Adieu Romantique No.524
『アイドルを探せ in 80's【日本篇】』
少し前に書いた記事『アイドルを探せ in 80's』の、その日本篇。1980年代の日本は、第2次歌謡アイドル・ブーム真っ只中だった。松田聖子、中森明菜、小泉今日子、岡田有希子、おにゃん子…名前を挙げるだけでもキリがないし、当時の僕自身はすでに、天地真理、小柳ルミ子、南沙織、桜田淳子、山口百恵、麻丘めぐみ、岡崎友紀、キャンディーズ、木ノ内みどり、小林麻美らに代表される第1次の歌謡アイドル・ブームをリアル体験していたから、そこにはあまり触手が伸びていかない。
以前の記事では所謂New Wave周辺の(僕にとってアイドルだった)女性シンガーたちと、その曲をセレクトしたので、今回もその続編として。80年代の日本で、メイン・ストリームから少し外れたNew Wave周辺においてコアな活動をしていた女性音楽家、或いは女性シンガーたちのことを個性重視で拾い上げてみようと思う。
そう。80年代という時代をささやかにドキドキさせてくれた彼女のこと、彼女たちのこと。
まずはをしみわがおこと、小川美潮。1978年にボーカリストして板倉文と共にチャクラを結成。天然な感じとアヴァンギャルド性、可愛らしさを併せ持った、そのキャラクターに一時期、僕は完全に嵌ってしまった。曲はジャズ・サックス奏者坂田明や神谷重徳、千野秀一、村上“PONTA”秀一、仙波清彦による実験音楽集団「WA-HA-HA」に参加した、1981年の傑作アルバム『下駄はいてこなくちゃ』から、アカテレこと『明るいてれんこ娘』を。「寄り眼と逆立ちでうれしさ表わそ」という歌詞はまるで赤塚不二夫の漫画に登場するキャラクターそのものであり、赤塚の「DADA」的な、破壊的でナンセンスな世界が音楽によって見事に表現されている。
上野耕路、太田螢一と共に1981年に結成したゲルニカ解散後、ソロ活動や(沼正三による異形の小説『家畜人ヤプー』から名付けられた)ヤプーズ【YAPOOS】を率いた戸川純。80年代の、「変わっている女の子」、或いは「不思議ちゃん」の代名詞であり、当時流行した「新人類」の代表でもあった。曲は1984年のソロ・デビュー・アルバム『玉姫様』からタイトル曲を。過激で暗くて知的でお嬢様ぽくて、微妙に可愛くてイノセントで文学的で演劇的で、なのにPOPな。後にも先にもこんなキャラのアイドルは存在していない。因みに。女優、シンガーとして活躍した彼女の妹、戸川京子も当時の僕のアイドルとして名前を挙げておきたい。
📷️戸川純は過去から現在まで、唯一無二の存在であり続けている。
日本のポジティヴ・パンクを代表したAUTO-MODのジュネが主宰し、ソドムやサディ・サッズらのバンドを擁したインディ・レーベル、ヴェクセルバルグ【WECHSELBALG】から1983年にデビューしたゴシック・バンド、G(ゲイ)- シュミット【G-Schmitt】。その音楽にも、リード・ボーカルのSyokoのパフォーマンスにも唯一無二の耽美的な雰囲気が沈殿していた。曲は同時期にリリースされたオムニバス・アルバム『時の葬列』から『Kの葬列』を。
須山久美子。1979年に関西NO WAVEを代表するバンド、変身キリンに参加した後、1981年にソロ活動を開始。シャンソンに影響を受けたアコーディオンの弾き語りにより昭和初期の世界を再現した1986年リリースのアルバム『夢のはじまり』から。バックには元暗黒大陸じゃがたらのメンバーであり、後にコンポステラを結成する篠田昌巳や大熊亘らが参加。曲はアルバムから東欧のクレッズマーやロマ音楽の影響を受けたかのような『新しい大陸』。
phew。1977年夏、18歳の時にロンドンに渡り、さまざまなLIVEをリアルに体験。その影響により帰国後、1979年にアーント・サリー【Aunt Sally】のメンバーとして音楽活動を開始。その後80年に「PASS RECORDS」から坂本龍一のプロデュースによりソロ・シングル『終曲(フィナーレ)』をリリース。
翌年、ファースト・アルバムをドイツの鬼才コニー・プランクのスタジオで彼のプロデュースにより制作・リリース。レコーディングのメンバーにはクラウト・ロックの雄、カンのメンバーであったホルガー・シューカイとヤキ・リーヴェツァイトが名を連ねるなど、大変なことに。
Haco。1981年にアフターディナー【After Dinner】を結成し、活動開始。1983年に大阪のインディ・レーベル「カンガン・レコード」からリリースされた環境音楽な(或いはアヴァン・ポップな)アルバム『GLASS TUBE』からタイトル曲を。
80年代の初め頃。雑誌「anan」の専属モデルとしてとても高い人気があった甲田益也子が木村達司と1983年に結成した音楽ユニット「dip in the pool」の、まるでヴァージニア・アシュトレイのような、透明感を内包したイノセントな曲『Silence』。デビュー・アルバムのカヴァー写真はフランスのファッション写真家、デボラ・ターバヴィル【Deborah Turbeville】が撮影した。因みに「dip in the pool」は窪田晴男(g)や角銅真実(per)らをサポート・メンバーに加えるなど、現在でも精力的に活動していて、その人気は高まってきているという。
📷️「anan」での、坂本龍一とのシューティング。
1982年に美しきかの香織を中心に結成されたグループ、ショコラータ【Cioccolata】の1985年のアルバムから『いつかみた青空』。アルバムのカヴァー・アートはアーウィン・ブルーメンフェルドの有名なファッション写真からのインスパイアだろうか。当時のショコラータは桑原茂一が原宿にオープンさせた伝説のCLUB「ピテカントロプス・エレクトス」でLIVEを行ったり、伝説のカセットマガジン「TRA」に参加したり、1986年にリリースされた元パレ・シャンブルグのホルガー・ヒラーのアルバム『怪人ホルガ―博士の実験室』【Oben Im Eck】に客演したり。その活動は極めて個性的で先鋭的だった。
EYE(山塚アイ)が結成し、後にカート・コバーン率いるニルヴァーナの全米ツアーのオープニング・アクトを務めるなど世界的に活躍するボアダムスのオリジナル・メンバー、ヨシミ。1995年には自らのバンド、○○I○○【オーオーアイオーオー】を結成し、誰にも似ていない自由な音楽を創造してきた。その彼女のイメージは、実際に親交が深いソニック・ユースのキム・ゴードンと重なる。曲は『Open Your Eyes You Can Fly』。何故だか。草間彌生のアートのBGMにぴったりだと思うんだけど。どうだろうか?
1984年に結成され、大阪ではカリスマ的な人気を得たガールズ・バンド、メスカリン・ドライヴ【Mescaline Drive】のアイドルだった伊丹英子。その後、メスカリンと中川敬のニューエスト・モデルが合体したソウル・フラワー・ユニオン、そして神戸・淡路大震災の時にはソウル・フラワー・モノノケ・サミットで活動し、僕にとってのアイドルであり続けた(写真右端)。因みに。伊丹英子とは、メスカリン時代に個人的に繋がっていて、ちょっぴり仲良が良かった時期があったというプチ自慢も(笑)。
それじゃぁ、今回はこの辺で。
アデュー・ロマンティーク