Romantique No.609 架空美術展『世界のイラストレーション・アーカイヴⅤ』 | 『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

僕が過去と現在、ロマンティークと感じた(これから感じることも)恋や音楽、映画、アートのいろいろなことを書いていきます。

  

                     Adieu Romantique No.609

                                         架空美術展

          『世界のイラストレーション・アーカイヴ Ⅴ』

                      

ずっと書いている「世界のイラストレーション・アーカイヴ」の5回目。今回は1960~1970年代にかけてとても面白いものが次々に生まれた、日本のイラストレーションやデザインをキュレートすることに。


🎨まずは、ひとつのイラストレーションに纏わるお話から。『第三の男』『旅情』など数多くの映画のポスターを描いた日本のイラストレーターの草分け、野口久光【Hisamitsu Noguchi】(1909~1994)。彼が描いたフランソワ・トリュフォーによるヌーヴェル・ヴァーグの傑作のひとつ『大人は判ってくれない』【Les Quatre Cents Coupsの、1960年の日本初公開時のポスター。
 🎦『大人は判ってくれない』ではまだ子供だった主役のアントワーヌ・ドワネルが大人になり、やがて恋をして結婚するというような人生の過程を10年以上に渡って(自身をアントワーヌ・ドワネルに投影した)トリュフォーが撮り、(最もヌーヴェル・ヴァーグ的な俳優)ジャン=ピエール・レオーが演じ続けた所謂、「アントワーヌ・ドワネルもの」と呼ばれるシリーズ。そしてその第二弾として1962年に、6か国の監督によって撮られたオムニバス映画『二十歳の恋』【L'amour a 20ans】の中のフランス編『アントワーヌとコレット』【Antoine et Colette】が続いた。この映画の中で野口光世が描いたアントワーヌ・ドワネルのポートレイトが壁に貼られ、その横でジャン=ピエール・レオー演じるアントワーヌ・ドワネルが壁にもたれて同じポーズをとるシーンが映し出された。
🎦さらに1968年の『夜霧の恋人たち』【Baisers volésでは、前作のそのシーンの写真が貼られた壁の前でまたしても同じポーズをとる、大人になったアントワーヌ・ドワネルが映し出されるという映画的興奮が。野口久光が描いたアントワーヌ・ドワネルのイラストレーションは、アントワーヌ・ドワネルとジャン=ピエール・レオーの成長と共に映画的記憶の中に永遠に刻まれることに。
 
🎨アメリカで新しいイラストレーションやデザインを世に送り出した「プッシュピン・スタジオ」のように。日本では、デザイナーの田中一光和田誠、コピーライターの土屋耕一秋山晶らを擁した日本で最初の広告制作会社「ライトパブリシティ」「新しいデザインの時代において、各社の宣伝部を共同で持つ」という主旨のもと、トヨタアサヒビールなどの大手8社の出資でデザイナーの原弘亀倉雄策田中一光らによって1959年に創設された「日本デザインセンター」がそれに当たり、現在ではレジェンドとして名を遺す横尾忠則宇野亜喜良永井一正ら数々の素晴らしきイラストレーターやデザイナーを輩出した。これにより、ある意味(少々乱暴に言えば)アートとイラストレーションは「クライアントを持つ」か「持たない」かで明確に線引きされることになったのかも知れない。


🎨日本におけるグラフィック・デザイナーの草分け、亀倉雄策【Yusaku Kamekura】(1915~1997)は、1964年に開催された「東京オリンピック」のシンボル・マークを制作した。いやぁ、とにかくミニマルで美しい(それって結局、日本の国旗が究極のミニマル・デザインであるということ)。イラストレーションじゃないけど、これだけは、ということで。

🎨日本を代表するイラストレーター&グラフィック・デザイナーであり、1980年の初めに画家宣言をして以降、アーティストになった(同時にデザインの仕事も数多く手がけていたけど)横尾忠則【Tadanori Yokoo】(1936~)の1960~1970年代にかけての作品を。

🎨1964年、横尾さんが『日本デザインセンター』を退社して間もない頃の作品。当時、既に大スターであった春日八郎のリサイタルのポスターをこんな風にデザインしてしまったことが素晴らしい。横尾さんの天才的なイマジネーションと閃きが爆発した初期の傑作である。

🎨寺山修司が率いた演劇実験室「天井桟敷」のメンバー募集のポスター(横尾さん自身も「天井桟敷」の初期のメンバーだった)。
🎨1960年代の横尾さんのイラストレーションの代表作のひとつ。

 
🎨横尾さんは三島由紀夫高倉健藤純子横尾流ポップ・アートで描いた。
🎨愛に溢れた、浅丘ルリ子へのオマージュ。なのにこんなことに。この頃の横尾さんは手がつけられないほどクリエイションがキレまくっていて、ほんと面白いもぐもぐ
 🎨この作品にも横尾的エロティシズムが。
🎨オノ・ヨーコの旦那様でもあった現代音楽家、一柳慧横尾忠則のコラボレート・アルバム『オペラ 横尾忠則を歌う』のカヴァーでは三島的な自画像を描いた。
🎨1973年にサンタナが大阪厚生年金会館で行ったLiveをアナログ3枚組に収めた『ロータスの伝説』で横尾さんは画期的な22面ジャケをデザインし、イラストを描いた。因みに。1975年に大阪フェスティバルホールで開催されたマイルス・デイヴィスのLiveを収めたアルバム『アガルタ』のカヴァーも横尾さんの作品。

🎨1960~1970年代初期を代表するイラストレーターのひとり、伊坂芳太郎【Yoshitaro Isaka】(1928~1970)。ファッション・ブランド「Edward's」のイメージや、漫画雑誌「ビッグコミック」の表紙を描いた。



🎨1970年開催の「日本万国博覧会~EXPO'70」のシンボル・マークを制作したのはグラフィック・デザイナーの大高猛【Takeshi Ohtaka】(1926~2000)。イラストレーションじゃないけど、これだけは、ということで。さて、と。来年の万博はどんなことになるのやらうーん

🎨未来都市などの、夢が溢れたイラストレーションを得意とする真鍋博【Hiroshi Manabe】(1932~2000)が描いた「日本万国博覧会」の会場。微妙だけど、エアードームで建設されたアメリカ館らしき建物が描かれていないような気がするけど、それはまぁいいか。


🎨深井国【Kuni Fukai】(1935~)。手塚治虫が創設した「虫プロ」によって制作された大人のための実験的アニメーション「アニメラマ」3部作、即ち『千夜一夜物語』『クレオパトラ』『哀しみのベラドンナ』。その最終作『哀しみベラドンナ』の美術を担当して注目を浴びたイラストレーター。その作品はスタイリッシュでありながら、蕩けるが如く美しいエロティシズムが濃密に漂っている。まさに「官能」という言葉がぴったり当て嵌まる、その世界を。

🎦海外版のタイトルは【Belladonna Of Sadness】

🎨「ベラドンナ」以外の作品も、実に個性的。19世紀末の画家オーブリー・ビアズリーからの影響を感じる作品群。

🎨ポップ・アートの巨匠トム・ウェッセルマンの作品のようなPOPな作品も。

🎨金子國義【Kuniyoshi Kaneko】(1936~2015)。1966年に澁澤龍彦氏の翻訳本、ポーリーヌ・レアージュこと、ドミニク・オーリーが執筆した『O嬢の物語』の挿絵を描き、翌年の1967年に澁澤龍彦の後押しで、ポール・デルヴォーの作品をイメージさせるシュルレアリスティック「花咲く乙女たち」シリーズで画壇に華々しくデビューした、(イラストレーションと言っていいのか分からないけど)その作品を。

 

 

 

 

 

🎨伝統的な日本画とPOPとの融合であり「耽美」的な吉田光彦【Mitshiko Yoshida】(1946~)の作品を。もしもこの人の存在がなかったら、丸尾末広山本タカトも登場していなかったかも知れない。

 
 
 

🎨「耽美」という言葉が出たところで。ちょっと時代を遡るね。橘小夢【Sayume Tachibana】(1892~1969)。浮世絵とモダンなエロティシズムが馬鍬ったような、妖艶な作品で日本のビアズリーと呼ばれた。

 
 🎨絢爛豪華で妖艶で、美しい作品『地獄太夫』
 

🎨1950年代から1975年まで、緊縛などのSMやエログロを取り扱った雑誌「奇譚クラブ」で活躍したイラストレーター、というより「絵師」と言った方がぴったりな畔亭数久【Kazuhisa Kurotei】の、どこかユーモアも感じる作品を。因みに。「奇譚クラブ」では他にも春川ミナオ伊藤晴雨などが「絵師」として活躍したけれど、その作品はアメブロでは出せないえー?




🎨1960年代から現在に至るまで常に第一線で活躍してきたイラストレーター、宇野亜喜良【Aquirax Uno】(1934~)。彼のすべての作品には、永遠にイノセントな少女性が淡く内包されていて、いつ観てもドキドキするんだな。

🎨1971年の「天井桟敷」のパリ公演『毛皮のマリー』のポスター。
🎨脚本・寺山修司。日本ヌーヴェル・ヴァーグのひとり、羽仁進が撮った1968年の映画『初恋地獄篇』(ATG作品)のポスター。
🎨1968年の「天井桟敷」の公演『星の王子さま』のポスター。




🎨粟津潔【Kiyoshi Awazu】(1929~2009)は1950年代から活躍してきたアーティスト。本の装丁でも素晴らしい作品を残している。

🎨これは日本のグラフィック・デザインをアーカイブした1972年の展覧会「POSTER NIPPON」のための作品。
🎨禅宗の僧侶でもある江田和雄が主宰した「人間座」による、野坂昭如の著作骨餓身峠死人葛』の公演(1970年)ポスター。
🎨1969年に渋谷に建てられたアングラ劇場「天井桟敷館」のデザインを担当した。

音譜音楽を。「天井桟敷」の舞台や映画の音楽を担当したJ.Aシーザークニ河内ハプニングス・フォー、個性派俳優の山谷初男が音楽を担当し、1972年に制作されたアルバム『薔薇門』は、「ゲイ・リヴォリューションのための」というサブタイトルが付けられた奇盤であり、1960年代後半から1970年代に掛かる時代を象徴するようなアングラ的な雰囲気が。曲はJ.Aシーザーと、社会運動家の東郷建による『君は答えよ』。因みにこのアルバムは元ゆらゆら帝国坂本慎太郎の愛聴盤でもある。



🎨榎本了壱【Ryoichi Enomoto】寺山修司の映画の美術を手がけていたこともあるアーティスト。伝説的な雑誌『ビックリハウス』(初代編集長は萩原朔美)の創刊にも関わった。このイラストレーションの感じはハンス・ベルメールのパートナーでもあったウニカ・チュルンのドローイングのようでもあるし、現在、活躍しているチェコの映像作家ヤン・シュヴァンクマイエルの世界にも通じているような気が。


🎨平野レミの旦那さま、と言った方が通りがいいかも。和田誠【Makoto Wada】(1936~2019)は1950年代から活躍したイラストレーターであり、グラフィック・デザイナー。映画を愛し、映画についての本を書き、たくさんの映画の名シーンや銀幕のスターたちを描いた。

🎨ジャン=リュック・ゴダールが撮ったヌーヴェル・ヴァーグの大傑作『勝手にしやがれ』ジャン=ポール・ベルモンドジーン・セバーグ
🎨フランス映画の金字塔『天井桟敷の人々』
🎨『さらば友よ』アラン・ドロンチャールズ・ブロンソンの名シーン。

🎨久里洋二【Youji Kuri】(1928~)は日本のアヴァンギャルドなアニメーションの草分け。1964年に放送が始まったTV番組『11PM』でもアニメーションも担当した。

 
 
🎨日本のTV史に燦然と輝くショート・コント・バラエティ番組『巨泉×前武 ゲバゲバ90分!』(69~71年放送)の魅力的なキャラクターゲバゲバおじさんはイラストレーターの木下蓮三【Renzo Kinoshita】()が描いた。因みに。
ゲバゲバとは、ドイツ語のゲバルト(暴力という意味だ)を引用した言葉。因みの因みに。以前、このゲバゲバおじさんのキャラクターを世界で1枚きりの手作りTシャツにして、ひとり悦に入ってたことが。
そんな自分に、「ゲバゲバ、ピー!」だ。

(番組内のところどころにSE的に挟み込まれた)



🎨日暮修一【Shuichi Higure】(1936~2012)。1960年代にはこんなファッショナブルなイラストを描いていたけど、70年代からは漫画雑誌「ビッグ・コミック」の表紙を担当することに。




🎨イラストレーションと漫画は異なるものだと思いつつ(どちらが「良い」とか「悪い」ということではない)、漫画でもイラストレーション的な作品があるということで、林静一【Seiichi Hayashi】(1945~)の世界を。

🎨アンダーグラウンドな漫画雑誌「ガロ」に掲載された初期の代表作『赤とんぼ』から。キャラクターがイラスト的なんだよね。
🎨まるでバンクシーを先駆けたような、4コマ漫画『まっかっかロック』
             
                
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🎨林静一は、もともと東映動画アニメーターをしていたからなのか(『狼少年ケン』を担当していたという)、

絵が上手くて、いろんな絵が描ける。因みに、アニメーター時代の同期には宮崎駿が。


🎨日本のロックの源流、はっぴいえんどのデビュー・アルバムのカヴァー・イラストを描き、そのタイトルの無いアルバムはそこに描かれた看板から「ゆでめん」と呼ばれることに。

🎨宮谷一彦【Kazuhiko Miyaya】(1945~2022)は、はっぴいえんどのセカンド・アルバムであり、歴史的傑作『風街ろまん』のカヴァーで野上眞宏が撮った写真を元にメンバー4人の顔を描き(ビートルズのアルバム『Let It Be』のジャケットからインスパイアされたのだろうか)、はっぴいえんどの世界「風街」のイメージ(松本隆の記憶の中にある東京の原風景のようなもの)を描いた。



音譜音楽もはっぴいえんど『風街ろまん』から。僕のブログではもう幾度となくUPしているけど、「風街」の風景が浮かび上がってくる名曲『夏なんです』を。今の季節にもぴったり。


🎨手塚治虫に憧れて描き始めた女性漫画家、岡田史子【Fumiko Okada】(1949~2005)は、漫画雑誌「COM」でデビュー。代表作は『ガラス玉』。因みに、萩尾望都は彼女の熱狂的なファンだったという。


🎨安西水丸【Mizumaru Anzai】(1942~2014)の、「ガロ」時代の作品『青の時代』から。後に村上春樹の著作の表紙を飾った、あの「ゆるーい」イラストとはまた異なった世界が。


🎨安西水丸と同じく、後に村上春樹の小説の表紙を飾った佐々木マキ【Maki Sasaki】(1946~)も「ガロ」時代には『ヴェトナム討論』『ディン・ドン・サーカス』など、自由で実験的でアヴァンギャルドな作品を描いた。
🎨代表作『うみべのまち』。ひとコマ、ひとコマがまるでイラスト作品のよう。
🎨「ガロ」を離れてからは『やっぱりおおかみ』とか、絵本もたくさん描いている。


🎨ますむらひろし【Hiroshi Masumura】(1952~)。代表作は『アタゴオル物語』『銀河鉄道の夜』とか。



🎨松本隆のエッセイ『微熱少年』の挿し絵にも使われた。

🎨佐伯俊男【Toshio Saeki】(1945~2019)。1970年代初頭にデビュー。エログロ、残酷、妖怪、陰湿なユーモアなどで出来上がったアンダーグラウンドな世界は、現在においてはもはやPOPでさえ、ある。
 
 
🎨ジョン・レノンオノ・ヨーコが率いたプラスティック・オノ・バンド【John & Yoko / Plastic Ono Band】の1972年のアルバム『Sometime In New York City』のカヴァーに佐伯俊男のイラストが使用された。
 

🎨『修羅雪姫』『同棲時代』『悪魔のようなあいつ』などの漫画作品で「昭和的」な「昭和」を描いた上村一夫【Kazuo Kamimura】(1940~1986)。



🎨最後は『へび少女』『おろち』『漂流教室』『まことちゃん』などのヒット作を数多く描いた梅図かずお【Kazuo Umezu】(1936~)の、1962年のデビュー作『ロマンスの薬』。これも漫画だけど、独特な可愛らしさがあって、インパクトもあるので。
🎨「ドッキン」の仕方が大袈裟で面白いよね。

今回の記事は。1960~1970年代にかけて活躍した日本のイラストレーターやデザイナーの作品をセレクトした(もちろんその後も長く活躍した人もたくさんいるけど、今回はその時期の作品を中心にしている)。時にポップだったり、スタイリッシュだったり、官能的だったり、反体制であったり、詩的だったり、アングラだったり、可愛かったり、ガーリーだったり。そんないろんな表現を見ていたら、ここにきてイラストレーションとアートとの境目はもちろん、漫画との境界線もよく分からなくなってきた(アートと漫画の境目も)。まぁ、悶々とするところもあるけど、それはそれ、これはこれでいいのかな、とも思っている。

じゃぁ、また。
アデュー・ロマンティークニコ