晴海埠頭で初日の出を迎えてから、初詣をするために浅草へ向かう・・・。東京に暮らす1300万人の中においても、このようなことを恒例としている人はそう多くはないだろう。
しかし浅草寺に関しては、毎年初詣の参詣者は明治神宮に次ぐ多さで220万人に上る。弱者や貧困、遠近を問わず、慈悲の心で生命あるもの全てを救ってくれる観音菩薩を慕う気持ちによるだけではなく、浅草神社の「七福神巡り」や、江戸三大祭の一つである「三社祭」、周辺に集まった寄席や劇場など、日常の中で宗教や文化によって育まれてきた浅草独特の濃厚な下町の風情が、多くの外国人観光客を含む参拝者の魅力となり、人気を高めているのだと思われる。
にぎやかな喧騒や行き交う人の波が、「雷門」の提灯の下から江戸の風情漂う「仲見世」をゆっくりと流れていく。巨大なわらじのかかった「宝蔵門」を通り抜け、例年と同じように手を清めて線香を上げようとした瞬間、浅草寺の本堂に聳える見慣れた屋根に代わって龍の絵が目に飛び込んできた。何と巨大な龍であろうか。空から舞い降りて、首をもたげ、胸を張った金の龍である。ゆったりと舞うような金のひげ、輝く金のうろこ、どの角度から見ても輝く金色が目に眩しい。
呆然とするうちに気持ちも静まり、書かれていた説明を読んで疑問が解けた。浅草寺の本堂では、第二次世界大戦後最大規模の修復工事が行われているのである。1958年に再建されてから半世紀が過ぎた今、瓦屋根から外壁までが現在全面的に修理されているのだという。工事の間、日本の代表的デザイナー、山本寛斎氏の企画の下に、本堂外陣の天井に描かれた川端龍子の名作「龍の図」をモデルとして、保護カバーの上に長さ32.7メートル、高さ10.2メートルの巨龍が描かれたのである。
本家の「龍の図」は畳19畳分の大きさで、それでも充分巨大と言えるものだが、今回の金の龍は少なくとも畳200畳分はあるに違いない。その見開かれた目、振り上げられた爪など、生き生きとして今にも絵を突き破って出てきそうだ。浅草寺であればこそ、こんなにも素晴らしい演出が出来、他では得られないような感動を味わえるのだと驚きに興奮する心を鎮めながら思った。
数年前には、京都の建仁寺の法堂に描かれた巨大な天井画「双龍図」を見るという素晴らしい機会に恵まれた。そして2010年の最初の日に、浅草寺の山号である「金龍山」とぴたりと符合するような金龍に再び心が震える体験をした。火災や地震、そして戦火に遭うたびに、力強く復興してきた浅草寺。空から舞い降りた金龍の助けを借り、浅草寺は茫漠とした世界に警鐘を鳴らし、多くの人々を啓発する神威をさらに深めることだろう。
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