Romantique No.590『珈琲 & 音楽 in 喫茶店 Ⅶ』 | 『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

僕が過去と現在、ロマンティークと感じた(これから感じることも)恋や音楽、映画、アートのいろいろなことを書いていきます。

 

                 Adieu Romantique No.590

                  『珈琲 & 音楽 in 喫茶店 Ⅶ』

 

昭和の香りが濃厚に沈殿し、まるで時間が止まってしまったような喫茶店(扉には鈴が付いているようなお店。扉を開くとチリンチリンって)。窓際の席に座って珈琲を飲みながらそこで流れていて欲しいと思う、謂わばコーヒー・ミュージックとでも言えそうな音楽や(僕にとってそれは昭和の、日本のロックやフォーク、歌謡曲を指している)、その店で読んでいたい本とか、そこで眺めていたいようなアートや写真、その時代の映画やなんかについても適当に散りばめながら自由に綴っていくシリーズの7回目

 

そもそも昭和って(今更、何を?)。1926年に始まって1989年の昭和64年(この年は平成元年と重なっている)まで長く続いた時代。そしてそんな長いディケイドの中で僕にとっての昭和とは、1950年代から1980年代中頃までを指している(あくまでもイメージだけど)。それより以前は大正時代の流れの中にあるような気がするし(戦争を挟んでるので「戦後」ということなのかも)。昭和の最後の方はもう平成と繋がってしまっているような気がするから。

 

それから僕のブログでは、ほんとに昭和を代表している(多くの人が知っているという意味での)音楽や本をあまりUPしていないことも。それは僕のひねくれた思考であり、志向であり、単なる趣味嗜好に過ぎない。まぁ、現在でも昭和をアーカイブするTVのバラエティ番組で度々、取り上げているようなものをUPしても面白くもなんともないから、そこは僕らしく敢えてニッチなものに振っていることを付け加えて。

 

そう。良くも悪くも。僕の昭和のすべては僕のイメージの中に(当たり前か)

 

喫茶店の窓側の席に座って、ひとり珈琲を飲みつつ、流れてくる音楽を聴きながら。ボーッと妄想に耽けったり鞄の中から本を取り出してパラパラと頁を捲ったり。時折、窓の外に見える風景や窓の外を通り過ぎる人をぼんやり眺めて過ごす、そんなほっこりとした時間を。

 

僕のイメージの断片から、昭和の残像のような世界が立ち現れてきてくれればいいなって思う。

 

音譜最初は。田中ユミ玉井タエによる人気女性デュオ、シモンズ(グループ名はファンだったサイモン&ガーファンクルSimonのアナグラム。子門真人もそうだったのかな…違うか)のハーモニーが爽やかなデビュー曲『恋人もいないのに』と、作詞:安井かずみ、作曲 :小林亜星による明治製菓のキャンディの、春風のようなCMソング『チェルシーの唄』バターとヨーグルトの仄かな味わいと共に。

 

音譜「チェルシーの唄」はシモンズ以外にもガロペドロ&カプリシャス南沙織も歌った。

🍬長年愛されてきたチェルシー(写真はバター・スコッチ)も今年3月で販売を終了したらしい。サヨナラ昭和、そんな感じかな。

 
 

音譜その頃には女性デュオが結構、活躍していたし、(日本に来るまではあまり知られてなかった)外国の歌手が日本語で歌ってヒットするっていうパターンも流行ってたっけ。例えばルネ・シマールロウィナ・コルテスとかエマニエル坊やだとか。その両方を代表するベッツィ&クリス。だけどヒットした『白い色は恋人の色』じゃ面白くないので、彼女たちの5枚目のシングル『娘は花をまとっていた』のB面(ややこし過ぎるってえー?)、ナッシュビルで曲を録音するほど本格的なカントリー・ミュージックを目指したSSW、麻田浩の曲のカヴァー『僕の中の君』。曲もいいし、彼女たちのハーモニーも素晴らしい。

 

 

音譜姉妹デュオ、チューインガムの1972年のヒット曲『風と落ち葉と旅人』。最近は。こういったハーモニーを聴かせてくれる女性デュオはいなくなったと思うな(まぁ、時代からの要請がないんだろうけどうーん)

 

 
音譜デュオじゃないけど。フワフワした感じがとても春っぽい、高木麻早のヒット曲『ひとりの部屋』を。
 

 
音譜それまでは無名だったのにハワイから日本に来て、1975年にライオン油脂エメロン・トリートメント「ミンキー」のCMに出演したらあっという間に男性たちを虜にして大ブレイクしたアグネス・ラム【Agnes Lum】。曲は1977年のシングル、彼女が日本語で歌った『雨上がりのダウンタウン』を。
 

📷️彼女のポートレイトも。何だろううーん。昭和と70年代と、日本とアメリカが入り混じったような。説明できない、そんなノスタルジーが。
 
📺️昭和という時代には。チューインガムのような女の子たちには白いギターがとてもよく似合ってた。チェリッシュ松井悦子「白いギターに変えたのは 何か訳でもあるのでしょうか」って、歌ってたしな。あっ、そうそう。白いギターと言えば、土居まさるが司会で、児島美ゆきミミ相本久美子がアシスタントを務めたバラエティ番組「TV Jockey」では出演した一般の人に番組のロゴ入りの白いギター(スポンサーだった「Edwin」のジーンズも)がプレゼントされた。因みにこの頃の「Edwin」のCMではビートルズ『She Loves You』が流れていたはず。
📺️昭和を代表した漫画であり、TVアニメでもあった『巨人の星』が最終回の放送を終えた後、既に放送が決まっていた『天才バカボン』への引き継ぎのコラボレート映像が流れた。星飛雄馬バカボンのパパとの固い握手。いいシーンだよね。だけど、ふと見ると表札はバカボンに。そっかぁ。バカボンとは名字であり、それぞれバカボンパパ、バカボンママ、バカボンバカボン、バカボンハジメだったのかうーんと改めて…。
📺️そしてその『天才バカボン』の最終回は、天才ハジメちゃんが留学することになり、一家全員がアメリカで暮らすことに。その中でバカボンは好きだった女の子に(さくらちゃんだったのかなぁ。覚えてないやえー?)手作りのギターを贈ることを思いつくんだけど(そのイメージも白いギターだ)、自分では作れなかったのでバカボンが寝ている間にハジメちゃんが…。

 

しかしいったい。僕は何の解説を何のためにしてるんだろうか笑い泣き。うん、すべては昭和の魅力を伝えるために。「ジョーダンでウソは言えないのだ」し、多分「これでいいのだ」。

 

音譜昭和の音楽に戻るね。アイドル的な顔立ちとメロディ・メイカーとしての才能や作詞・作曲、編曲、プロデューサーとして、またボーカリストとしてピアノ、キーボードを中心にベース、パーカッション、ドラムまでをこなすマルチ・プレイヤーでもあった原田真二の、1977年にリリースされたデビュー・シングル『てぃーんず ぶるーす』。本人はポール・マッカートニーを意識しているような(ポールもマルチ・プレイヤーだったしな)発言をよくしてたような気がするけど…かなりの自信家だったんだろう。まぁ、それはそれとして。
 

 
音譜全然、タイプは違うけど。子供の頃からギター少年だったチャー【Char】が21歳の時、1976年にリリースしたデビュー・アルバム『Char』から『Shinin' You , Shinin' Day』『Smokey』。翌年には作詞:阿久悠、作曲:梅垣達志によるシングル『気絶するほど悩ましい』がヒットし、原田真二と共にアイドル的な人気を得た。本人曰く「アルバムではロックを、シングルでは人気を得るために歌謡曲でも良かった」と。
 

 

 

音譜ギター繋がりで(こっちは白いギターじゃないよ)。昭和を代表する男性アイドルのひとりであり、ギタリストでもあった野口五郎が1977年にニューヨークに渡り、制作したフュージョン・アルバム『異邦人~Goro in New York』筒美京平のプロデュース、編曲、指揮の下、マイケル・ブレッカー(ts)、ランディ・ブレッカー(tp)、デヴィッド・サンボーン(as)、アンディ・ニューマーク(ds)、ウィル・リー(b)、ジョン・トロペイ(g)、デヴィッド・スピノザ(g)ら最強ミュージシャンが参加し(多分、野口五郎の希望だ)、高い音楽性といつまでも色褪せないサウンドを吹き込んだ。1曲を除く全曲が松本隆による作詞。そのアルバムからメロウなボッサな曲『愛撫』を。とは言え、アルバム全体ではファンキーな曲はちょっと無理目かなと思うし、歌謡曲的な歌声がところどころで顔を出してしまうんだけど。まぁ、それはそれで、それも彼の魅力と言うことで。

 

 
音譜野口五郎のライバル(だったのかなぁうーん)、郷ひろみが1979年にニューヨーク録音した、CITY POPなアルバム『Super Drive』から。作詞:竜真知子(=渡辺真知子)、作曲: 林哲司による『入江にて』。こちらのバックはハイラム・ブロック(g)、クリフォード・カーター(key)、ウィル・リー(b)、スティーヴ・ジョーダン(ds)を擁した24丁目バンド

 

 

 
📖昭和にはサーフィン・ブームもあった。僕も若い頃にサーフィンをしていたのでサーファーが集まるような喫茶店にはよく行った。普通の喫茶店と違うのはアメリカの雰囲気があったこと(「昭和」と言うよりは1970年代的と言った方がぴったりな感じ、かも)。店内にはパーム・トゥリージュークボックスがあったり、籐の椅子が置かれていたり。レトロな喫茶店 meets トロピカルな、(今でもあるかも知れない)、そんなお店。
 
そんな喫茶店のイメージは、当時、大阪のアメリカ村の外れにあった『Palms』(1978年にOpen)が象徴した。アメリカ村を作った重鎮のひとり、日限萬里子ママのお店。場所柄、サーファーもたくさん来てたけど、サーファー云々というよりもっとラジカルな雰囲気でテーブルには古い足踏み式のミシンが使われていたり、夜遅くには有名人もたくさん来ていた(坂本龍一ユーミンが来てたという話も)。写真は当時の『Palms』
📷️1987年に(昭和の終焉と共に)閉店した後の「Palms」の外観(まるでイーグルス『ホテル・カリフォルニア』のジャケットのイメージだ)。レトロだよね。この建物の1階が喫茶店、2階がとても雰囲気のいいダイニング・バー、地下にはデヴィッド・バーンThe Clashジョー・ストラマーもやって来たNew WaveなDiscoがあった。そしてその後、日限ママは1990年に伝説のClub「Qoo」を、1998年には「カフェ」ブームを牽引するように「ミュゼ【MUSE】をOpenさせるなど、とにかくその先見性とセンスには魅きつけられっぱなしだった。
 
📖1960年代の初め頃からテディ片岡の名前で小説家やエッセイスト、写真家として活躍し、1971年には伝説の雑誌「宝島」の編集長を務めた片岡義男(1939~)『ロンサム・カウボーイ』、とか『10セントの意識革命』とか『人生は野菜スープ』とか『and I Love Her』とか『ハロー・グッドバイ』とか『一日じゅう空を見ていた』『マーマレードの朝』『スローなブギにしてくれ』とか、そんな小説やエッセイを数多く書いた。外国の曲のタイトルをそのまんま引用するようなキャッチーなタイトルは、その文体と併せて硬質なのにどこかロマンティーク。サーファーっぽいレトロな喫茶店では、彼が書いた波乗りの本をパラパラと読んでいたいな。
 
📖例えば1979年に刊行された『波乗りの島』。1981年の『限りなき夏 Ⅰ 』、1983年の『8フィートの週末』とか。気分はハワイへと飛んでいく。
 

音譜ユーミン『稲妻の少女』『真冬のサーファー』もそうだったけど。当時のサーファーのアンセム。石川セリの、1979年にリリースされたシングル『ムーンライト・サーファー』。イメージが合わないけど、ソング・ライティングは元・頭脳警察パンタこと中村治雄。過激な曲であれ、何であれ。時代の空気のようなものを切り取る感覚が優れているのかな、と思う。

 

 
音譜山下達郎が1978年にリリースした(LIVEアルバム『It's A Poppin' Time』を挟んで)3枚目のオリジナル・ソロ・アルバム『Go Aead!』。常に尋常ではないほどのハイ・クォリティなアルバムを制作しながらセールス的には結果がついて来ず、もしもこのアルバムが売れなかったらもう表舞台からは退き、裏方として音楽に関わろうとか、とそこまで考えていた状況の中で、アルバムからシングルカットされた『ボンバー』【Bomber】「葡萄屋」などのサーファー・ディスコで流され、大阪のサーファーたちの間でブレイク。その後1980年には『Ride On Time』が大ヒットし、達郎の全国区的な快進撃が始まったのであった。

 

 
音譜『ボンバー』に続いてこの曲もサーファー・ディスコでよく流れた。1979年のアルバム『Moonglow』から。吉田美奈子のコーラスが素敵な、最高にGROOVYな曲『FUNKY FLUSHIN'』
 

 
音譜大阪のサーファー・ディスコで流行った、その繋がりで。桑名正博の1977年のシングル曲『哀愁トゥナイト』(曲は筒美京平、作詞が松本隆)。

 音譜そして78年リリースのアルバム『テキーラ・ムーン』からのシングル曲『薔薇と海賊』を。

 

 

音譜そして当時の大阪のサーファーに絶大な人気があった、横浜生まれのSSW、愛称「まっすん」こと、増田俊郎の、1979年にリリースされたファースト・アルバム『Good・Bye』。ディスコでは流れなかったけど、彼自身もサーファーだったこともあってアメリカ村界隈のトロピカルな喫茶店では定番的に流れていた。そのアルバムから、生まれた街、横浜への愛着が生んだ曲『Yokohama』その音楽は土臭くって、時折、海の匂いがしたり、ちょっぴりナイーヴな。まさにアメリカのウエストコースト・サウンドそのもの。ジャクソン・ブラウンテレンス・ボイランを彷彿とさせ、しかもアルバムはアメリカのウエスト・コーストの老舗「アサイラム」からリリースされたことも(ここ重要。テストに出ますよー)。

 
 

 
音譜同じく増田俊郎の曲『終わりのない夏』。ちょっとロマンチック過ぎて、恥ずかしいところもあるけど。胸がキュンとする、ほんとにいい曲だな、と。

 
音譜1969年、日本大学在学中に陳信輝とブルースロックのバンド、パワーハウスを結成。その後、後期ゴールデン・カップスに参加した後、友人であった成毛滋と共にイギリスに渡り、自らの音楽性を深めていった。日本のエリック・クラプトンと呼ばれた(実は本人はクラプトンには興味がなく、デイヴ・メイスンをリスペクトしていたという)歌えるギタリスト、柳ジョージが率いたバンド、レイニーウッドの、1979年の3枚目のアルバム『Y.O.K.O.H.A.M.A』から『プリズナー』『FENCEの向こうのアメリカ』を。因みにこの2曲の作詞はトシ スミカワこと、増田俊郎が書いている。
 

 

 
音譜今では海外でも人気が高いCITY POPと呼ばれる音楽をいくつか。

 

西城秀樹郷ひろみなどの曲のスタジオ・ミュージシャンとして、そのキャリアをスタートさせたギタリスト、芳野藤丸。1973年にはジョー山中(その後、内田裕也のバンド、フラワー・トラヴェリン・バンドに参加)、山内テツフリーロッド・スチュアートのバンド、フェイセズで活躍したこともあるベーシスト)とセッション・バンドを結成。1979年には伝説のグループ、SHŌGUNを結成し、活動した後、1982年にリリースした初のソロ・アルバム『YOSHINO FUJIMAL』は同年に結成されるAB'Sのメンバー、松下誠渡辺直樹(元スペクトラム)、岡本郭男浜田省吾が参加した「愛奴」の元メンバー)の演奏によるソリッドなサウンドが魅力的。

音譜アルバム『YOSHINO FUJIMAL』から。ギターのリフがやたらカッコいい、オープニング曲『Who Are You』。ボーカルは桑名正博の妹であり、大阪のロック・サークルのミューズでもあった桑名晴子

 

音譜ジャズ・ボーカリスト、笠井紀美子の1977年のアルバム『Tokyo Special』からCITY POPの名曲として知られるオープニング曲『バイブレイション』もともと山下達郎リンダ・キャリエールという女性シンガーに書き下ろした曲。それがお蔵入りになったため、安井かずみが歌詞を付けて笠井紀美子が歌った。達郎自身もアルバム『Go Ahead !』の中で『Love Celebration』としてセルフ・カヴァーしている。

 

 

音譜昭和の歌じゃないけど。七尾旅人が2012年にリリースしたアルバム『リトル・メロディ』から。あの頃に想いを馳せることができるような、ノスタルジックな曲『湘南が遠くなっていく』

 

 

トロピカルとは関係ないレトロな喫茶店に戻ることに。ソフトロックで「Love & Peace & Flower」な音楽をいくつか(都合によりジャケは省略するね)

 

音譜マークこと堀内護トミーこと日高富明ボーカルこと大野真澄による日本のCS&Nガロ1972年にリリースされた曲『地球はメリー・ゴーランド』。作詞は山上路夫、作曲は日高富明。

 

音譜山室英美子(現:白鳥英美子)と芥川澄夫のデュオ、トワ・エ・モアの1971年のヒット曲『地球は回るよ』。作詞は山上路夫、作曲は東海林修

 

音譜 1970年に藤川あおい(vo)、横倉裕(key , vo)、大木秀康(b)、清水薫(ds)、安井克己(per)によって結成されたノーヴォ【NOVO】の、1973年リリースのミニ・アルバム『白い森』からタイトル曲を。本格的なボサノヴァを演奏するグループとして、その音楽性は高く、セルジオ・メンデスにも称賛されたという。

 
ドキドキ1970年に開催され、「Love & Peace & Flower」を象徴した大イベント「EXPO'70~大阪万国博覧会」のこと。会期は1970年3月15日~9月13日の183日間。テーマは「人類の進歩と調和」だった。会場面積は330ha(東京ドームの約70倍、東京ディズニー・リゾートのパーク部分の約3倍とちょっと)。
 
ドキドキシンプルを極めた秀逸なシンボルマークは大高猛のデザイン。今、このデザインのTシャツを自分で作って着てたらカッコいいかな、って思う(「何でそんな古いものを着てるんだ、今はそれじゃないだろう」って、誰かから怒られるかも知れないけどにやり)。

 
 ドキドキ当時の大阪万国博覧会の会場のランド・スケープ。とてもカラフルなオモチャ箱のような夢の空間だった。総合プロデュースは丹下健三

 

♥️大屋根から顔を覗かせる岡本太郎の、「芸術は爆発だ!」が爆発した、素晴らしい造形の「太陽の塔」(今も万博記念公園に残されている)。大屋根の下は「お祭り広場」と呼ばれるメインのイベント会場だった。因みに会期中に自称「赤軍派」の男が太陽の塔の目のところに籠城する事件があり、その期間、目から放たれるビームの明かりは点灯されなかった。

 

ドキドキ開催期間の183日間に6422万人が入場した。外国の人を実際に見ることさえなかった時代に子供たちは大挙して訪れた外国の人に(一般の人に)サインと握手を求めたという。写真は解散最終日なのかなうーん。それにしても、凄い人、人、人。
 
万博に合わせて。その頃には会場の至るところで音楽が溢れ、「Love & Peace & Flower」な曲が数多く生まれた。
 
音譜ピコこと樋口康雄惣領泰則石川セリが在籍したシングアウト『涙をこえて』

 
音譜Kとブルンネン『地球の夜明け』

 
 音譜男女混声グループ、ナウ『ヘイ!』

 
音譜赤い鳥の1971年のシングル『美しい朝』のB面、英語で歌った『Sweet Morning Rain』。因みにバンドの表記も(世界を見据えていたのか)The Red Birdsに。

 
♥️(特に日本企業が出展した)パビリオンは、今なら無駄としか思えないほどに、個性があって魅力的だった。例えば「東芝IHI館」。ゴジラをイメージさせるようなデザインは日本を代表する建築家、黒川紀章の設計だった。
 
♥️「ガス・パビリオン」。何とラブリーなのか。イメージは家電製品(もしくは蚊取り線香用の置物)そのものだな。
 
レトロな喫茶店で。来年2025年には(あと1年!)再び大阪万国博覧会が開催される訳だけど、どうなんだろうかな、とうーん。一部の人は「あのEXPO'70~大阪万国博覧会の夢をもう一度」みたいに考えているんだろうけど、ビジネスとは関係ない一般の人はその開催について、いったいどう思ってるんだろうかって。そんなことを何となく、ぼんやりと考えてみたり。
 

 今回は本来のテーマ『珈琲 & 音楽 in 喫茶店 』からズレてしまったような気がするし、内容にまとまりがなかったような気もするけど(いつもかも)。これはこれで、それはそれでまぁ、いいかなにやりって思っている。

 


今回はこの辺で。
じゃぁ、また。
アデュー・ロマンティークニコ