僕の架空音楽バー『Bar Adieu Romantique』へ、ようこそ。
『Bar Adieu Romantique』ではお越しいただいた方に毎回、ご挨拶代わりに僕の独り言【Monologue】を書いたFree Paperをお渡ししている。
Romantique Monologue No.019
『さよなら、坂本龍一』
坂本龍一の訃報を知った後、暫くの期間、そのことについて何も書くことができなかった。
僕が勝手にイメージする坂本龍一とは。
知的で聡明でアカデミック。強い意思を持ちながら、いつも軽やかに行動する反面、とてもセンシティヴな一面も。時折見せるはにかむような笑顔がとてもチャーミングだった。芸術にも造詣が深く、けれど決して芸術や自分の殻に埋没することはなかった。時代の先端を捉える鋭いアンテナと嗅覚を持ち、優れたミュージシャンやアーティストたちと親交を深めながら、そういった人たちとのコラボレーションを通じて互いに高め合ってきた。自身の才能が成せる業か。ポピュラー・ミュージックの世界で。常に自分自身を面白がり、自分自身を客観視しながらも時に熱く、POPとアヴァンギャルドを繋いできた、思考する音楽家(故に苦悩する音楽家でもあった)坂本龍一に哀悼の意を深く込めて。
『sayonara』
さよなら さよなら
聞こえない フリしてる
I'd say goodbye
You say goodbye
同じこと 考えてるね
さよなら さよなら
いつかきっと 聞く言葉
I'd say good bye
You say good bye
言って すぐに
消えてゆく言葉
空の青さが しみこんできて
ひとみで字を書いた
もう 会うはずないから
青空 さよなら
空見あげ 流すさよなら
赤い夕日が 闇になる前
からだの半分を
そめぬいて しまいたい
夕やけ さよなら
しゃがみこんで 流す さよなら
I'd say good bye
さよなら
世界中に...
おくる さよなら
さよなら
さよなら
さよなら
さよなら
※1991年にリリースされた坂本龍一のオリジナル・アルバム『Hertbeat』に収録された曲『sayonara』(詞は鈴木慶一)をそのまま引用させてもらっている。
ある程度、病状は知っていたので、いつかその日が来ると思っていた。苦しかっただろうし、辛かったんだろうなと思う。(置かれた立場がまったく違い過ぎるので、重ねて話すことに躊躇はあるけれど)僕自身も父親を癌で亡くしているので、徐々に衰弱していく、その様子を克明に覚えている。だから余計にさまざまな想いが巡る。
(これは僕の主観であり、僕の感情に過ぎないことを前置きして)最近、音楽に関係する人だけでも、いろんな人が亡くなっていて、その都度、亡くなった人について、その音楽について(それぞれの死に対して大なり小なり個人的な思い入れがあるにしても)、僕のブログでその死を追悼することに「何ほどの意味があるのか」と思うようになり、僕の記事でたまたまそういった人たちの音楽をセレクトする時には、その死について多少触れることがあるにしても、よほどのことじゃない限り、もうそういうのは止めようと思っていた、その矢先に…。
僕にとっての坂本龍一は、「教授」という名の通り、音楽家として最高レベルの学歴社会を体現した音楽家であり、そのことが僕自身に何らかの影響として働いたのかは分からないものの、坂本龍一という人は、或いは坂本龍一の音楽は、(正直に言うと)実はYMOの三人の中では僕自身と一番、遠いところにあったような気がする。氏が近づき難い存在だったから?近づいても、近づいても距離が縮まらないような、或いは思考や感覚があまりにも違い過ぎて、近づこうにも近づけなかったから?それとも万華鏡のような広く多彩な活動に翻弄されといたからかな?いや、違うな。もっと感覚的なものだと思う。うーん、やっぱり分からないや。
🎨アンディ・ウォーホルによる坂本龍一のポートレイトを。坂本龍一という人物の捉えきれない何かが描かれているような気もする。
もちろん。僕自身は昔から「難しい」とか「難解」などという基準で音楽を捉えてきたことはなかったし、氏の音楽や氏が関わった音楽についてもすべてではないにしろ、強い興味をもって聴いてきた。愛着のあるアルバムや曲もたくさんあるのに。
まぁ、分からないことのすべてを突き詰めて、無理やり答えを出すことが必ずしも正しいこととは思わないので。坂本龍一と僕との距離感のことは曖昧なまま脇に置いておこう。
個人的な話を続けるね。「僕はいかにして坂本龍一を知り、彼の音楽に興味を持ったのか」ということ。それは1979年の春頃の話。YMOのファースト・アルバムのリリースが1978年11月なので、YMOのデビュー後、暫くたった時期に当たる。その頃、僕はまだYMOの存在を知らなかったし、一般的にもまだ知られていなかったと思う。
少々、細かい話になるけど。ちょうどその頃、僕はレコード・ショップでバイトするようになり、好奇心に任せて、ほんとうにいろんな音楽を聴くようになっていた。例えばそのひとつが南佳孝のアルバム『South Of The Border』(1978年9月リリース)だった。アルバムに収録されていた曲のクォリティはどれもが高く、全体から溢れるムードがとても心地よかった。アルバムのクレジットによると(僕だけに限らずアナログレコード時代の人は、とにかくレコードの裏ジャケやライナーを隅々まで読んでいたはず)、アルバムのすべてのアレンジを担当しているのが坂本龍一という人物であることを知った。もちろん。南佳孝の艶かしいボーカルと、ソングライティングの素晴らしさに魅かれた後だったけど、クリアでキラキラした、そのサウンドはとても魅力的だった。そして後に(YMOを知ってからの話になるけど)このアルバムのエンディング曲『週末(おわり)のサンバ』には細野晴臣(b)、高橋ユキヒロ(ds)が参加していること、ピアノを弾いているのが坂本龍一であることを確認し、その流れや関係性が繋がっていく。
さらに。当時、サーフィンを始めたことがきっかけでフュージョンやAOR、そして今で言うCITY POPを聴き漁るようになっていた時期だったこともあって(そう。そういった音楽とサーファーのライフスタイルがぴったり合っているような気がしていた)。
先の南佳孝のアルバムに続いて山下達郎の六本木ピット・インでのLIVE盤『It's A Poppin' Time』(リリースは1978年5月)を聴いた。このアルバムもそうだけど、この時期の達郎のLIVEでは、坂本龍一がキーボードを担当していた。それから達郎のスタジオ・アルバム『Go Ahead !』(1978年12月リリース)も。このアルバムでは坂本龍一が名曲『潮騒』や『Paper Doll』でやっぱりクリアでキラキラした、とても印象的なキーボードを弾いている(後から知った話だけど、この頃の坂本龍一はクリード・テイラーが創設した音楽レーベル「CTI」のサウンドを気に入っていたらしい)。
それから。さらに同じ時期に聴いていたのが細野晴臣のソロ・アルバム『はらいそ』(リリースは1978年4月)だった。(これもYMOを知った後からの話になるのだけど)このアルバムこそは高橋ユキヒロと坂本龍一が全面的に参加し、そのクレジットが細野晴臣&イエロー・マジック・バンドだったように、間もなく立ち上がるYMOの構想を告げていたのであった。
そうして僕は、そういったアルバムを聴きながら坂本龍一という存在を身近に感じるようになり、1979年の夏頃にはYMOを知ることとなって、そのほぼ同時期に坂本龍一のソロ・アルバム『千のナイフ』(リリースは1978年10月)と坂本龍一&カクトウギセッションのアルバム『サマー・ナーヴス』(1979年6月リリース)や坂本龍一が関わった渡辺香津美(YMO初期のツアー・メンバーだった)の1979年のアルバム『KYLYN』や『KYLYN LIVE』を聴き、さらにそこからの数年間は、富樫雅彦+高橋悠治+豊住芳三郎+坂本龍一による1976年のアルバム『Twillight』や日本を代表する音楽家、土取利行とコレボレートした1976年のアルバム『Disappointment Hateruma』に遡ったりしながら、数珠つなぎ的に坂本龍一が関係しているものを(細野さんも高橋ユキヒロが関係しているものもすべて)聴きまくった。
僕は今何故、こんな昔話を書いているんだろうかと考える。こんな話をいくら細かく書いたところで坂本龍一の輝かしい経歴を説明することにはならないし、坂本龍一に哀悼の意を捧げることにもならないのに。
今の僕にはこんなことを書くことしかできない。だけど。それが僕にとっての、坂本龍一に対する関係性を表しているような気がするし、坂本龍一の死に対しての精一杯の気持ちを表しているような気がする(自分のことなのになぁ)。
いずれにしても。世界に通用する数少ない日本の音楽家のひとりを失ってしまったことは紛れもない事実であり、あの「はにかむ」ようなチャーミングな笑顔を見ることができないし、これから先、坂本龍一の新しい音楽をもう聴くことができないと思うと、残念でならない。
「Bar Adieu Romantique」店主より
そろそろ「Bar Adieu Romantique」のオープンの時間だ。
「Bar Adieu Romantique」がキュレーションする今回のプチ美術展は(多分)坂本龍一にも大きな影響を与えたであろうアートのこと。『坂本龍一を知るための。シュプレマティスムの、〇△□の世界』。
1910~20年代にかけて。カジミール・マレーヴッチ【Kazimir Malevich】(1879~1935)によって提唱され、実践された、抽象表現を極端に推し進めた芸術表現「シュプレマティスム」【Suprematism】(絶対主義。或いは至高主義、構成主義とも)。感情や情緒、ドラマトゥルギーは一切排除され、そこには記号のような形状と、形状に囲われた閉じた色彩と、微動だにしない絶対的な構成があるだけだ。
🎨まずは、「シュプレマティスム」の提唱者カジミール・マレーヴィッチの、抽象表現の完成形とも言える作品を。因みに「シュプレマティスム」のアーティストたちの多くはピカソやジョルジュ・ブラックの「キュビスム」【Cubisme】や、トマソ・フィリッポ・マリネッティが提唱したフトゥリスモ【Futurismo】の影響下から始まっている。
🎨次に同じく「シュプレマティスム」を代表するアーティスト、エル・リシツキー【El Lissitzky】(1890~1941)の作品を。
今回の「Bar Adieu Romantique」では、坂本龍一の音楽や氏が関係した音楽をできる限り幅広くセレクトし、その音楽を聴きながら自分の気持ちを整理しつつ、氏への想い出の中に耽りたいと思う。
最初はこの曲から。
YMOの、1982年にリリースされたオリジナル・アルバム、後に『テクノデリック』に変更される『いわゆるテクノデリック』から『体操』。Liveでは坂本龍一がハンドマイクを持ち、いわゆる「痙攣の体操」を引率した。