** 小説キャンディキャンディ FINAL STORY (長い物語 の かけら 11) **
テリィ・キャンディ編の4回目。
2012/6/24(追加)
2022/5/17(写真変更)
セイヨウサンザシ
5月の風が吹いていた。
数日前まで、丘にはきんぽうげとしろつめくさだけだったが、今は色とりどりの花がいっせいに咲き始め、それらが風に揺れるのをキャンディは丘の上から眺めていた。
キャンディはテリィに返事を出した後、ポニー先生とレイン先生に今回のことを話した。
二人ともキャンディの話を微笑みながら耳を傾け、「そうなのね、わかったわ」と優しく言った。
彼からどんな返事がくるかはわからないが、もしかしたらNYへ会いに行くことになるかもしれない。
だから先生方には前もって伝えておいたほうがいいと思ったのだ。
テリィは「キャンディのロンドンでの親しい友人」と先生たちに話したことがあったので、キャンディもそのように言っていた。
先生たちは二人の関係について、詳細を知らされてはいなかったが、わかっているのは明らかだった。
何も聞かずに見守っていてくれることがキャンディはうれしかった。
キャンディは丘の斜面の花たちから視線を動かし、ポニーの家を見下ろした。
ここからの景色がキャンディのお気に入りだった。
ラガン家にいたとき、ロンドンにいたとき、そしてシカゴにいたときも。
思いうかぶのはいつもここからの眺めだった。
離れていたからより一層思う。ここが私の故郷、帰ってくる場所。
いつも私をあたたかく迎えてくれる場所―。
絵のような五月のポニーの丘の上で、キャンディは草の上に腰を下ろし、物思いにいつしかふけっていた。
手紙はもうテリィに届いたはずだ。彼はどう思ったのだろう…。
キャンディはそのことを考えずにはいられなかった。
あのような返事を書いてしまった、しかし、私の正直な気持ちだ、と思っていた。
彼も手紙を出したあとこんな気持ちでいたのかもしれない、そう思うとおかしくなった。
いつも彼は私をからかってばかりだった。でも優しくて誠実だった。
だから私は彼を信じられるのだ。
キャンディは手紙を出してから、早くテリィに会いたいと思っていた。
それは直接会って聞きたいことがあったからだ。
スザナが本当に幸せだったのかということ、スザナをどう思っているのかということ。
そして、手紙を出せた理由を知りたかった。
彼もきっと直接言いたいことがあるだろう。
だから、会わないと何も始まらないことは明らかだった。
「会ったら何かが始まる」―この言葉にキャンディはドキッとした。
それがどんなものなのかは全くわからない。
キャンディはそれが怖いような、うれしいような、複雑な心境でもあった。
そして10年の歳月が二人の間には積み重なっている。それをどう感じるかもあった。
だから、会うしかないのだ。
これまでもキャンディは今のテリィを想像していたのだが、それが現実になると思うとことさら胸が熱く波打つのを感じていた。
キャンディの熱を帯びた頬を風がそっとなでていった。
急に、人の気配を感じて振り返った。
その瞬間、キャンディは自分の目に映っているものが信じられなかった。
「…キャンディ」
自分の名を口にする人を、キャンディはただ呆然と見た。
そして彼の、あのひとの名を口にした。
「テリィ…」
キャンディは幻でも見るようにテリィを見上げていた。
(どうしてテリィがここにいるの?)
キャンディは自分の目の前にテリィがいることが信じられなかった
目の前のテリィのまなざしはやさしくきらめいていたが、その中にはかすかに強い光があった。
風がテリィの髪を揺らしていた。彼の白いシャツが午後の陽ざしを受けていた。
そして、二人はだまってずっとみつめあっていた。
しばらくしたら、テリィはおかしそうに目を細めて言った。
「どうしたんだい、キャンディ。宇宙人でも見るような顔をして」
キャンディはその言葉に思わずクスッと笑みがこぼれた。
ほっとしたようにテリィは口もとをゆるめると、青草を踏みしだきゆっくりとキャンディの前に立った。
キャンディも立ち上がった。
キャンディは何もいえずにテリィを見つめていた。
いきなりテリィが目の前に現れたことが信じられず、どうしてなのかも分からなかった。
夢想していた人が突然目の前に現れたのだ。
思いもかけないことに現実とは思えず、本当に夢の中にいるようだった。
ずっと口を開かないキャンディに、テリィはどこかおかしそうに、でも優しくこう言った。
「何も変わっていないって、嘘だったのかい?キャンディ」
テリィの声、テリィの微笑みが目の前にある、キャンディはただそう感じていた。
そして、いつの間にかテリィの腕の中にいた。
「今度会ったらこうするって決めていた。もう決して離さない。嫌だといってももう遅いからな」
全てが突然だった。
彼の温かい胸、彼の声。
彼の存在を実感して、これは現実なのだとキャンディはようやく理解した。
そうなると、急になんだかおかしくなってきて、思わずこう言った。「あなたってこういうところも変わらないのね」
テリィは黙ったままうなづき、ほっと短く息をついた。
テリィの抱擁は、空から降ってきた薄絹の衣に包み込まれているみたいにとても優しいものだった。
ほどなくしてテリィは体をそっと離し、キャンディをじっと見つめた。
「やっと、会えた。」、そういって微笑んだ彼は爽やかだった。
キャンディはわずかなその間に彼の瞳の色を確かめ、(ああ、この色、海の色だ)と思った。
キャンディは落ち着きを取り戻した。
「テリィ、あの、どうして今日はここに?」
「あんな返事もらって、気にならないわけがない。だから、すぐとんできたんだ」
テリィの眼差しがまたやわらかくきらめいた。
「仕事は?大丈夫なの?」
「今日と明日はオフなんだ。抜け出してきたわけじゃないから心配は要らない」
その言葉にキャンディは思うところがあったので、小さく反応した。
テリィはそれを確かめるように見つめ、続けた。
「昨日の午後にNYを発って今朝シカゴに着いた。後は車を飛ばしてきたんだ」
快活に彼は言った。
「それじゃあ疲れたでしょ?」
キャンディは心配そうに聞いた。
「大丈夫だよ。ポニーの家に行く前に丘に登りたかったんだ。そしたら君がいたってわけだ」
「そう…」
キャンディは自分の手紙が彼に無理をさせたような気がしてしまった。
テリィはキャンディを注意深く見て、また快活に言った。
「びっくりしたよ。夢かと思った。でも君はずっと気付かなかったみたいだね。何か考え事でもしていたのかい?」
その言葉にキャンディは驚いた。
「私をずっと見ていたの?」
「目には入っていた。すぐ気付くと思ったんだけどね。おれの気配、そんなに感じないなんてショックだったよ」
彼は傷ついたように、でもおかしそうにそう言って笑った。
いつから彼はいたのだろうとキャンディは思った。
「もしかしておれのことを考えていたとか?」
テリィがいたずらっぽく尋ねた。
キャンディは自分の心を見透かされているような気がしてしまった。
それを認めてしまいたい気がしたが、まだそうしたくないとも感じていた。
「丘を、ポニーの家を見ていたの。私がいつも思い出していた景色だなって」
思わずそういった。嘘ではなかった。
「そうなんだ」
テリィは納得したように微笑み、キャンディの隣に並んでその景色を眺めた。
「前に来たときは冬で雪がちらついていて、モノトーンの景色だった。
そのときもいいところだと思ったけど、5月だとこんなに美しいんだね。
こんなに素敵なところでキャンディは育ったんだ」
テリィは気持ちをこめてそう言った。
キャンディはテリィが以前ここに来てくれたことを思い出した。
あのときはすれ違って会うことは出来ず、雪に残された彼の足跡を切ない思いで見たことを覚えていた。
今、こうして二人で美しい5月の丘に立ち、同じ景色を見ていることに感慨深いものが込み上げてきた。
「あなたが以前ここに来てくれたことを知ったとき、とてもうれしかった。会えなかったことは残念だったけど。
そう、ここの5月はいつもとても美しいの。
今こうしてあなたと一緒に立っていると、不思議な気もしているけどとてもうれしい。
ここはわたしのふるさとで大好きな場所。戻ってきて本当によかったと思っているわ」
「君の育ったところを見たかったんだ。ここに立った時、小さな君が威勢よく丘を登るのが想像できたよ」
そして、思いついたようにこういった。
「君はいつからここに…?」
テリィは気になっていたことを聞いた。
「もう10年くらいになるわ。アルバートさんが大おじ様とわかって、その後に戻ってきたの。
あ、アルバートさんのこと、知っている?」
「ああ、新聞で見た。あれには驚いた。ロンドンの動物園の時とあまりに違ったから。でもすぐ同一人物だとわかったよ。アルバートさんにもいろいろ事情があってそうするしかなかったんだと思ったよ。キャンディは理由を知っているんだろう?」
「ええ。実業家の総長だからいろいろあったみたいなの。人は他人からはわからないけど、それぞれ事情があるものなのよね」
キャンディは言ってから、「事情」という言葉が引っかかった。それが自分たちのことのような気がしてしまった。
キャンディは話題を変えたくなった。
「そういえば、舞台、大成功だったわね。雑誌で見たわ。おめでとう、よかったわね」
キャンディは嬉しそうにいった。
「ああ、ようやく旅公演も終わったし、しばらくはゆっくりできるんだ」
テリィはキャンディをまた優しく見た。
「大好評でイギリス公演もこれからあるんですってね」
「ああ、夏に行く。しばらく間があくんだ。だから今は次の舞台の準備も始まっているんだ」
そう言ってテリィは一瞬止まり、またすぐにキャンディを見てこういった。
「キャンディは今、看護師をしているのかい?」
「ええ。シカゴでお世話になった先生がこの村で診療所を開いてくれたの。そこで働いているわ」
「そうか。じゃあすっかりベテランの看護師だな」
彼は感心するようにキャンディを見た。
「そうね、10年以上も続けているからそうなるわね」
「おれは君ならきっといい看護師になるだろうと思っていたよ」
「ほんと?そんな事、初めて聞いたわ」
いたずらな疑問の瞳をテリィに返した。
「君は人の心がわかって、そっと寄り添えるから」
テリィはキャンディをまっすぐ見てそういった。
「そして君の元気と笑顔があれば、みんなまた健康になりたいって思うに違いないだろう?」
キャンディは思わぬ言葉に胸がきゅっとしぼられた気がした。
「…そう思ってもらえたらうれしいことだわ」
キャンディは本当にそう思った。
「君が看護師になる勉強していると初めて知ったとき、その姿を想像したよ。
そして、けがをしたおれを介抱してくれたことを思い出した。
あの時君は何もためらわずに、てきぱきと応急措置をしてくれた。
君はきっと誰が怪我をしてもそうなんだろうと思った。だから看護師はあっていると思った」
「そんなこともあったわね。
看護師が私に向いているかは今でもよくわからないけど、やりがいはとても感じているわ。
医学は日々進歩しているから勉強も常に必要だし、大変だと思う事もあるのは確かだけど。
信頼も尊敬もできる先生のもとで働けることは、とても感謝しているわ」
キャンディは実感をこめていった。
テリィはキャンディをまぶしそうに見つめていった。
「そんなふうに思えるなら君の天職じゃないか?」
「あなたに言われたらそうだと思えるわ」
キャンディは本当にそう感じた。
「本当に大変な仕事だな、看護師は」
目線をはずして、そして確信を持ってテリィは言った。
あまりに実感がこもった言葉にキャンディはあることを想像したが、それを言えなかった。
それを感じとったように、テリィは続けた。
「スザナが入院していたとき、本当にそう思った」
やっぱり―。
キャンディが思ったとおりだった。
テリィはキャンディに向き直した。
「スザナのとの事は、キャンディ、君だけに伝えたかった。だから、だれにも言ったことはなかった」
テリィは心に決めていたように口を開いた。
後は、次にします。