『バース・オブ・ネイション』 (2016) ネイト・パーカー監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

2016年のサンダンス映画祭において、グランプリである審査員賞と観客賞を受賞。同映画祭史上最高の1750万ドルで世界配給権が配給会社(フォックス・サーチライト・ピクチャーズ)によって買われた作品。それでありながら、北米での興行的失敗から北米以外での公開は著しく縮小され、日本でも当初予定されていた劇場公開は中止となっている(劇場では、第29回東京国際映画祭で公開されたのみ)。そして総じて評価も低い(IMDB.comで8/12/2018現在6.4)。それらの理由は後述したい。

 

本作品は、1831年にバージニア州サウサンプトン郡で奴隷反乱を起こしたことで知られるアフリカ系アメリカ人奴隷のナット・ターナーを描いた歴史ドラマ映画。

 

ナット・ターナーのことを全く知らずに観た自分にとっては、非常にパワフルな作品だと感じた。植民地時代から南部の大規模綿花プランテーションでは黒人奴隷が過酷な労働条件で使役され、その奴隷制の負の遺産がいまだに黒人差別問題の根源にあるということは知っていながら、やはりその綿花プランテーションで何が起こったかを映像として見せられると、やはり再考させられる。ナット・ターナーは実在の人物だが、なぜ彼がそのほかの奴隷を主導する立場に立ったか、そこに宗教というものが重要であったことがよく分かる。蜂起は金環日食を神の啓示だと考えたナットによって起こされたが、彼がそうした啓示を度々受け、預言者としてほかの奴隷や一部白人からも見られていた史実は、この作品では扱われているものの、宗教臭くないように慎重に扱われていたように思われた。

 

ビリー・ホリデイの名曲と言うにはあまりに強烈なメッセージ性を持った「奇妙な果実」をバックに、その歌詞そのままのシーンが展開するところは、心に突き刺さった。

 

ナット・ターナーは生まれた時分は姓がなく、ただナットとだけ名前がついていたが、その後の所有者であるターナー家の名前を姓としている。幼い頃から幼なじみとして一緒に育った領主の息子サミュエルが、彼を人間らしく扱いながら、結局は奴隷の一人として処遇するところは悲しかった。成長したサミュエルを演じているのが、『君の名前で僕を呼んで』でオリヴァーを演じたアーミー・ハマー。悪くない演技だった。

 

原題の『The Birth of a Nation』は、D.W.グリフィスが1915年に制作したKKKのプロパガンダ映画とされている『国民の創生』の原題と同じ。ネイト・パーカーは本作に同題を用いたことは「皮肉としてだが、もちろん意図したものだ」と語っている(D.W.グリフィスの名作とされる『イントレランス』(1916年)がとてつもなくつまらなかったので、『国民の創生』は未鑑賞。機会があれば、観てみようと思っている)。

 

この作品の評価の低さは、ナット・ターナーが起こした奴隷反乱を過大評価して、彼を英雄視することを危惧するところによるもののように見受けられる。特に、実際に起こった奴隷反乱では、ナットが「全ての白人を殺せ」と呼びかけたことにより、白人領主のみならず、女性や子供も殺害されており、そのことがナットの不人気につながっている。また作品では、ナットの妻が複数の白人男性によりレイプされたことが蜂起させるきっかけになったように描かれているが、そうした事実はなかったことが、更に歴史的事実に基づくとされる作品としての評価を下げている。そして、この作品がアカデミー賞作品賞にノミネートされるかどうかの審査の最中に明らかになった、ネイト・パーカーと本作の共同執筆者ジーン・マクジャンニ・セレスティンが大学生時代に強姦のかどで訴えられていたことや、告訴した女性がその後自殺していたことが大きく取り沙汰されたことは、この作品の評価に影を落とすには決定的だっただろう。

 

ナット・ターナーという実在の人物の歴史的評価をこの作品によって行うということを意識的に避け、黒人奴隷制度下ではどのようなことが起こったかという一般的な事象を描いた作品とすることで、この作品は評価できると考える。

 

★★★★★★★ (7/10)

 

『バース・オブ・ネイション』予告編