昨日、(令和6年6月6日)の事なんですが、朝山に入るまでと、下山して、下界に戻ったときで、なんか下界の環境?がスッゴく違って感じたように思いました。
うまく表現できませんが、暫く前から昨日の朝、山に入るまでの間はなんか「皆生き急いでいる」そんな感じの何かが私の周囲の人に起こっていたように感じました。…なんだろうと
昨日の夕方、下山してからは、なんかそれをうまく受け入れられるようになったのか、自身のストレートな感じの何かの純度が増したような😅
~~~昨日、御山の斜面にて~~~
斜面にへばりつきながら、刈払機をかけながら、「点を打ち、線を繋げ、面を形成し…点の深さは人により異なる」とか考えてつつも、周囲の情報には自身のセンサーを働かせ…
どことなしに考えてみる、「打つべき点の座標データをシェアしたとして…」
出力する側の正しくインプットして、正しくアウトプットする。
受け取り側の正しくインプットして、正しくアウトプットする。
それでお互いが100%理解しないと正しい伝達とは言えない。頭では簡単にわかってはいたのでしょうけど…そういうことかも…と。
なんか、恩師が口癖のごとく言っていたような言葉を思い出しました。
高校弓道部時代の弓道部顧問(恩師)曰く
「話をしても人間は、本当に伝えたいことの60%くらいしか伝わらない」…その手のことを良く言っていたなぁと。
~~脱線です~~
今考えれば…まぁ、そうよね。
例えの話ですけど、「いじくりこんにゃく」というこちらの地元方言…
関東圏(一部を除く)については、皆さんその言葉を知らない訳ですから😅
ちなみに、「いじくりこんにゃく」の表現については、こちらをご参照ください。
https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000112999
私的な解釈は…
電線の束や、ロープやら、糸やらを、迂闊にいじりまくってぐっちゃみそに絡ませてしまったり……チビッ子や、犬とかを、ムツゴロウさん並みに、頭や顔面をグッシャグッシャになで回して「よ~し、よしよしよ~し♪」みたいにモー列に可愛がるみたいな感じのですかね😊
まぁ、この言葉自体も、私が知ったのは、建築業界に一時身を置いていたときの親方様が言ってて、段々理解したんですが(笑)
言葉での説明では、その時、その場がどういう状況下であるかにより、伝える側・受け取る側の立ち位置、間合い、心理状況、周囲を取り巻く環境、スペック等で伝えたいことが、感じることが、言葉だけで100%は伝わらず…
故に体での表現を使い、口での表現を使い、意の表現を使い…エピソード記憶に残る、反芻して理解するとはそういうことかも…
弓道部時代。自身の弓を引く感覚を後輩に伝えようとしても、自分と後輩とでは、まず身長も、体格も、骨格も違えば、バックグラウンドも違い。相手の頭の中身を瞬時に開いてみることもできない。
ただし、この身体が、なににつけても基軸になるのも確か。
常日頃の研鑽がモノをいうのかもなと。
月一の龍王祭や、稽古日や、顔を出すこともとっても大事。それは、個の確認の場で、数人との確認の場でもあり、集団としての確認の場でもあり。チューニングしていくには大切な場所。
そして、曼荼羅小屋の先輩のブログの記事を拝見して、ふむふむ。何かが自分の中で繋がったかも。
↓FUSAYO先輩のブログです。是非ご覧下さい。
https://ameblo.jp/234fuu/entry-12854233198.html
https://ameblo.jp/234fuu/entry-12854657609.html
…確りと研鑽できなければ、一種の『修行満足』にも成りかねない、そういうことかも…
…なんか、去年のモモの記事を思い出してきました。
…やっぱり、此れかな?
皆の生き急ぐ危うさみたいな何かは。
『時間泥棒』的な?
https://ameblo.jp/tezunyan-nyan-nyan/entry-12810878918.html
こちらも是非ともご覧下さい。
↓Ta.O.先輩のブログです。
https://ameblo.jp/tao-jp/entry-12757009167.html
今日は、ふと…その何かがまた整理できたのかなぁと。
私達の世代以降というのか、最近の若者っていうのか…お外で遊ばなくても、ゲーム機とかで遊ぶ世代って、昔から『怒られる』 事に過敏に反応するけど…
でも、『何故、怒られるのか?』『相手が何に照準を合わせているのか?』 『自分の照準がどこに向いているのか?』ということを見いだせてなかったようにも思えました。
自然の音を聞くことから、深みが広がると思います。
今年の、大峯修行まで1ヶ月と少し、本日は役行者様のご縁日。
身・口・意を整えていきましょう。
南無神変大菩薩