もう一歩踏み出すために | 「週刊・東京流行通訊」公式ブログ

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突然天から降ってきたような事故に遭って、体の一部を失うことは、誰にとっても受け容れがたいことであろう。想像もできない事故が人生を変えることもある。「義足の理学療法士」福辺節子さんは、逆境から出発して、多くの人に幸福をもたらしている。


福辺さんは1954年に大阪市に生まれ、大阪を離れたことがなく、典型的な大阪人と言える。お兄さんがコピーライターだったため、兄妹仲がよかった彼女は、自分もマスコミ関係の仕事をしたいと思って同志社大学の新聞学専攻を選んだ。本来はマスコミの世界で華々しく活躍していたはずの彼女だが、大学四年の時に起こった交通事故で、左足を切断することになってしまった。当時は年頃の女性だったのでショックを受け、がっくりして退学してしまった。


時を経て、結婚して3歳の娘を育てながら、27歳当時、福辺さんは学校に入り直し、理学療法士の資格を取った。その時のことを彼女は、今から思うと、これは自分の人生で数少ないまともな決断だったと言う。1990年、福辺さんは訪問リハビリテーションの仕事をするために、公務員の仕事を辞めることを決心し、フリーのPT(理学療法士)になった。また、理学療法の専門家である三好春樹さんと出会い、彼の介護理念に注目した。そして実際に訪問リハビリテーションに携わる中で、福辺さんは、病院でPTが行う機能訓練を家に持ち込んでもお年寄りには効果がないと感じた。ではどうしたらいいのだろうか?介助する人が、介助される人を動かすのではなく、マヒがあったり寝たきりになっても、介助される人が主体の介助とは? 考え抜いた末、彼女は1991年に独自の介護講座を始めることを決心し、現在、力のいらない介助を通して、介助される人の機能や意欲、思いを引き出すことに重点をおいた「もう一歩踏み出すための介護セミナー」の普及活動に努めている。


充分なケアの条件と人員が不足しているために、日本では寝たきりになるのはたいへん不安なことだ。そこで福辺さんは介護職、看護職、セラピスト、医師、ケアマネージャーはもちろん、家族や一般の人をも対象にした介助のセミナーを主催している。又、自治体による訪問指導、機能訓練、介護訓練の技術指導などに積極的に協力し、様々な講演も頻繁に行っている。彼女は、自分は障害者であるが、介護をするのに不便を感じたことはない、介助は力だけで行うものではないと言う。“福辺流介助術”をとりいれた彼女のセミナーでは、自身の体験を通じて、障害、自己ケア、介護などのみんなが知りたがっていることを簡単にわかりやすく説明する。福辺さんは、もっと多くの人々に、介助される人が主体の福辺流の介助を伝えて、介護される人と、介助者がお互いに寄り添い、介助が必要になっても“当たり前の介護”が日本に浸透して、誰もが安心して“老い”を迎えることができる国になればと考えている。

取材協力:西田みゆき、「高齢者の住まいフェア2011」(主催:プロトメディカルケア)
写真提供:福辺節子介護リハビリテーション研究所

福辺節子介護リハビリテーション研究所 公式サイト http://www.mou-ippo.jp/index.html