの間の心の交流を描いた秀作だった(その作品での山田孝之の演技は秀逸)。

 

本作は、これまでの長編作品とは再びがらりと趣向を変え、ミステリー作品のようなサスペンス的要素を持ちながらも、社会問題の提言を内包した深みのある原作のよさをそのまま映像化した作品。

 

弁護士の城戸は、かつて離婚調停の依頼者であった里枝から亡き夫・大祐の身元調査を依頼される。彼女は離婚後、子供と共に戻った故郷で大祐と出会い、彼と再婚して幸せな家庭を築いていた。しかし大祐は不慮の事故で急死してしまう。その一周忌の法要で、疎遠になっていた大祐の兄が遺影を見て大祐ではないと告げたことで、夫が全くの別人であることが判明する。城戸は大祐になりすましていた男の素性を追ううち、他人として生きた男への複雑な思いを募らせていく。

 

サスペンス的要素はあくまでエンターテインメント性を作品にもたせる撒き餌のようなものであり、作品の本質は社会問題に対する問題意識だろう。その最たるものが差別問題。

 

弁護士の城戸は在日三世。その設定がくどいほど繰り返し突き付けられるが、「その設定いる?」と感じた人はこの作品の本質を理解していないと思われる。

 

大祐改め「ある男X」は、自分の力ではどうしようもないことで自分の評価がされる人間。「ある男X」と城戸の共通項はそこにあり、そのレッテル貼りが差別である。その差別に対して、アイデンティティを変えることでそのレッテルをはがそうとすることが戸籍詐称という「ある男X」の行動になっている。エンディングのシーンの意味は、戸籍詐称までは至らないまでも「ある男X」の行動を城戸が真似ることで、レッテルを貼られた者の苦悩を物語っていた。この作品のテーマを語る上ではエンディングのシーンは不可欠。

 

作品の中で死刑の廃止を訴える市民団体の集まりが描かれているが(城戸が人権弁護士というのもそれに通じる設定)、罪を犯した者であっても変わることができるという「修復的司法」の考えを示すことで、この作品のテーマを上塗りしている。

 

この含蓄深い作品を質の高いものにしているのは、出演俳優の演技であることは言うまでもないが、特筆すべきは戸籍入れ替えの詐欺師を演じた柄本明。彼のいかにもいかがわしい関西弁が「偽物感」を印象付けていた。

 

この作品はメジャー作品にありがちな説明過多ではない。その一例を挙げると(本物の)谷口大祐が、なぜ戸籍を売るほどまで思い詰めたかという説明は一切なされておらず、それは観客の想像に委ねられている。そしてそのことは、現実に起きている世の中の戸籍を売る者が、様々な理由でそうした犯罪行為に走らせているであろうことに思いを至らせる。

 

繰り返せば、この作品の面白さはストーリーもさることながら、その背景に深刻な社会問題が描かれていること。エンタメ作品として作るのであれば「愛した夫が亡くなりました。その死後にいろいろ調べてみたら驚きの事実がありました。それでも息子はお父さんを尊敬しています」と「いい話」となるのだろうが、それで終わっていないところがこの作品のよさに尽きるだろう。そして、石川慶監督のオリジナル脚本作品が待たれるところ。今後注目されるべき監督の一人だろう。

 

★★★★★★★★ (8/10)

 

『ある男』予告編