ロマンティークNo.0204  女性写真家たちの感受性が捉えた、『視線の先にあるもの』。 | 『アデュー・ロマンティーク』~恋とか、音楽とか、映画とか、アートとか、LIFEとか~

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僕が過去と現在、ロマンティークと感じた(これから感じることも)恋や音楽、映画、アートのいろいろなことを書いていきます。

こんにちは。僕のブログ【アデュー・ロマンティーク】へ、ようこそ。

 

前回、ジェンダー・アートとジェンダーフリー・アートのことを書いたのだが、僕の頭の中で整理することができず、とても混乱した記事になってしまった。にも関わらず、今回も女性たちのアート(今回は写真だけど)のことを書き、その作品を紹介しようと思っている。但し。ジェンダーという言葉は使わないで。
 
思考の迷路に陥った時の有効な解決法は、縺れた糸をゆっくりと解いていくように、一旦、その硬直した思考から離れて、シンプルに考え直すことぶー
 
だから今は。ただ紹介する作品を観てもらって、その作品を観た人の、女性アーティストたちに対する期待値が上がれば、それでいいと考えている。
 
そもそも写真とは、カメラという装置を使って行う表現なのだが(映画もそうなのだけれど、映画とは違って完成した作品に内包される情報量があまりにも違い過ぎるため、比較することはできない)、構図さえセンス良くキメれば素晴らしい写真が撮れるかと言えば、そんなことはまったくなく、リアルな被写体をリアルに撮ったとしても、リアルに見た、そのままが写っているわけでもなく、見えている以外の、たくさんのものが表出されることが、とても面白い表現だと思っている。何を被写体にして、どのような視線で撮るのか。つまり、撮られる側の被写体(それは人間であってもモノであっても、風景であっても同じだ)と、その被写体を撮る側の視線との距離がフィルムに焼き付けられ、その距離感が作品の個性として表出してくるのではないだろうか。
 
そういうことで。写真という表現は、男性は男性の視線で撮られ、女性は女性の視線で撮られ、それにより、それぞれの異なった距離感が生まれるために、男性と女性、それぞれの異なった特質として表現されやすいのでないかと思っている。
 
もちろんそれは男女の差異というよりも、根本的には個人個人、ひとりひとりのパーソナルな視線へと還るのだが。
 
さて。そんな女性アーティストたちの視線と被写体との距離感がオリジナリティという形で表出された、素晴らしい作品を観ていこう。
 
■ジェン・デイヴィス【Jen Davis】。1978年、アメリカのオハイオ生まれの女性写真家。肥満した自分を、自分自身が撮り続けたセルフ・ポートレイト集。誤解を恐れずに言えば、たまらなくSEXYな写真だと思う。
 
 
 
 
 
 
■僕のブログでは何度も紹介してきたロレッタ・ラックス【Loretta Lux】は、1969年、旧東ドイツのドレスデン生まれ。現在は活動の拠点をアイルランドに置いている。最初は画家を目指していたが1999年より写真家に転身。その作品はデジタル処理され、高画質のイルフォクロームという手法でプリントされている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
■ルオ・ヤン【Luo Yang:罗洋】。中国の若き女性写真家。90年代に日本で一世を風靡したHiromixなどの作品(所謂、ガーリーな写真)をイメージさせる部分もあるが、これが今の中国であり、中国の若者のリアルなのだ(と思う)。ルオ・ヤンの写真を観ていると、中国の写真は、これからますますおもしろくなるような気がするな。
 
 
 
 
 
 
 
そして、最後に。女性写真家の流れを変え、写真史に大きな足跡を残したダイアン・アーバスの作品と、80年代のアメリカの都市の闇の中でうずくまるような若者の姿を写し撮ったナン・ゴールデンの作品を紹介しておく(この二人の女性写真家を紹介することも、この記事とっては、とても意味があることのように思えるのだ)。
 
■ダイアン・アーバス【Diane Arbus】(1923~1971)。もともとは雑誌「Vogue」などで活躍するファッション写真家であったが、フリークスに強い興味を持ち始め、そういった人たちを被写体にして写真を撮り始めるようになる。その作風は強烈なアジテーションがある訳でもなく、イマージュが爆発する、というものではなかった。日常の中に当たり前のように存在する影のような被写体を捉え、静かに提示された作品群。しかしそれが大きな衝撃をもって迎えられたのである。そして彼女は数々の静かな衝撃を撮り続けた後、48歳の時に自らの命を絶っている。
 
 
 
 
■ナン・ゴールデン【Nan Goldin】。1953年、ワシントンDC生まれ。12歳の頃に姉が自殺し、そのショックから抜けられないまま、70年代末頃より、ゲイやドラッグ・クィーンの友人たちを撮り始めるようになる。まるでジム・ジャームッシュの映画のシーンのような作品が並ぶ。
 
 
 
 
それにしても。今ほど写真というものが身近になった時代はない。カメラという装置はデジタル化され、フィルムを必要としなくなり、誰もがいつでもどこでも簡単に、あるクオリティをもった写真が撮れるようになったし、後から編集することも簡単だし、その写真を発表できる機会も画期的なほどに拡大している。(個人情報などの問題は別として)そのことを悪いと思う必要などまったくないだろう。それが違うと言うならアナログのカメラで撮り、現像室に籠ればいいだけの話だ。
 
カメラという装置を通して。それがデジタルであっても、デジタルでなくても、行き着くところは作品でしかない。そして、写真を撮る側と被写体との距離感が重要であるならば、写真を観る側と作品との距離感もまた重要だと思う訳で、これからも僕は、僕の視線で作品をしっかりと捉え、僕自身とその作品との間にある距離感で、僕独自のオリジナリティをもって写真を評価していきたいと思っている。
 

それでは、また。アデュー・ロマンティークニコ

 

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