Adieu Romantique No.578
『Here Come The Ledies』
【クラシック編】
少し前に書いていた『Here Come The Girls』の流れで。写真が発明され、ポートレイトが撮られるようになった遥か昔から1950年代終わり頃までに。その個性と美しさでそれぞれの時代を輝かせた女性たちについて書き散らかしていくことに。
だけど。その幅広いディケイドで活躍した女性たちを括る総称としてはGirlsよりもLediesの方が相応しいと思うので(あくまでもイメージだけど)、タイトルは『Here Come The Ledies』【クラシック編】に。
古くは偉大なる芸術家たちのモデルを務めた女性たち(現在のファッションモデルの原流なのかな)や本人自身がアーティストであった女性たち。他にもバレリーナや映画史に刻まれた有名な女優たちや作家たちも。その美しさもさることながら、それ以上に個性的で圧倒的な存在感を放った女性たちのポートレイトを中心に、僕の限られた知識と趣味嗜好だけでセレクトしていくね。
今回は画像が多過ぎたので音楽は1曲だけ。 『Here Come The Ledies』のテーマ曲として。ジャンゴ・ラインハルト【Django Reinhardt】のアコースティック・スウィングな名曲『Minor Swing』を。
そして最初のLadyはと言うと。1900年代中頃のイギリスで誕生した芸術グループ、「ラファエル前派」【Pre-Raphaelite Brotherhood】の中心人物だったダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの絵のモデルだったジェーン・モリス【Jane Morris】(旧姓ジェーン・バーデン : 1839~1914)。同じ「ラファエル前派」の、花柄のテキスタイルで有名な画家ウィリアム・モリスの奥様だったけど、ロセッティともややこしい関係に。独自の美を追求したラファエル前派にあって、彼女はその理想そのものであり、画家たちのイマージュの源泉であり、ミューズであった。
ロセッティの奥様であり、詩人、美術家でもあったエリザベス・シダル【Elizabeth Eleanor Siddal】(1829~1862)も、当時の画家たちに多くのインスピレーションを与えた。
アルマ・マーラー【Alma Maria Mahler】( 1879~1964)。オーストリアの偉大なる音楽家、グスタフ・マーラーの奥様であり、自身も作曲を行い、16の歌曲が今日に残されているという。また彼女は数多くの芸術家たちを魅了し、ウィーンの天才画家グスタフ・クリムトと深い関係にあった時期があり、「バウハウス」を設立する建築家ヴァルター・グロピウスとはマーラーが亡くなった後、結婚する。また表現主義の画家オスカー・ココシュカにあっては長年、恋愛関係にあったけど、1915年にはその恋も終わってしまうものの、ココシュカはアルマが忘れられずアルマの等身大の人形を制作し、外出する際にはその人形を連れていったというエピソードも(怖いよー)。芸術家にとって彼女はまさにファム・ファタール【Femme Fatale】(魔性の女)であったのだ。
ジャンヌ・エビュテルヌ【Jeanne Hébuterne】(1898~1920)は、1910年代のパリで数々の名画を描いた画家アメイディオ・モディリアーニのお気に入りのモデルであり、内縁の妻でもあった。モディリアーニと暮らしていた頃は、第一次世界大戦のさ中。苦しい生活ではあったけれど、二人はとても幸せだった。だけど1920年にモディリアーニが亡くなってしまうと、その翌日にジャンヌは窓から身を投げて後を追いかけてしまう。モディリアーニとジャンヌ。画家とモデル。お互いどちらにとってもお互いが無くてはならない、そんな関係…そうして二人の死の後、皮肉にもパリでは「狂騒と祝祭の時代」が幕を明け、モディリアーニと共に絵を描いていた友人たちは、その活動の総称であったエコール・ド・パリ【École de Paris】と共に一躍脚光を浴びて大きく花を咲かせることになる。
📷️とてもエキセントリックな顔立ちのジャンヌ・エビュテルヌのポートレイト。
🎨モディリアーニが描いたジャンヌ・エビュテルヌの肖像画。
時代がちょっと迷走するけど。モディリアーニ(ジェラール・フィリップ)とジャンヌを描いた、ジャック・ベッケルによる1958年の映画『モンパルナスの灯』【Les Amants de Montparnasse】に主演したアヌーク・エーメ【Anouk Aimee】(1932~)もまたとても美しく魅力的な女性だった。彼女についてはいずれ、また。
アリス・プラン【Alice Prin】(1901~1953)。「モンパルナスのキキ」として伝説となったフランス人女性。カフェ(ナイトクラブ)の歌手であり女優でありモデルであり画家でもあった。
アンナ・パヴロワ【Anna Pavlova】(1881~1931 )。マリインスキー・バレエ団に所属し、ミハイル・フォーキンが振り付けた「瀕死の白鳥」(1907)で一躍脚光を浴びた美しきプリマ。写真はデジタル加工によって色彩を得たアンナ・パヴロワ。
同じくマリインスキー・バレエ団のプリマであり、(今で言うところの)マルチ・プロデューサー、セルゲイ・ディアギレフが主宰した革命的な「バレエ・リュス」【Ballets Russes】の中心の踊り手でもあったタマラ・カルサヴィナ【Tamara Karsavina】(1885~1978)。写真はこれもデジタル加工による、バレエ・リュスの伝説のプリンシパル、ヴァーツラフ・ニジンスキーと踊るタマラ。
🎨彼女が生み出したフォトモンタージュによる作品。100年も前にこの感覚って、凄過ぎるよね。
アールデコの女性画家、タマラ・ド・レンピッカ【Tamara de Lempicka】(1898~1980)。彼女が描いたファッショナブルな絵のように、彼女もまたファッショナブルな女性だった。
クララ・ボウ【Clara Bow】(1905~65)。映画がまだ声を持たなかったサイレントの時代に。クララ・ボウという女優がいた。彼女は1927年の『あれ』【IT】という映画に主演し、一躍、脚光を浴びた。その後、彼女はその映画のタイトルから「イット・ガール」と呼ばれることになり、それまで人気があったセダ・バラやポーラ・ネグリといった女優たちに付けられ、人気を集めた「ヴァンプ」【Vamp】(妖婦)のイメージに取って代わっていく。彼女はコケティッシュでキュートな、女性の新しい魅力を体現したのだ。
「神聖ガルボ帝国」と呼ばれたサイレント期後半の、スウェーデン生まれの大女優グレタ・ガルボ【Greta Garbo】(1905~1990)。トーキーへの流れを何とか乗り越えて(自分の生の声を出さなくてもいい時代と自分の生の声を出さないといけない時代のギャップは相当なことだったはず)、トーキーの映画『ニノチカ』で見事に返り咲いた。
ルイーズ・ブルックス【Louise Brooks】(1906~1985)。クララ・ボウが活躍していた同じ頃に。「フラッパー」を代表した女優であり、そのファッションの象徴であるボブヘアで人気を集めた。
ドイツ生まれの女優であり歌手でもあったマレーネ・ディートリヒ【Marlene Dietrich】(1901~1992)は、当時の、最高にグラマラスな女性だった。
リー・ミラー【Lee Miller】(1907~77)。彼女自身もDADA~シュルレアリスムの中心にいたマン・レイに師事し、親密な関係を持ちながらマン・レイから多くのものを得て、シュルレアリスム的なイマージュを表現した優れた写真家だった(後に戦場写真家に)。けれども。その美しさによって写真の被写体になることも多かったはずだし、男女の色恋でいろいろあったのも事実。まぁ、一般的な知名度はなかったかも、だけど。僕の中では永遠に憧れの女性なのだな。
📷️とても古い写真なのに。何だろう。この現代的な美しさは?
キャロル・ロンバード【Carole Lombard】(1908~1942)。1930年代に活躍し、「スクリューボール・コメディの女王」と呼ばれた。因みに彼女はハリウッド屈指の大スター、クラーク・ゲイブルの奥様でもあったけれど、その幸せの最中に彼女は33歳の若さで飛行機事故で亡くなっている(クラーク・ゲイブルはそのショックで一時期、映画界から離れたという)。
オーストリア生まれの女優ヘディ・ラマー【Hedy Lamarr】(1914~2000)は、1933年のチェコ映画『春の調べ』で史上初のオール・ヌードを披露し「エクスタシー」或いは「ファム・ファタール」と呼ばれるほどのセンセーションを巻き起こしたセックス・シンボル。日本ではあまり有名な女優じゃないけど、その美しさは破格。彼女曰く「私の人生がもし不幸だったとしたら、それは私の美貌ゆえだ」とか。因みに『風と共に去りぬ』に主演したヴィヴィアン・リーは、映画『アルジェ』の彼女の髪型を真似たというほど。とにかくとても美しく、スキャンダラスな女優だった。
イギリス生まれの女優、ヴィヴィアン・リー【Vivien Leigh】(1913~1967)。本名はヴィヴィアン・メアリー・ハートリー(Vivian Mary Hartley)。小顔でスレンダーなスタイルが魅力的な女性。女優としても1939年の映画『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラの役(コルセットを締め上げられるシーンでの、その見事な腰のくびれは子供心に鮮烈に焼きついた)と、1951年の映画『欲望というの電車』のブランチ・デュボワ役で2度のアカデミー主演女優賞を受賞、日本ではロバート・テイラーと共演した1940年の『哀愁』【Waterloo Bridge】の人気が特に高い。
最後は。画家とモデルたちの話で締め括ろう。数多くの女性たち(少女も含む)のエロティシズムを描いたバルテュスのモデルのひとり、フレデリック・ディゾン【Frederique Tison】(1916~59)。
今回のテーマは1回のブログに集約しようと思ったけど、完成間近にしてそれはまったく無理だと分かったので2回に分けることに。やっぱり書きたいことを省くってしんどいよね。そう。編集能力にも限界が。だけど2回に分けるって決めたから気分はずいぶんと楽ちんに。まぁ、それでも「あの女性が抜けてるよ」とか「この女性も魅力的なのに」とか、いろんな声があると知りながら。足したり引いたりしつつ何とか書き終えました。