僕の架空音楽バー
『Bar Adieu Romantique』へ、ようこそ。
『Bar Adieu Romantique』ではお越しいただいた方に毎回、ご挨拶代わりに僕の独り言【Monologue】を書いたFree Paperをお渡ししている。
Romantique Monologue No.020
『3年後の、世界のすべてが病んでいるので』
まず初めに。この独り言はあくまでも僕個人の主観であり、心情だということをお伝えしておくね。
来月の5月8日から、コロナの分類はインフルエンザの扱いと同じく5類に引き下げられる。つまり、コロナは3年と少しの長い長い期間を経て、ようやく(というべきなのかは分からないけれど)、国レベルの対応が終わることになり、今現在も特に大きな規制はなく、すでにマスク着用についても緩和されている(だからと言ってほとんどの人は未だ屋外でもマスクを付けているけど)。まぁ、花粉や黄砂のこともあるし、個人の判断に委ねられているのだから、付けても付けなくても構わない訳で。
だけど、ほとんどの人はいずれどこかで外すことになるのだし、仮にそのタイミングが今じゃないとしても、今後、個人が「よし今だ。マスクを外そう!」と思うタイミングをどこに設定するんだろうかとは思う。少なくとも。そのタイミングが同調圧力によって左右されなければいいなと思う。
※コロナ禍で撮られた、アルゼンチンの女性写真家ロミーナ・レシア【Romina Ressia】の作品。
僕のブログでは何度か書いてきたけど。コロナについては最初から違和感が付き纏っていた。
コロナ騒ぎが始まりつつあった2020年2月26日のブログ記事で僕は詩のようなものを書いている。
世界のすべてが病んでいるので
世界のすべてが病んでいるので
世界はすべてが健康だと言う
世界のどこかでは
自由を求めた闘いは
報道さえなくなり
自由は行方不明のままだし
森林が焼けた跡には
多くの動植物が死に絶えている
世界のすべてが灰色なので
世界はすべてが薔薇色だと言う
世界のどこかでは
海面が上昇して島が
沈んでしまうことについて
誰かのせいにしたり
知らん顔をしたり
正義の名のもとに
多くの人が傷つき
死んでいったり
そして今 この瞬間にも
世界のどこかでは
多くの人が未知のウィルスに
怯えながら暮らしている
(世界にはウィルスではなく
ウィッスルが必要なのだと
僕はふと考える)
嗚呼 もはや
世界のすべてが何もないので
世界は
世界のすべてが存在すると言っている
世界のどこかでは
相変わらず何かが起こり
世界はどんどん上書きされていく
(下書きはいったい何処へ)
世界のすべてのすべての世界
そんな世界のことを考えながら
憂いながら
さて今度の土曜日の夜には
クラブに躍りにいこうかなどと考える
一瞬
僕の世界はベッドの上から
大きくズレ落ちた
この詩を書いた2020年2月26日の時点では、連日、世界規模でのコロナの報道があり(イタリアでは3月9日からヨーロッパで最初にロックダウンを開始した)、日本では政府が大きなLIVEなどのイベントに対する自粛要請と小中高校に対して春休みまでの臨時休校を要請し、マスクをつける人が急速に増え始めてきた頃。但し、政治家たちがマスクを付けたのは4月1日からであり(国民は多くの人がすでにマスクを付け始めてたのに、何故、そんなに遅かったのだろうかなどと考えてしまう)、4月7日に東京・大阪など7都道府県に初めての「緊急事態宣言」を発令した。
その後、僕は(多くの人がそうだったように)コロナに関する膨大な情報に翻弄されながら、自分の直感を重ね合せて、辛うじて思考を整理しつつ、自分の進むべき方法を模索した。
そしてコロナ禍が始まってから3年の間に僕の中で徐々に結論めいたものが浮かぶようになり、やがてそれは確信へと変わっていく(もちろん何らかの根拠があった訳ではないし、あちこちから流れていた「陰謀論」を信じていた訳でもない)。
そう。国はすべてにおいて他国(=大国)に対して常にその顔色を伺いながら、自分たち自身や国内のさまざまな関連団体に対して常にお金の絡みや何らかの損得を考えた忖度で動き、マスコミを使って個人が感じているであろう違和感や疑問符を払拭し、あくまでも「命令」という形を回避しながら(日本人の真面目さや同調圧力を利用して)自分たちの考えを正当化させてきたんじゃないだろうか、と。
一方、マスコミはマスコミで。一部の(現場ではない)偉いお医者さんや大学の教授を出演させ(そういった人たちはTVの出演料や協力金で稼ぎながら現場の人には何も還元せず)、国民を怖がらせることに徹底し、コロナを長引かせようとする国の忖度に加担し、何ら根拠がない発言を繰り返してきた。
結局。コロナは国やマスコミへの不信感を募らせ、いろんな意味において人と人を分断させ、コロナで潤った人と、そうでない人を生み出しただけじゃないのかと、僕はそう思っている。
ほとんどが国民の税金で賄われていた、あの莫大なコロナ対策費はいったいどこへ?
細かいことを挙げればキリがないことは分かっている。中には正しい政治判断もあったのかも知れない。だけど。政府もマスコミもこの3年間をちゃんと振り返る必要があるのではないだろうか。コロナ全体を総括し、ひとつひとつの対策について検証を行い、反省を踏まえた上で一度、襟をきちんと正すべきだ。
あれから3年が経過したけれど。世界でも国内でもさまざまな新しい「出来事」が起こり、古い「出来事」は上書きされている。やがてはコロナも何かに上書きされ、人々の記憶から忘れ去られていくのだろう。
今、僕が想うことは。単にコロナのことだけじゃなく、これからの日本のことを思いながら、憂いながら。国や国を動かしている人たちは、世界の顔色を伺って忖度するだけでなく(関係性を築くことは、もちろん必要だ)、そして決して自分たちの利益のことを優先させるのでもなく(日本全体の利益になるなら、それでいい)、また選挙に当選することだけを目標とするのでもなく(当選するまでは国民やその選挙区の人たちに頭を下げるくせに当選した途端に偉くなるのはどういう訳だ)、ひとつの政党が勝利することでもなく、もっと高い理想をもって国自体のことを、国民のことを広く深く考えた政治を行って欲しいということ。(無理かも知れないけど)ただそれだけだ。
「Bar Adieu Romantique」店主より
そろそろ「Bar Adieu Romantique」のオープンの時間だ。
「Bar Adieu Romantique」がキュレーションするプチ美術館は今回はお休み。
Our life together is so precious together
We have grown – we have grown
Although our love is still special
Let’s take our chance and fly away somewhere alone
僕らは成長した、大人になったよ
僕らの愛は特別なものだけど
冒険しよう、僕らだけでどこかへ飛び立とう
ジョン・レノンとオノ・ヨーコが結成したプラスティック・オノ・バンド【John & Yoko / Plastic Ono Band】の1972年のアナログ2枚組アルバム『Sometime In New York City』から『平和を我等に』【Give Peace A Chance】を。PVのヨーコさん、魅力的だなぁ。
みんなが喋っているのは
バギズム シャギズム
ドラッギズム マディズム
ラギズム タギズム
何とか主義 かんとか主義
イズム イズム 主義のことばっかり
だけど僕らが言ってるのは一つだけ
平和に機会をってね
僕らが言ってるのは単純なことさ
平和にもチャンスをってことなんだ
(中略)
さぁ僕に言わせてよ
彼らが話すことは
レボリューション(革命)
エボリューション(進化)
マスターベーション(自慰)
フラジェレーション(鞭打ち)
レギュレーション(規則)
インテグレーション(統合)
メディテーション(瞑想)
ユナイテッド・ネーションズ(国連)
コングラチュレーションズ(祝辞)
だけど僕らが言ってるのは一つだけ
平和に機会を ってね
All We Are Saying Is Give Peace A Chance
All We Are Saying Is Give Peace A Chance
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...
Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって...
想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...
トム・ロビンソン・バンド【Tom Robinson】の、1977年リリースされたデビュー・シングル『2-4-6-8 Motorway』と、1978年のデビュー・アルバム『Power In The Darkness』から、マイノリティにも権利があると歌われるタイトル曲を。
1976年リリースのラモーンズ【Ramones】のデビュー・アルバム『ラモーンズの激情』から、そのオープニングを飾った『Blitzkrieg Bob』を。歌詞がどうのこうのと言うより、この荒削りな疾走感こそがパンクだった。
Get Up, Stand Up !
Stand Up For Your Right !
Get Up, Stand Up !
Don't Give Up The Fight !
東京都都知事 小池百合子様
突然のお手紙、失礼します。私は音楽家の坂本龍一です。神宮外苑の再開発について私の考えをお伝えしたく筆をとりました。どうかご一読ください。率直に言って、目の前の経済的利益のために先人が100年をかけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々を犠牲にすべきではありません。これらの樹々はどんな人にも恩恵をもたらしますが、開発によって恩恵を得るのは一握りの富裕層にしか過ぎません。この樹々は一度失ったら二度と取り戻すことができない自然です。
私が住むニューヨークでは、2007年、当時のブルームバーグ市長が市内に100万本の木を植えるというプロジェクトをスタートさせました。環境面や心の健康への配慮、社会正義、そして何より未来のためであるとの目標をかかげてのこと、慧眼です。NY市に追随するように、ボストンやLAなどのアメリカの大都市や中規模都市でも植林キャンペーンが進んでいます。
いま世界はSDGsを推進していますが、神宮外苑の開発はとても持続可能なものとは言えません。持続可能であらんとするなら、これらの樹々を私たちが未来の子供達へと手渡せるよう、現在進められている神宮外苑地区再開発計画を中断し、計画を見直すべきです。
東京を「都市と自然の聖地」と位置づけ、そのゴールに向け政治主導をすることこそ、世界の称賛を得るのではないでしょうか。そして、神宮外苑を未来永劫守るためにも、むしろこの機会に神宮外苑を日本の名勝として指定していただくことを謹んでお願いしたく存じます。 あなたのリーダーシップに期待します。
じゃぁ、また。
アデュー・ロマンティーク