『リオ・ブラボー』 (1959) ハワード・ホークス監督 | FLICKS FREAK

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いやぁ、映画って本当にいいもんですね~

 

フレッド・ジンネマン監督の『真昼の決闘』(1952年)で、保安官が手強い相手に対して尻込みをし、町の住民に助けを追いすがる姿に不満を持ったハワード・ホークスが、『真昼の決闘』のアンチテーゼとして作った作品とされる。本作の主演のジョン・ウェインは、『真昼の決闘』のラストシーンで、ゲイリー・クーパー演じる保安官がバッジを捨てるシーンを見て「許せない」と言ったと伝えられる。そのため、「多勢に無勢、絶体絶命」という設定は非常に似通っている。

 

テキサス州南部リオ・ブラボーのある酒場で揉め事が起き、無頼漢のジョーが丸腰の男を撃ち殺した。保安官チャンス(ジョン・ウェイン)はジョーを投獄するが、土地の実力者ジョーの兄は次々と殺し屋を雇い、町を封鎖して弟の釈放を迫る。孤立したチャンスはわずかな仲間と共に壮絶な戦いに挑む。

 

『真昼の決闘』の設定を批判するかのように、町の住民に援護を求めるべきだという友人のアドバイスを、保安官チャンスは「素人に何ができる」と一蹴している。

 

強くあるべき存在はあくまで強く、というバターナリズム的発想によって作られた作品と見受けた。そうした風潮が好まれた時代もあっただろう。しかし、人間は弱い存在ということをさらけ出した『真昼の決闘』は現代でも十分鑑賞に堪えるのに対し、この作品はあくまで古き良き時代を懐かしむ回顧主義であり、悪役だけが何人も死んで、主役は誰も死なないという予定調和的な作品は、現代では訴求力を失っていると思われる。

 

保安官を助ける保安官補に、ミュージシャンのディーン・マーティンとリッキー・ネルソンを起用し、劇中歌としてプロの歌声を聞かせている。また、不器用ながら「男っぽい」ジョン・ウェインとヒロインとの淡いロマンスもあり、そうした歌あり恋ありというエンターテイメントが受けるかどうかは、時代的な要請や好みの問題があるだろう。

 

妙に間延びした本作よりも、ハワード・ホークス監督とジョン・ウェインには悪いが、彼らが唾棄した『真昼の決闘』の方がよほど作品としては上質だと感じた。

 

★★★★ (4/10)

 

『リオ・ブラボー』予告編