『象は静かに座っている』(2018) フー・ボー監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

この作品のクランクアップ直後に自死したフー・ボー監督のデビュー作にして遺作。その死の原因には、3時間50分に及ぶ長尺の作品の編集に関して、制作陣との確執があったと言われている。

 

中国の炭鉱が廃れた小さな田舎町。そこに4人の男女がいた。彼らはそれぞれに苦難を抱え、生きることに疲弊しながらも、現況を抜け出す希望をただ待ち望んでいた。北の僻地の満州里の動物園にいる、1日中ただ座り続けているという奇妙な象の話は、なぜか彼らの心を魅了した。その象を見ることで何かが変わるのか。求めても得られないかもしれない答えの先に無意味な日々の終わりを求めて彼らは旅立つ。

 

この作品の評価は、長尺の必然性があるかどうか。長尺の作品の評価はともすると高くなる。それは、その時間を耐えたという観客の自己満足や達成感から高評価を与えたくなるからである。

 

確かに、この作品にあふれている監督の瑞々しい感性は高く評価されるべきであろう。しかし、この作品が3時間50分である必然性は自分には感じられなかった。

 

例えば、フィリピン映画界の怪物的映画作家と言われるラヴ・ディアス監督の『立ち去った女』(3時間46分)や、台湾映画の金字塔と言ってもいい『クー嶺街少年殺人事件』(3時間57分)にはその必然性があった。

 

対して、この作品においては、編集の粗さが気になった。例えば、家族と折り合えない老人が老人ホームを訪れるシーンで、部屋の一部屋一部屋を彼の視点で長回しするのだが、途中、壁のシーンで画面が数秒以上黒い状態だったりするのはいかがなものか。このシーン全体がなくてもよかったり、そもそも4人のストーリーが平行で進む展開中、この老人に関わるストーリーそのものが弱く、完全に取り除いても作品の質は落ちないと感じられた。

 

全編を通して、ゆるやかにつながった4人の同じある一日を描いている。その設定は大胆なのだが、ある一日に彼らの葛藤を集約させるには、少々助走が短い気がした。長尺であるなら、もう少し丁寧に彼らの感じている生きづらさを描いてもよかったのではないだろうか。

 

妻の不貞を目の当たりにした男がその場で死を選んだり、もみ合っているうちに自ら階段から落ちた男が死んだり、偶然に拳銃を手に入れた男が世の中に毒づいた挙句に命を捨てたりと、この作品に描かれている人の「死」が比較的安易ないきさつの顛末であることには若干の違和感を覚えた。しかし、周りの人間はあくまでも真剣に考え、生きることに苦悩を隠さない。その生きずらさこそが、監督の持っていた苦悩だったのではないだろうか。監督が早逝したということは作品の評価とは全く無関係であるはずだが、触れただけでも痛みを感じるような傷口を思わせるひりひりした痛ましさは全編に漂っていた。

 

特筆すべきは、映像の印象深さ。全体がグレーの色調で占められ、陰鬱とした作品のトーンと統一していた。一日中座っている象が何を象徴しているのかは、観終わった後も判然としないが、エンディングに響く象の鳴き声には希望をみた気がした。秀逸なエンディング。

 

自分の存在意義を見出せず生きにくさに苦悩する主人公を描いた近作としては、洋画では『ジョーカー』、邦画では『タロウのバカ』の方に軍配を上げる。それでも、監督が否定したという未公開の2時間版を観てみたい。あるいは、彼の今後の作品も観てみたいと思った。それがかなわないと知りながらも。

 

★★★★★ (5/10)

 

『象は静かに座っている』予告編