『判決、ふたつの希望』 (2017) ジアド・ドゥエイリ監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

日本人である以上、一番好きな料理は和食なのだが、「その次に好きな料理は?」と問われれば、レバノン料理と答える。新入社員の頃、1年半のニューヨーク研修で、とても仲の良かった一つ年上の(彼は中途入社だったため)同期の先輩が、中東出身の母を持つ日本人とのハーフだったからである。彼にとってはお袋の味である中東料理を供するレバニーズ・キュイジーヌ・レストランによく行ったものである。北米ではポピュラーな料理で、スーパーマーケットのデリでも、「ハムス(ひよこ豆のペースト)」「ババガヌーシュ(なすのペースト)」「ファラフェル(大豆のコロッケ)」「タブーリ(パセリのサラダ)」「ドルマ(ぶどうの葉のご飯詰め)」といった料理は普通に売られていて、バンクーバーに住んでいた頃はよく食べたものである。しかし、レバノンほかの中東情勢には全く疎く、犬猿の仲のどの国が犬でどの国が猿かも分からずにいて、その先輩によく叱られたことを覚えている。

 

第五次中東戦争とも言われるレバノン内戦その後の現代を扱ったレバノン映画が本作。「パレスチナ問題とは?」と聞かれればもごもごとなんとか答えることはできそうだが、「レバノン内戦とは?」と聞かれると「うーん」という自分にとって、やはりレバノンは「遠い国」と答えざるを得ない。もしかしたら日本人の平均的な理解度でしかない自分が観た感想を述べてみたいと思う(レバノン内戦に関する予習も復習もなし)。

 

主人公の二人は、片やキリスト教レバノン人、片や難民キャンプに居住するパレスチナ人。この二人が本当に些細なことで小競り合うのだが、それがどんどんこじれて、国を真っ二つに分けるほどの抗争にまで拡大してしまうという話。

 

些細なこととは、レバノン人のトニーの住むアパートのベランダの排水管が壊れていて、花に水をまいたところ、その下で地域一帯の改修工事をしていたパレスチナ人のヤーセルにかかり、ヤーセルがそれを罵るというもの。それが法廷闘争に発展し、国中を巻き込んで、内戦が再燃しそうになるまでに紛糾するという展開がとても面白い。また、法廷で現在の事件に関して戦う中で、過去の歴史が掘り起こされていく展開も興味深かった。

 

しかし、平和を希求すべき現代において、パンドラの箱を開けたままでいいはずはなく、どのように収めるかというところがポイントなのだが、その点において一部自分にとってはすっきりしない部分があった。

 

トニーもヤーセルも、イデオロギーを越えて個人レベルでは同じ人間というポイントは、明確に伝わってきた。それが、現代にくすぶるどの地域、民族、宗教間の紛争においても解決の鍵になるというメッセージは非常に重要だと感じた。そしてトニーとヤーセルが、ぎこちなくも彼ら同士が納得して和解に至るシーンはよく出来ていた。

 

しかし物語として、彼らの紛争に焚き付けられてしまった群衆は、はしごをはずされてどのように矛を収めるというのだろうと訝しんでしまった。要らぬ心配なのかもしれないが。

 

レバノン内戦を乗り越えて表面的には和平がもたらされた彼の国において、人の心に巣くう「怒り、恨み」を掘り起こして、それでも未来への希望はあるとする作品は、普遍的な意義を持つだろう。過去に蓋をしても解決にはならず、その傷口を何度つついても、それでも痛くなくなって初めて癒えと言えるということだろう。

 

中東問題に知識・関心がなくても観るべき。そしてそれに知識・関心があれば、より、すっと心に入ってくるであろう作品。お勧め。

 

★★★★★★ (6/10)

 

『判決、ふたつの希望』予告編