2019年8月に、難病から腎不全となりました。

 はじめまして(*´ω`)

 2019年11月現在はGFR33

 タンパク質30gの食事制限で腎臓を守る生活しています。

 

 このブログは、難病が発覚するまでの経過を、

 思い出しながら綴っています。

 

 

 

入院から1週間ほどは、自由に起き上がることもできない状態で、

食事の時以外は寝たきりでした。

一日中、ただ寝ているだけで何もできない私。

 

(妹に持ってきてもらった手帳に、その日あったことをメモできるくらいになったのは、

入院から10日もたってからでしたから、それまでの記憶はあやふやです。)

 

同じ姿勢が続くので、寝ていても足や腰が痛くなってくる。

少しだけ、ベッドの足のほうの角度を変えようとして、

電動ベッドのリモコンを手に取った瞬間・・・

 

看護師さんが飛んできて、「リモコン触るの禁止!」

 

うう・・・ショボーンショボーン

 

ナースコールすれば、なんでもしてくれるのは分かってるんだけど。

ちょっとした微調整をいちいちお願いするのも、つらいのよ。

喋るのすらしんどいのに・・・

 

もちろん、私を守るためだということは分かっているので、

素直に従いましたが、辛かったゲッソリ

 

日中だけでなく深夜も、とにかく痛みとの戦いで、

鎮痛剤が効いている時間はほんのわずか。

 

痛くなってくると、次に鎮痛剤を入れれる時間までのカウントダウンしか、

考えることが無い。

近くに時計がないので、何度も何度も、看護師さんに「今何時?」「あと何時間?」と

聞いてしまうことも。

 

鎮痛剤は数種類あって、空けなきゃいけない間隔も違うため、

最初のころはどれを使うか悩みどころでした。

(悩むのは看護師さんだけど)

 

最終的には、一番効く座薬は、夜中にどうしようもなく痛いときに。

次に効き目があったロキソニンが、飲む第一候補。

だったのですが・・・

このどちらも、入院10日目に止められてしまいました。

 

理由は、血液検査の結果、

腎機能が低下しているから。

 

なにそれ?

いままで、血液検査などで腎機能の低下なんて言われたことが無いし?

と疑問に思いましたが、、、

手術やストレスによる、一時的なものかと思っていました。

 

今思えば、既にこのころから顕微鏡的多発血管炎の症状が出ていたのかもしれません。

この病院で、急に腎機能が低下した原因を調べてくれていたら、

もうちょっと早く対処できたのかな?

と思わないでもない。

それは、贅沢な要求なのでしょうか・・・

 

もっとも、この病気で異常に増える抗体MPO-ANCAというのは、

滅多なことでは検査項目に入れないそうで。

MPO-ANCA関連の血管炎だと、おおよその見当が付いた状態でなければ

調べないでしょうから、脳神経外科では見つけられなかったかもしれませんけど。

 

そんなわけで、頼りだったロキソニンが使えなくなってしまって、

残る選択肢は、トアラセットとカロナールというお薬か、筋肉注射。

 

しかし、私はカロナールが効かない体質らしく・・・ダメ。

そして、筋肉注射は効き目が早いからと勧められて打ってもらったけど、

めちゃめちゃ痛いのに、たいして効かないチーン

 

で、トアラセット一択になってしまいました。

 

これですら、腎機能の関係なのか、服用間隔を通常より空けるように指導され、

毎晩、痛くて眠れず泣いていました。

そんな時は、看護師さんが、身体の向きを変えてくれたり、痛みがましになるかもと、

氷枕を頭や身体に当ててくれたり。

ありがたかったです。

 

開頭ではなくカテーテルで手術できていたら、こんな痛みは経験しなくて済んだのに。

と思うと、自分の不運を呪いたくなるのですが・・・

 

くも膜下出血で生きて手術出来て、後遺症もないことがどれほど幸運なことだったかは、

退院して落ち着いてから、ネットでの情報やら、人から言われたりで知ることになるのでした。