Romantique No.578『Here Come The Ladies』【クラシック編】 | 『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

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僕が過去と現在、ロマンティークと感じた(これから感じることも)恋や音楽、映画、アートのいろいろなことを書いていきます。

 

 

                  Adieu Romantique No.578

                     『Here Come The Ledies』

                             【クラシック編】

                      

 

少し前に書いていた『Here Come The Girls』の流れで。写真が発明され、ポートレイトが撮られるようになった遥か昔から1950年代終わり頃までに。その個性と美しさでそれぞれの時代を輝かせた女性たちについて書き散らかしていくことに。

 

だけど。その幅広いディケイドで活躍した女性たちを括る総称としてはGirlsよりもLediesの方が相応しいと思うので(あくまでもイメージだけど)、タイトルは『Here Come The Ledies』【クラシック編】に。

 

古くは偉大なる芸術家たちのモデルを務めた女性たち(現在のファッションモデルの原流なのかなうーんや本人自身がアーティストであった女性たち。他にもバレリーナや映画史に刻まれた有名な女優たちや作家たちも。その美しさもさることながら、それ以上に個性的で圧倒的な存在感を放った女性たちのポートレイトを中心に、僕の限られた知識と趣味嗜好だけでセレクトしていくね。

 

音譜今回は画像が多過ぎたので音楽は1曲だけ。 『Here Come The Ledies』のテーマ曲として。ジャンゴ・ラインハルト【Django Reinhardt】アコースティック・スウィングな名曲『Minor Swing』を。

 

ドキドキそして最初のLadyはと言うと。1900年代中頃のイギリスで誕生した芸術グループ、「ラファエル前派」【Pre-Raphaelite Brotherhoodの中心人物だったダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの絵のモデルだったジェーン・モリス【Jane Morris】(旧姓ジェーン・バーデン : 1839~1914)同じ「ラファエル前派」の、花柄のテキスタイルで有名な画家ウィリアム・モリスの奥様だったけど、ロセッティともややこしい関係に。独自の美を追求したラファエル前派にあって、彼女はその理想そのものであり、画家たちのイマージュの源泉であり、ミューズであった。

🎨ロセッティが描いたジェーン・モリス

 

ドキドキロセッティの奥様であり、詩人、美術家でもあったエリザベス・シダル【Elizabeth Eleanor Siddal】(1829~1862)も、当時の画家たちに多くのインスピレーションを与えた。

🎨彼女をモデルにジョン・エヴァレット・ミレーが描いた傑作『オフィーリア』
因みにロセッティはジェーン・モリスエリザベス・シダル以外にも、ファニー・コンフォースFanny Cornforthアレクサ・ワイルディング【Alexa Wilding】という女性たちをモデルに絵を描き、深く関わっていた(どの女性もタイプが似てるんだよねうーん)。

ドキドキイギリスの作家、ルイス・キャロルが書いた永遠の著作『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』の主人公アリスのモデルになったアリス・リデル【Alice Liddell】(1852~1934)。

📷️リデル家の3姉妹。左から三女イーデス、長女ロリーナ、そして次女アリス

ドキドキ天才彫刻家オーギュスト・ロダンの弟子であり、愛人でもあった(そう。ロダンには奥さんがいたから)カミーユ・クローデル【Camille Claudel】(1864~1943)。決して成就しない愛の中で限りない情熱を秘めながら、その美しさを永遠のものにした。

📷️ロダンと共に制作に没頭するカミーユ

🎨カミーユが1888年に制作した作品「カカンターラ、または放棄された、またはVertumnusとPomona」。力強さと柔らかさが同居してるよね。
 
ドキドキ生前は自らの作品を発表しなかったため、ほとんど知られることがなかったスウェーデンの画家、ヒルマ・アフ・クリント【Hilma af Klint】(1862~1944)。1900年代初頭に。神秘主義への傾倒から到達した、そのモダンな作品はシュプレマティズムミニマリズムを先駆けていて、その早過ぎた才能と好奇心、イマージュに驚かされるばかりだ。



ドキドキアルマ・マーラー【Alma Maria Mahler】( 1879~1964)。オーストリアの偉大なる音楽家、グスタフ・マーラーの奥様であり、自身も作曲を行い、16の歌曲が今日に残されているという。また彼女は数多くの芸術家たちを魅了し、ウィーンの天才画家グスタフ・クリムトと深い関係にあった時期があり、「バウハウス」を設立する建築家ヴァルター・グロピウスとはマーラーが亡くなった後、結婚する。また表現主義の画家オスカー・ココシュカにあっては長年、恋愛関係にあったけど、1915年にはその恋も終わってしまうものの、ココシュカはアルマが忘れられずアルマの等身大の人形を制作し、外出する際にはその人形を連れていったというエピソードも(怖いよーえーん)。芸術家にとって彼女はまさにファム・ファタール【Femme Fatale】(魔性の女)であったのだ。

 
ドキドキコレットというペンネームで1900年に開催された、パリ万博以降に花開いた女性たちの自由な生き方を牽引した作家(彼女はバイ・セクシュアルであった)シドニー=ガブリエル・コレット【Sidonie-Gabrielle Colette】(1873~1954)。1953年には彼女が書いた著作「Gigi」ミュージカル化されブロードウェイで上演される際にはオーディションに立ち会い、オードリィ・ヘプバーンを主役に抜擢。さらにその作品は1958年にヴィンセント・ミネリによりレスリー・キャロン主演で『恋の手ほどき』【Gigi】として映画化されている。

ドキドキジャンヌ・エビュテルヌ【Jeanne Hébuterne】(1898~1920)は、1910年代のパリで数々の名画を描いた画家アメイディオ・モディリアーニのお気に入りのモデルであり、内縁の妻でもあった。モディリアーニと暮らしていた頃は、第一次世界大戦のさ中。苦しい生活ではあったけれど、二人はとても幸せだった。だけど1920年にモディリアーニが亡くなってしまうと、その翌日にジャンヌは窓から身を投げて後を追いかけてしまう。モディリアーニとジャンヌ。画家とモデル。お互いどちらにとってもお互いが無くてはならない、そんな関係…そうして二人の死の後、皮肉にもパリでは「狂騒と祝祭の時代」が幕を明け、モディリアーニと共に絵を描いていた友人たちは、その活動の総称であったエコール・ド・パリ【École de Paris】と共に一躍脚光を浴びて大きく花を咲かせることになる。

 

📷️とてもエキセントリックな顔立ちのジャンヌ・エビュテルヌのポートレイト。

🎨モディリアーニが描いたジャンヌ・エビュテルヌの肖像画。


ドキドキ時代がちょっと迷走するけど。モディリアーニ(ジェラール・フィリップ)とジャンヌを描いた、ジャック・ベッケルによる1958年の映画『モンパルナスの灯』【Les Amants de Montparnasse】に主演したアヌーク・エーメ【Anouk Aimee】(1932~)もまたとても美しく魅力的な女性だった。彼女についてはいずれ、また。


 ドキドキ1909年に帽子店をオープンするところからスタートし、現在でも世界中で愛されているハイ・ファッション・ブランド「CHANEL」を興したココ・シャネルこと、ガブリエル・シャネル【Gabrielle Chanel】(1883~1971)。1920年代にはファッションの事業で成功を収めセレブリティとなった彼女はパトロンとして数多くの芸術家を支援した。

 📷️写真の可能性を広げた革命的な写真家マン・レイが撮ったココ。美しさ以上に。その存在感は半端じゃない。

ドキドキアリス・プラン【Alice Prin】(1901~1953)。「モンパルナスのキキ」として伝説となったフランス人女性。カフェ(ナイトクラブ)の歌手であり女優でありモデルであり画家でもあった。

 📷️彼女はエコール・ド・パリの画家のひとり、日本人画家、藤田嗣治【Leonard Foujita】のお抱えのモデルであった。
🎨フジタのオリジナルの色彩である、乳白色で描かれたキキのヌード。
🎨エコール・ド・パリの画家、モイーズ・キスリングがカラフルに描いたキキ
 
ドキドキ20世紀のアメリカを代表する画家ジョージア・オキーフ【Geogia Okeeffe】(1887~1986)。旦那さんは世界的な写真家アルフレッド・スティーグリッツ
🎨彼女の作品はアメリカの自然や風景をモチーフにしながら、どこかシュルレアリスティックだ。


ドキドキアンナ・パヴロワ【Anna Pavlova】(1881~1931 )。マリインスキー・バレエ団に所属し、ミハイル・フォーキンが振り付けた「瀕死の白鳥」(1907)で一躍脚光を浴びた美しきプリマ。写真はデジタル加工によって色彩を得たアンナ・パヴロワ。

 

ドキドキ同じくマリインスキー・バレエ団のプリマであり、(今で言うところの)マルチ・プロデューサー、セルゲイ・ディアギレフが主宰した革命的な「バレエ・リュス」【Ballets Russes】の中心の踊り手でもあったタマラ・カルサヴィナ【Tamara Karsavina】(1885~1978)。写真はこれもデジタル加工による、バレエ・リュスの伝説のプリンシパル、ヴァーツラフ・ニジンスキーと踊るタマラ。

 

ドキドキ美しさの中には、その才能も含まれる。ベルリンのDADA-ismを興したハンナ・ヘッヒ【Hannah Höch】(1889~1978)。DADAの精神が宿った、その作品や活動は攻撃的で過激でバカバカしくって。だけど彼女自身のキャラクターも含めて、とってもチャーミングなんだよねイヒ

 🎨彼女が生み出したフォトモンタージュによる作品。100年も前にこの感覚って、凄過ぎるよね。


ドキドキアールデコの女性画家、タマラ・ド・レンピッカ【Tamara de Lempicka】(1898~1980)。彼女が描いたファッショナブルな絵のように、彼女もまたファッショナブルな女性だった。


🎨彼女が1925年に描いた自画像「緑色のブガッティに乗るタマラ」(そのまんまやんかぁーおーっ!)。
 
ドキドキまさにLadyという言葉が似合うゼルダ・フィッツジェラルド【Zelda Fitzgerald】(1900~1948)。村上春樹も訳している『グレート・ギャッビー』を書いた作家のスコット・フィッツジェラルドの奥様。夫のフィッツジェラルドに「君はアメリカで最初のフラッパー(当時流行した、ファッションを楽しみ自由な生き方をした新しい女性たちを指すスラング)だ」と形容したほど、彼女はお洒落で華やかで美しく、1920年代の象徴的な存在であった。

📷️フィッツジェラルド夫妻のポートレイト。
 
ドキドキ日本からもエントリー。陸奥亮子【Ryoko Mutsu】(1856~1900)は、明治時代の政治家で外交官でもあった伯爵・陸奥宗光の奥様。その美貌 と聡明さによって当時の社交界の華として耀いた。
📷️陸奥亮子のポートレイトもデジタル技術で鮮やかに蘇った。

ドキドキアナイス・ニン【Anais Nin】(1903~77)。フランス生まれの作家。11歳の時から亡くなる直前まで60年間に渡って書き綴ってきた日記を『アナイス・ニンの日記』として出版し(その際には実際の日記にかなりの創作が加えられた)話題となった他、性愛小説家としても知られ、性の完全性と欠陥について追求されている。『アナイス・ニンの日記』の出版後、原文の日記により近い形で出版された
『ヘンリー&ジューン』によって、『南回帰線』などを書いたヘンリー・ミラーとの赤裸々な関係が知られることとなった。

ドキドキアナイスは日記の中でこんなことを書いている。「息を呑むほどの白い顔、燃える瞳。ジューン・マンスフィールド、ヘンリーの妻。庭の暗がりから玄関ホールの明りの中にはいった彼女を見て、生まれて初めて私はこの地球上で最も美しい女性と出逢った、と思った」(1931年12月の日記より)。ヘンリー・ミラーに魅かれながら、アナイスはその奥様であった美しきジューン・マンスフィールド【June Mansfield Miller】(1902~1979)の虜になっていく。

ドキドキサイレント期にD.W.グリフィスが撮った歴史的な映画『國民の創世』(1915)や『イントレランス』(1916)、『散り行く花』(1919)に主演し、「アメリカのファースト・レディ」と呼ばれた女優であり、その後も長く映画界で輝いたリリアン・ギッシュ【Lillian Gish】(1893~1993)。清楚で儚気な。そんなところが彼女の魅力だったうーん


ドキドキクララ・ボウ【Clara Bow】(1905~65)。映画がまだ声を持たなかったサイレントの時代に。クララ・ボウという女優がいた。彼女は1927年の『あれ』【IT】という映画に主演し、一躍、脚光を浴びた。その後、彼女はその映画のタイトルから「イット・ガール」と呼ばれることになり、それまで人気があったセダ・バラポーラ・ネグリといった女優たちに付けられ、人気を集めた「ヴァンプ」【Vamp】(妖婦)のイメージに取って代わっていく。彼女はコケティッシュでキュートな、女性の新しい魅力を体現したのだ。

 

ドキドキ「神聖ガルボ帝国」と呼ばれたサイレント期後半の、スウェーデン生まれの大女優グレタ・ガルボ【Greta Garbo】(1905~1990)。トーキーへの流れを何とか乗り越えて(自分の生の声を出さなくてもいい時代と自分の生の声を出さないといけない時代のギャップは相当なことだったはず)、トーキーの映画『ニノチカ』で見事に返り咲いた。

 

ドキドキルイーズ・ブルックス【Louise Brooks】(1906~1985)。クララ・ボウが活躍していた同じ頃に。「フラッパー」を代表した女優であり、そのファッションの象徴であるボブヘアで人気を集めた。

 


ドキドキドイツ生まれの女優であり歌手でもあったマレーネ・ディートリヒ【Marlene Dietrich】(1901~1992)は、当時の、最高にグラマラスな女性だった。

📷️ジョセフ・フォン・スタンバーグが1930年に撮った名作『モロッコ』【Morocco】ではアメリカ映画界屈指の大スター、ゲイリー・クーパーと共演した。

ドキドキリー・ミラー【Lee Miller】(1907~77)。彼女自身もDADA~シュルレアリスムの中心にいたマン・レイに師事し、親密な関係を持ちながらマン・レイから多くのものを得て、シュルレアリスム的なイマージュを表現した優れた写真家だった(後に戦場写真家に)。けれども。その美しさによって写真の被写体になることも多かったはずだし、男女の色恋でいろいろあったのも事実。まぁ、一般的な知名度はなかったかも、だけど。僕の中では永遠に憧れの女性なのだな。

 

📷️とても古い写真なのに。何だろう。この現代的な美しさは?

 

ドキドキキャロル・ロンバード【Carole Lombard】(1908~1942)。1930年代に活躍し、「スクリューボール・コメディの女王」と呼ばれた。因みに彼女はハリウッド屈指の大スター、クラーク・ゲイブルの奥様でもあったけれど、その幸せの最中に彼女は33歳の若さで飛行機事故で亡くなっている(クラーク・ゲイブルはそのショックで一時期、映画界から離れたという)。

📷️クラーク・ゲイブルとの仲睦まじい写真を。

ドキドキオーストリア生まれの女優ヘディ・ラマー【Hedy Lamarr】(1914~2000)は、1933年のチェコ映画『春の調べ』で史上初のオール・ヌードを披露し「エクスタシー」或いはファム・ファタール」呼ばれるほどのセンセーションを巻き起こしたセックス・シンボル。日本ではあまり有名な女優じゃないけど、その美しさは破格。彼女曰く「私の人生がもし不幸だったとしたら、それは私の美貌ゆえだ」とか。因みに『風と共に去りぬ』に主演したヴィヴィアン・リーは、映画『アルジェ』の彼女の髪型を真似たというほど。とにかくとても美しく、スキャンダラスな女優だった。

 

 

ドキドキイギリス生まれの女優、ヴィヴィアン・リー【Vivien Leigh】(1913~1967)。本名はヴィヴィアン・メアリー・ハートリー(Vivian Mary Hartley)。小顔でスレンダーなスタイルが魅力的な女性。女優としても1939年の映画『風と共に去りぬ』スカーレット・オハラの役(コルセットを締め上げられるシーンでの、その見事な腰のくびれは子供心に鮮烈に焼きついた)と、1951年の映画『欲望というの電車』ブランチ・デュボワ役で2度のアカデミー主演女優賞を受賞、日本ではロバート・テイラーと共演した1940年の『哀愁』【Waterloo Bridge】の人気が特に高い。

 

ドキドキウクライナ生まれ。アメリカで活動した知られざる前衛映画作家であり、舞踏家、振り付け師、詩人、作家、写真家でもあったマヤ・デレン【Maya Deren】(1917~1961)。彼女が1943年に撮った『午後の網目』【Meshes of The Afternoon】はアヴァンギャルドな傑作。


 ドキドキ最後は。画家とモデルたちの話で締め括ろう。数多くの女性たち(少女も含む)のエロティシズムを描いたバルテュスのモデルのひとり、フレデリック・ディゾン【Frederique Tison】(1916~59)。


🎨彼女をモデルに描いた1942年の作品『Le Salon』

ドキドキポートレイトは見つからなかったけど。バルテュスの傑作『夢見るテレーズ』テレーズ・ブランシャール【Therese Blanchard】をモデルにして描かれた。
🎨バルテュスの代表作のひとつ。これもモデルはテレーズ
ドキドキバルテュスは、『マダム・エドワルダ』『眼球譚』を書いた作家であり、哲学者、思想家として後のポスト構造主義にも影響を与えたジョルジュ・バタイユの娘、ローランス・バタイユ【Lorance Bataille】をモデルに絵を描いている。
🎨1949年にローランスをモデルに描いた作品『地中海の猫』
ドキドキ日本人女性、出田節子【Setsko Ideta】(1942~)はバルテュスにとって最後の妻であり、最後の女性となった。

今回のテーマは1回のブログに集約しようと思ったけど、完成間近にしてそれはまったく無理だと分かったので2回に分けることに。やっぱり書きたいことを省くってしんどいよねえー?。そう。編集能力にも限界が。だけど2回に分けるって決めたから気分はずいぶんと楽ちんに。まぁ、それでも「あの女性が抜けてるよ」とか「この女性も魅力的なのに」とか、いろんな声があると知りながら。足したり引いたりしつつ何とか書き終えました。

 

それじゃあ、続きはまた次回に。
アデュー・ロマンティークニコ