あっぱれな小保方さん | texas-no-kumagusuのブログ

texas-no-kumagusuのブログ

トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

小保方さんいじめに関して一連の小保方さん擁護を武田邦彦さんがやっております。

そのなかで、二番煎じでなく本物のオリジナルな研究に対して、暗闇研究 http://takedanet.com/files/2014041011111111.mp3) という言葉使っておりました。今まで誰も考えたことがなかったり、あるいは皆が考えて来たことなのですが、答えが全く判らない研究です。ですから、自分のやっていることの正否が全く判らず、暗闇を手探りで前進しているような研究です。

それに対して、月明かり研究という言葉も武田さんが使っておりました。それは、誰かが既に、その方向に正しい答えがあると言う証拠は手に入れたのですが、まだ論理やデーターが不完全で、正しいとは判っていても、それを自由自在に使いこなせるほどの論理やデーターが十分に得られていないので、その論理やデーターを集めようと言う研究のことです。

武田さんに言わせると、暗闇研究の殆どは外国人がやっており、日本人の研究者の99%近くは月明かり研究をやっているとのことです。私もそれには同感です。

しかし、武田さんによると、暗闇研究をやっている者には恐怖感があるとも取れるようなことを仰っておりました。このことに関して、研究の初学者やあるいは研究生活をしたことがない一般の方に誤解を与えてしまうかもしれないと思いましたので、武田さんの意見に補足を加えておきます。

そのことに関して、アメリカの物理学者達が神と崇め奉る、リチャード・ファインマンという物理学者の述べた逸話を先ず紹介しましょう。この方は、すでにお亡くなりになっておりますが、朝永振一郎と一緒にノーベル物理学賞を受賞した方です。その逸話とは、

「ある夜道ファインマンが街灯の下で何かを探している人を見かけた。彼に尋ねてみたら、

『落した鍵を探している』

とのことです。そこで、ファインマンも一緒にその辺りを探してあげました。ところが一向に鍵が見つからない。そこで、ファインマンは改めて

『どの辺りで鍵を落したと思うか』

とその見当を聞いてみました。彼は、街灯の光が届かない一角を示し、

『どうもあの辺りで落したような気がする』

と言いました。ファインマンは驚いて、

『だったら、何故その辺りを探さないのか』

と言いました。鍵の落し主曰く。

『だってあそこは何も見えないじゃないか』



ファインマンはその後に、研究者と呼ばれているほとんどの人が、街灯の下ばかり探している彼のように振る舞っているんですよと言っておりました。そんな者が研究者であるものか、とも言っておりました。

この逸話でも判るように、暗闇研究をやっている人には、暗闇研究こそが本当の研究であると判っており、その人に恐怖感なんてないのです。恐怖を抱いているのは、暗闇研究をやっている者でなく、月明かり研究をやっている二流の研究者たちなのです。この辺りを皆さんに誤解なく解って欲しいのです。

私は私の師であったイリヤ・プリゴジン教授に導かれ、物理学の大問題の一つである、「時間の向きの対称性の破れ」と言う問題を自分のライフワークとして来ました。この宇宙には、過去現在未来という一方方向にだけ進む時間の矢があるのに、何故その反対の向きがないのか、と言う問題です。この答えは物理学者の間で未だに共通認識が得られていない未解決な問題なのです。そんな研究を続けているあるとき、私は、アメリカ人を含めて何人かの先輩から、次のようなことを言われました。

「トミオ、この問題はご承知のように、多くの物理学者たちが挑戦して来たが、未だに解決が出来ていない有名な大問題だ。だから、間違ったことを言わないように慎重にやらなければいけない。そんな大問題にもし間違ったことを言ってしまったら、貴方は大恥をかき、良からぬレッテルを張られてしまうのだ。だから、余りその問題に深入りしない方が良い。」

私は、表向きその忠告に感謝する旨を伝えましたが、心の中で、そんな忠告をしてくれた先輩を馬鹿に致しました。

「一寸待て。物理学者ってそんなに頭が悪くないぞ。もし、この問題が慎重に取り掛かりさえすれば解決できる問題だったら、そんなもの疾っくに解決されている。そんな頭の良い連中でも未だに解けないのは、慎重さの欠如では無く、大胆な発想が欠如しているからだ。この先輩は評判をビクビク怖れるあまり、その問題に対して何の解決の提案もしない。だから、この問題は未解決のままでいる。

ところが、私は大胆に提案をしている。そして、もし私の提案が間違っていたら、その結果、まだこの問題が未解決であると言うことに関して、その先輩と同じじゃないか。でも、私はそれに関し挑戦し、少なくとも私の提案した方法では解決できないことを明らかにしただけ、彼より肯定的な寄与があるではないか。」

と考えていたのです。

恐怖を抱いだくのは月明かり研究しか出来ない連中なのです。暗闇研究をしている人には恐怖心などありません。もし暗闇研究をしている人の提案が間違っていても、その問題に関して、その手はないと言うことを明らかにしたこと、さらに、だったら、どうすれば良いかの提案が出来るようになるからです。

だから、暗闇研究をしていた小保方さんには恐怖心などありません。本来の研究者としてあっぱれな方です。彼女は自分の研究テーマに恐怖心など持っていなかったから、その研究を続けて来たのです。それに今ケチを付けているのが、今まで月明かり研究ばかりしていた、二流の研究者たちなのです。


私が以前に書いたブログ『必ず論文が書ける方法』   も参考にして下さい。