2021・幻の東京オリンピックに向けて
前回、コロナ禍についての不満をひと通り吐き出させてもらった。だけど、それからすぐに、既に出されていた「緊急事態宣言」が6月20日まで延長する方向で検討するという発表があり、最後に宣言を出した沖縄の解除予定に全国が合わせる形になっていると聞いて、また腹が立って仕方がなくなってきた。(そして昨日、正式に延長が発表された)
もともと僕は、コロナ対策は日本という国で対応していくべき問題であると思っていて、都道府県の間に「関所」が設けられている訳ではないので、移動はどこまでも自由だから、感染が広がることなんて初めから分かっているのにも関わらず、まるで成績みたいに都道府県を競い合わせるような方法で、感染者数の発表をしてきていることに(そもそもマスコミの報道の仕方に大きな問題があるのだ)疑問を持っていた。基本的な指針や施策は国が明確な説明付きで発表し、それを受ける形で各自治体が具体的な運営を行う。それでいいはずなのに。
要するに。国は責任の所在を曖昧にしておいて、各自治体(まったく何の責任もないという訳ではないけど)や、時に国民にまでその責任を押し付け、国は責任を回避する、というようなことをやっている訳だ。少し前に「(国民に)気の緩みがある」と言っていたけど、もしも、ほんとうに「気の緩み」があるのなら、その「気の緩み」の原因が、国の方針と施策、方法の過ち(当初から気づいていたけど、あらゆる情報は国が統括し、発表してくるべきだったのだ)。さらには情報の出し方と、説明のなさ、国民に理解を求める言葉のなさ。そして国民に行動を規制している最中に自分たちが遊び歩いていたことが、今でも決定的に尾を引いていることにあると、何故、分からないのだろうか。
最終的には。すべての責任は国が負うのだ。国にはそれだけの権限が与えられているのだから、当然だろう。
感染者の数だけに右往左往して(政府のいろんな人の発言を聞いていると、国は未だにコロナに対して実はあまり大したことだとは思っていないような気さえする)、一定地域だけを対象にしてバラバラに「まん延防止等重点措置」や「緊急事態宣言」を出しておきながら、終わる時だけ「みんないっしょに」という、まったく一貫性のない、ほとんど頭を使わないアホさ加減に声も出ない。恐らくは6/20に「緊急事態宣言」を解除して、日本全体として感染者が減ったことを世界にアピールし、その頃にはワクチン接種も少しは進んでいるだろうという、例によって根拠のない楽観的な結果を想定しながら(7月に老齢者の接種を終わらせるよう、国は各自治体にプレッシャーをかけてきている)、解除後、間際に迫るオリンピックの、「安全」で「安心」な開催にスムーズに繋げようとしているんだと思う。だいたい「緊急事態宣言」の施行と解除はいつも「専門家会議に図って慎重に」と言ってるくせにオリンピックに関しては、「関係者と協力し合って」としか言わない。
ほんとうに。自分たちのことしか考えない「醜く、汚れたご都合主義」だと思う。もうぎりぎりのところで踏ん張っている国民に対して、実に簡単に、「はい。緊急事態宣言はあと1ヶ月、伸ばしまぁーす。飲食店には引き続き、協力金出しますから、それでいいでしょ」と言ってるようにしか受け取れない。日本に暮らしているのは飲食店の人だけじゃないし、その飲食店の人も協力金云々とは関係なく、苦しんでいる人がほとんどだし。他の業種の人にだって、そして子供たちにだって大きな負荷がかかっているというのに。国はそういう、ぎりぎりの状況にある人たちの1日1日がどれほど重要なのかをまるで分かっていない。もしかすると、たった1日、解除が遅くなることで死んでしまう人だっているかも知れないというのに。
もちろん。早期に解除すればすぐにリバウンドするかも知れない。そんなことは分かっている。だけど、その解除をオリンピックの開催と結びつけてるだけの施策によって、「1日でも早く解除してほしい」という願いをごく簡単に摘み取ってほしくないし、何よりも、今、国民がぎりぎりの我慢をして耐えているのは、(コロナ禍において何らかの形で恩恵を受けている人や潤っている人を除いて)自分たちの「命」や「健康」を守りながら、元のような暮らしに(完全には戻らないとしても)一刻も早く戻りたいと「切望」しているからであり、それ以外の理由はない。
それなのに。そのような状況であるにも関わらず、政府は「今」以上に国民の「命」や「健康」を危険に晒し、元の暮らしがまた一歩、遠くなってしまいかねない、一過性のオリンピックを開催することだけしか頭にない。オリンピックが開催されれば、なんのかんの言っても結局、日本がたくさんメダルを取れば必然的に気運は盛り上がって、国は一体感を取り戻す。かくしてオリンピックは成功裡に終わり、次の選挙にもうまく繋っていくという「根拠のない楽観」を超えた、ただただ「能天気」な政府が描いたシナリオには、「お金」と「権力」にとり憑かれた「狂気」が宿っている。
「オリンピックは中止すべきだ」。そうはっきり言っておこう。オリンピックを目指すために努力してきたアスリートには申し訳ないけれど、今、ほとんどすべての人もまた何らかの形で懸命に努力しているのだから。
将来に語り継がれる『2021・幻の東京オリンピック』。
それでいいじゃないか。
前回、不満を書き、Free Soulの、輝くような眩しい音楽を聴けば少しはすっきりするはずだったのに、そうはいかなかった。結局は「緊急事態宣言」が延長され、オリンピックを開催することしか頭にない国や、その周辺に対する「怒り」をまた吐き出してしまうことになったけれど、それはそれで仕方がない。せっかくのブログなのだから。自分の感情に素直に従って書かなければ、ブログをやっている意味なんてない。
改めまして。
閉塞する、こんな時代には。
せめて輝くような眩しい音楽でも。
音楽を聴いたところで、根本的には何かが改善される訳じゃないけれど、つかの間でも、嫌なことを忘れさせてくれて、気持ちを前に向かせてくれる「音楽の力」って、素晴らしいとつくづく思う。そこは音楽に感謝だ。
それでは前回の続き。
輝くように眩しくて。カッコいいGrooveに自然と身体が揺れる音楽や、胸がキュンとするようなロマンチックな音楽も多い、所謂「Free Soul」な音楽を紹介していこう。