『家族を想うとき』 (2019) ケン・ローチ監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

結論から言おう。今年も残りわずかだが、この作品は今年ベストの作品。そして、この数年でもベストの作品である。

 

評価には10点法を採用しているが、これは絶対評価でもあり相対的評価でもある。相対的評価でもあるのは、高得点のインフレートを避けるために、10点を10作品、9点を40作品に限定し、それら高得点を献上する際には入れ替えを行っているからである。そして、これら50作品を「My Top 50 Favorite Movies of All Time」としている。リストで10点の作品の入れ替えは2013年以降なく、9点を献上するのは2016年の『ラ・ラ・ランド』以来。

 

ケン・ローチ監督は、『麦の穂をゆらす風』(2006年)と前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)で2度カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞している。そのいずれもが素晴らしい作品なのだが、個人的には本作の方が鑑賞後も心を捉えて離さない出来だった。

 

前作制作後引退を決めていたケン・ローチ監督だったが、それを翻意したのは、前作撮影中のフードバンクのシーンで出会った人たちに共鳴したからだと伝えられている。フードバンクの列に並ぶ人は、サッチャー政権以降の新自由主義経済において資産家階級に搾取され疲弊した人々だった。そしてその少なからずが、イギリスの失業者問題の原因とされているゼロ時間契約労働者であった。本作品は、ゼロ時間契約労働者夫婦を主人公とし、中産階級家族の苦悩や葛藤を通して、家族の絆を描いた胸を打つ作品。

 

元建築技師のリッキーは、ニューカッスルに住む宅配便ドライバー。正社員雇用を希望していたリッキーだったが、厳しい就職事情ゆえ個人事業主として宅配事業者と契約をせざるを得なかった。 個人事業主と言えば聞こえはいいが、その雇用形態は「終身不安定雇用」とも呼ばれるゼロ時間契約であり、最低雇用時間を決めずにオン・コールで就業する低賃金就労に違いなかった。一旦出勤ともなれば、食事を取る暇もない一日14時間労働。配送用のバン購入資金を工面するために、同じくゼロ時間契約で在宅介護に従事する妻アビーの車まで売却せざるを得なかったリッキーだったが、膨れ上がる借金を返済するためには、休みを取ることもままならなかった。リッキーとアビーには高校生の息子セブと小学生の娘ライザがいたが、彼らと過ごす時間も仕事に奪われ、家庭は崩壊寸前となっていく。

 

まずタイトルがいい。原題の『Sorry We Missed You』は、宅配業者が留守宅に書き留める不在配達票の表題メッセージ。すれ違う家族を象徴しており、エンディングでも効果的に使われていた。

 

どんなに勤勉に努力しても、経済的に報われずにもがく彼らの姿は悲惨なのだが、同情を越えた共感を覚えた。それは、家族のつながりという支えが彼らにはあり、感情的なすれ違いに葛藤しながらもやはり彼らに強さを与えているということに感銘したからである。特に反抗期のセブが、父親に強固に反抗しながらも、父親の苦境では彼のことを心配するという様がよかった。万引きで捕まったセブに警官のする説教は、まさにこの作品で言わんとしているところであろう。

 

家族を愛する気持ちの強さや苦境に立ち向かう人間の強さを描いた秀作には、ラース・フォン・トリアー監督の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000年)があるが、同種の感銘を受けたというのが個人的感想。彼らの生きることに対する真剣さを観ていると、こちらの心が浄化されるような気持ちになる。

 

「え、これで終わり?」と思う人もいるだろうエンディングも、予定調和的なハッピーエンドでもなく、希望もないバッドエンドでもない、リアリティを感じさせるよさがあると思われた。

 

ケン・ローチ監督にはこれからも人間のドラマを描いてほしいと思わせたし、第72回カンヌ国際映画祭でこの作品を破ってパルム・ドールを受賞したポン・ジュノ監督の最新作『パラサイト 半地下の家族』への期待も高まった。

 

哲学的に深淵なテーマを扱っているわけでもなく、芸術的に美しい映像があるわけでもないが、市井の人の生き様を描いた誰にでも共感できると思われる作品。是非観てほしい。

 

★★★★★★★★★ (9/10)

 

『家族を想うとき』予告編