日本人てすごい 25 火を文化にする日本人 | texas-no-kumagusuのブログ

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トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

各民族にはそれ固有の個性がある。その個性を文化と言うんですね。そして、その個性は一朝にしてできるものではない。長い個性的な歴史に培われた世界観の蓄積の表現として文化が出来上がる。そうです、文化とはその民族が持っている世界観のことです。ですから、文化って、今様の解釈で単純に良し悪しの判断をできるものではない。一見人倫に反する慣習でも、それがその民族の文化となるには大変高度な知的営みと経験の蓄積の結果としてそのような文化が出来上がってきた。多分この考え方が、民俗学の最も基本的な立ち位置なのではないでしょうか。

その例に、火に関して日本人にだけにあった独特の文化があります。私の知る限り、火を文化として見せたのは日本人だけだったと思います。もしどなたか、火に関する独特な文化を持った民族があるなら教えてください。

それは、「穢れた火」という考え方です。火は水を沸かし、野菜を煮、肉を焼いて、滅菌してくれる。ヨーロッパのペストの大流行の時も、死体や家を焼くことで除菌してくれた。だから、どんな民族でも火が穢れを落としてくれることは知っていた。ところが、日本には独特の文化があり、穢れた家の者の火を使って料理するとその家も穢れるという考え方があったのです。

昔は火を起こすことは大変面倒だったので、主婦の役割の中でも最上級に重要な役割は火の番、すなわち竃や囲炉裏の火種を絶やさないことでした。

そのために嫁は灰の中に上手に火種を残す方法を学んでいなくてはならなかった。新しい嫁が来てすぐに、火種が無くなってしまうことがある。それに気づいて夜中に火打石で火を起こそうものなら、噂話の好きな村中の女スズメどものゴシップ話の餌食になりかねない。そこで、若い娘同士は万が一火種が消えたしまったら、こっそりと火種をもらってくる約束などをしていた。

ところが、その約束を取り交わせるのは同格の家と決まっていた。間違っても河原者の使った火を貰ってはならない。そんなことをしたら、その火が家を穢してしまうと信じていたからです。

日本人以外の民族では火は穢れを取り除くものと考えられていたので、そんな、どこにでもある考え方をわざわざ文化というわけにはいきません。日本人だけが火に関して独特の考え方、すなわち文化を手に入れたのでした。

火を文化に仕立てて見せた。文化とは非常に高度な人間の営みです。良し悪しは別にして、そのような高度な世界観を作り上げた日本人てすごいと思いませんか。