哲学者に女性が少ないわけ | texas-no-kumagusuのブログ

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トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

以前ネットの「教えて!goo」の哲学欄で『女性の哲学者が少ないのはなぜ? 』の質問が立ち、それに私の回答を載せました。それに少々手を加えたものをここに書き残しておきます。

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哲学は言葉を使って世界を分析しようとします。ところがアメリカのドラマを見ても判りますが、アメリカ人は日本人よりも何倍も言葉を使って互いの意思伝達をしていますが、それでも、そのおしゃべりなアメリカ人でも意思伝達の全体の80%は、ボディーラングエッジで行っていると言う観測結果が得られているそうです。よく考えればそんなこと当たり前で、人類が複雑な言葉を使って意思伝達をするようになってから高々数十万年ぐらいなものですが、それ以前の数百万年ないし数億年の間、人間を含めた生物は言葉無しで意思伝達をして来ました。また、その伝達が効率よかった証拠に人間を含めた多くの生物は今まで生き残れたのです。

別の言い方をすると、言葉で捉えることが出来る世界は我々人類にとっても全体のほんの一部、それも大変に狭い領域だけだと言うことです。人間の他の知的営みでは、例えば画家は言葉を使わずに色や形で世界を認識していますし、音楽家は音の音色や高低やリズム、それにそれらの調和で直接世界を認識しています。そんな高尚なことを例に出すまでもなく、上でも述べたように、我々は日々、人の顔色を見たり身のこなしや声の出し方で自分の与えられた状況を判断したり、相手の世界観を認識しています。

ところが、哲学に興味を持っている方はたまたま偶然にその道具が言語を使った論理だけと言うことで、その偶然から、世界認識の他の側面があることを忘れてしまったのか、あるいは見えなくなってしまったのか、世界認識の巨大な部分が欠落してしまった方が結構多く見かけるようだと言う独断と偏見を私は持っています。

さて、いよいよ男か女かの問題に入ります。我々は誰でも小さい時には母親に抱かれ、あるいはまとわりつき、体のぬくもりを味わいながら育って来ましたね。 このぬくもりは情報交換や意思伝達に大変重要な役割を演じていたはずです。一生の間で、この情報交換の形態は女性は男性に比べて遥かに長い期間行っておりますね。子供のうちばかりではなく、成人してからも、女性は妊娠して体の中の世界を触覚で感じることができる。出産後も、幼児を抱き包んで、そのぬくもりを感じながら世界を見ている。ですから、世界を見る時に、女性は男性よりも遥かにバランスの取れた多くの道具を使いながら見ることが出来ているようです。まっ、女性は五感の全てを使って世界を認識していますが、哲学好きな男性は視覚だの嗅覚を使わずに限られた感覚だけで世界がああだこうだと言っているようなものです。

そのようにバランスの取れた方法で世界を認識できる者から見ると、言葉に妙に重きをおいて、偏った形でしか世界を見ることしかできず、世界の巨大な部分を見落としている連中に、たとえ意識的ではなくても、直感的に組できない感覚を持ってしまうのかもしれません。

男性にはなかなか見えずに、女性には見える世界のほんの一例ですが、

  やわ肌の熱き血潮にふれもせで 悲しからずや道を説く君

は、哲学好きの男どもには見落としがちな巨大な世界の存在を上手に表現した歌だと思います。