こんにちは。僕のブログ【アデュー・ロマンティーク】へ、ようこそ。
シリーズ記事『カップルズ』【Couples】は、さまざまな時代や国を背景にして「愛」を育んだ素敵なカップルたちにスポットを当てる。
その愛の形はさまざまであり、あるカップルは時代の大きな波に翻弄されたかも知れないし、二人だけで慎ましい愛を育んだかも知れないし、また第三者や第四者が深く関わり、とてもややこしい愛の形を築いたのかも知れない。最終的に。その「愛」が成就したのか、一時的にだけ燃え上がった「愛」であったのかどうか。そこは何ら問題ではない。
そして僕が選ぶカップルは、共にアーティスト同士であったり、共に何らかの才能をもち、お互いがお互いに影響を与え合ったカップルであったり、(男性の場合がほとんどだけど)愛した相手が傍にいるだけで自らのクリエイティヴの源泉となるようなカップルが存在していたり。他人の恋愛にそれほど興味がある訳じゃないけど、取り上げる人たちに魅力を感じ、その二人の関係性に僕自身の好奇心がくすぐられるカップル限定ということで。
このシリーズ記事は、まずカップルズ【Couples】という言葉がもつ語感が素敵だと思ったところから始まった。そして、その言葉はもともと僕の中の引き出しにあった、いくつかのイメージ・ソースから浮かび上がってきた。
🔴ピチカート・ファイヴのデビュー・アルバム『カップルズ』【A Single From Couples】。センスがキレっキレだな 。メイン・ボーカルは野宮真貴でははなく、結果的にこのアルバムが最初で最後になった佐々木麻美子。クセのないボーカルによって日本独自の恋の感覚がフワフワと歌われてゆく。アルバム全体的から感じられるトーンはまるでバート・バカラックやA&M(例えばカーペンターズとか、クロディーヌ・ロンジェとかクリス・モンテスとか。ソフティスケイトされた音楽を大量生産した音楽レーベル)の世界。小西康陽のロマンティシズムが柔らかく宿った、とてもロマンティックなアルバムである。
アルバムからの曲『みんな笑った』【They All Laughed】を。
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🎦台湾の映画監督エドワード・ヤンが96年に撮った『カップルズ』【Couples/麻將(Mahjong)】。台湾の少年とフランス娘の恋。台北の若者たちのリアルとロマンティークが(抜け切らないセンスと共に)スタイリッシュに描かれる。この感じ。好きなんだなぁ。
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🎦世界的な写真家ウィリアム・クラインが76年に撮った映画『モデル カップル』【Model Couple/ Le Couple Temoin】。その映像や「アニエスb.」の衣裳など、スタイリッシュな感覚に溢れていた。
この3つのイメージ・ソースが、僕の中で突然、浮かんだ「カップルズ」という言葉を膨らませたのだ。
『カップルズ』【Couples】第1弾。
スウィンギング・ロンドンで最も輝いていた、
最高にスタイリッシュなカップル、
デヴィッド・ベイリーとジーン・シュリンプトンのこと。
1960年代のロンドン。当時のアメリカと同じように、それまでの保守的な価値を覆すべく、チェルシー地区のキングスロード界隈を震源地に登場したいくつもの新しいユース・カルチャー。その流れは「スウィンギング・ロンドン」、或いは「スウィンギング・シックスティーン」と呼ばれるようになり、音楽ではビートルズが時代を牽引し、ローリング・ストーンズがそれに続いた。新しい空気を目一杯に呼吸したニュールック(この言葉の感じ、好きだな )を軽やかに着こなして、ストリートというランウェイをウォーキングした可愛い女の子たち。スタイリッシュで鮮やかな色彩に溢れたイメージがBlow Upする。
そうして。そういった時代の空気をリアルに、スタイリッシュに切り取った写真家たち、中でも最も輝いたデヴィッド・ベイリーは、テレンス・ドノヴァン、ブライアン・ダフィと共に「テリブル・スリー」【Terrible Three】、或いは(主にモノクロームの写真で表現するという意味で)「ブラック・トリニティ」【The Brack Trinity】と呼ばれ、スウィンギング・ロンドンのスターとなってゆく。
デヴィッド・ベイリー【David Bailey】。1938年、ロンドンの下町イーストエンド生まれ。 モダンジャズ好きで、一時はチェット・ベーカーに憧れてトランペット奏者を目指したこともあるらしい。 西海岸のジャズレーベル「パシフィックジャズ・レコード」のアルバムが好きで、そのカヴァーを写真撮影するような音楽マニアでもあった。もしかすると、若い頃からマイルス・デイヴィスら、数々のジャズ・ミュージシャンたちを撮り続け、「パシフィック・ジャズ・レコード」のカヴァーフォトも手掛けた写真家ウィリアム・クラクストンにどこかで憧れていたのかも知れない。
📷若く、才能が溢れていたベイリーのポートレイト。
今回の記事のBGMには、スウィンギング・ロンドンの雰囲気を感じさせる60年代のローリング・ストーンズの曲と、数多くの女性ボーカルを擁し、イギリスの「モータウン」と呼ばれたレーベル「パイ・レコード」【PYE Records】の音源などを散りばめてみた。
まず1曲目はストーンズの名曲『一人ぼっちの世界』【Get Off Of My Cloud】から。この感じ、このGrooveはまさにスウィンギング・ロンドンそのもの。
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そうして。デヴィッド・ベイリーは60年代初頭にプロの写真家としてデビュー。ファッション写真や有名人のポートレイトを撮り、次第に名前が売れ始めた頃、ひとりのファッション・モデルと出会うことになる。
彼女の名前はジーン・シュリンプトン【Jean Shrimpton】(1942~)。少し上向き加減の鼻が彼女の気の強さ、ワガママな性格を代弁する(知らんけど )。美しき女神。自由の象徴。ベイリーは彼女を愛し、彼女もまたその愛に応えた。
※ このジーン・シュリンプトンはベイリーじゃなく、ジョン・フレンチ【John French】によるもの。
もう1曲、ストーンズを。『Mather’s Little Helper』。
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写真家の恋をうまく表現する
80年代の広告コピーを思い出したので。
キミが好きだと言うかわりに、
僕はシャッターを押した。
当時のオリンパスの広告ポスターを。被写体は大場"コメットさん"久美子。
だけど。ベイリーはシュリンプトンにそんなことは言わなかったはずだ
。
🔴「PYE Records」の音源を含む、スウィンギング・ロンドンの時代のガールズ・ポップスを詰め込んだコンピレーション・アルバム『Here Come The Girls』から。アルバム・カヴァーが抜群にイカしてる。
The Breakawaysの『That’s How It Goes』。
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Antoinetteの『There He Goes』。
1960年代の初め頃から中頃まで。ふたりの愛は深まり、幸福な蜜月が続いた。写真を撮る側のベイリーが撮られる側に回ると表情が固く(にやけているようにも見えるしな)、不自然になっているのが面白い。
ジーン・シュリンプトンはかつてこう言った。
「彼が (ベイリーが) ジーン・シュリンプトンを作ったの。
私がモデルをやれているのは彼のおかげ」。
ベイリーにとってジーン・シュリンプトンは自らのクリエイションの源泉であり、彼にとってのミューズであった。
ベイリーは愛の眼差しをもってシュリンプトンを撮りまくり、数多くの傑作をものにする。写真家と被写体との理想的な愛の形なのだ。
後にファッション写真の巨匠リチャード・アヴェドンもシュリンプトンを数多く撮ることになるけど、デヴィッド・ベイリーが撮ったシュリンプトンは一様に肩の力が抜けていて、自然体で。
世界中の誰にも撮ることができないジーン・シュリンプトンがそこにいる。
📷️因みにアヴェドンが撮ったのは、こんな感じ。アイデアが優先されているけど、傑作だとは思う。65年に世界的ファッション雑誌「ハーパスバザー」用に撮影された。
モッド・ジャズっぽくてイカシテる、グラハム・ボンド・オーガニゼイションのアルバム『The Sound Of 65』から2曲続けて。『Hoochie Coochie』と『Neighbour Neighbour』。
1965年。ジーン・シュリンプトンはオーストラリアで、世界中のセレブリティが集まる伝統の競馬「メルボルン・カップ」の会場にストッキングを脱ぎ捨て、ミニスカートを履いたやって来た。そのファッションは自由の象徴として、大きな話題を呼んだ。
そう。世界でミニスカートを最初に履いた有名な女性がジーン・シュリンプトンであった事実。それは永遠に記憶されるべきだろう。そのニュースを見た「マリー・クワント」がすぐに反応して、ミニ・スカートを大々的に売り出すことになるのだから。
📷️ベイリーとドヌーヴの結婚式の写真。ドヌーヴのパンチラがほんと、かわいいというかキュートというか。
📷️違うかも知れないけど。ベイリーとドヌーヴ。そしてドヌーヴのお姉さんであり、女優のフランソワーズ・ドルレアックの3ショット。この写真のドヌーヴが可愛過ぎるのでUPした。
ベイリーがドヌーヴと結婚した時点で。ベイリーとシュリンプトンの恋は完全に終わってしまったのだ。そしてシュリンプトンもまた、巨匠ウィリアム・ワイラーが撮った『コレクター』という映画に主演し、一躍、トップスターに躍り出た俳優のテレンス・スタンプとの新しい恋に落ちていく。
ドヌーヴとのあまりイケテない結婚ではあったけれど、それでもベイリーはスウィンギング・ロンドンのカリスマであり続け、そのイケイケ感は止まることはなかった。
The Rolling Stonesの『(I Cant Get No) Satisfaction』を。
🎦イタリアの巨匠ミケランジェロ・アントニオーニが1967年に撮った『欲望』【Blow Up】は、ベイリーをモデルにした作品であった。主演はデヴィッド・ヘミングス、サラ・マイルズ。アルゼンチンの作家、フリオ・コルタサルの著作を下敷きにして、その舞台をスウィンギング・ロンドンに置き換えた作品。音楽はハービー・ハンコックだし、映画の中ではジェフ・ベックとジミー・ペイジの2人が在籍していた頃の、ヤードバーズの演奏シーンもあって、スウィンギング・ロンドンを代表する映画のひとつとして知られることになる。
📷当時、スーパーモデルだったヴェルーシュカとのシューティングが『欲望』のイメージに繋がった。
ベイリーはシュリンプトンだけではなく、もともと音楽好きなだけあってロックスターも数多く撮っている。
📷️ストーンズのイギリス・オリジナルのセカンド・アルバムのカヴァー用に撮られた。
📷️ミック・ジャガーはジーン・シュリンプトンの妹、クリッシー・シュリンプトンと付き合っていた。
The Beatlesのアルバム『Revolver』から『Got To Get You Into My Life』。
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📷️The Whoのポートレイト。
📷️ファクトリーのメンバー。左上から。60年代ニューヨークのアイコン、イーディ・セジウィック、チャック・ウェイン。左下からジェラード・マランガ、そしてアンディ・ウォーホル。
📷️とてもベイリーらしい写真。スウィンギング・ロンドンの魅力が濃密に溢れ出てきている。
The Beatlesの『Baby Your Rich Man』。
📷️ベイリーは当時のスーパー・モデルのペネロープ・トゥリーとも付き合っていた。どの時期にそうだったのか、誰かを好きになっている時に誰と重なっていたのか。僕には分からないけど、まぁ、そんなことはどうだっていい。
🎦シュリンプトンは67年に、マンフレッド・マンの元ボーカリスト、ポール・ジョーンズ主演のスウィンギング・ロンドンな映画『傷だらけのアイドル』【Privilege】に出演するけど、大した評価は得られなかった。
🎦日本公開時のポスター。ダサいけど味わいがあるよね。
🎦映画のシーンを。動くジーン・シュリンプトンが見れる。
🎦1973年、ジーン・シュリンプトンは巨匠リチャード・アヴェドンがアート・デレクションを担当した「Jun & Rope」のCMに出演する。その時の映像を。
デヴィッド・ベイリーとジーン・シュリンプトン。少なくとも60年代初頭から64年までは。スウィンギング・ロンドンを代表する、ほんとうに輝いていたカップルだったと思う。
最後の曲もそれらしく。ビートルズ『愛こそはすべて』【All You Need Is Love】で締め括ろう。
二人のその後の人生にはまったく興味が湧かないけど一応。
シュリンプトンは79年に写真家マイケル・コックスと結婚し、小さなホテルをいっしょに経営しながら慎ましやかに暮らしているという。
一方、ベイリーもまた86年にかなり歳が離れたモデルのキャサリン・ダイヤーと結婚し、80歳を越えてなお、仲睦まじくラブラブで暮らしているらしい。
因みに。2012年には、二人が初めて「Vogue」の仕事でNYに行った頃を舞台にしたテレビドラマ『We’ll Take Manhattan』がBBCにより制作・放映されている。ベイリーは実物よりカッコいいけどジーン・シュリンプトンは…うーん。ジーン・シュリンプトンみたいな女の子、いないよね(失礼!)。
『カップルズ』【Couples】。このシリーズはしばらく続けようと思っているけど。今までもシリーズ化してきた記事を何度も途中で放ったらかしにしてきているので、今回もまたどうなることやらと、まるで他人ごとみたいに思っている。できれば軽い感じでお付き合いしていただければと、思う。
それでは、また。アデュー・ロマンティーク
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