小保方さんいじめの今後の動き | texas-no-kumagusuのブログ

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トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

今回の小保方さんいじめの構図が何となく見えて来ました。その結果、今後の動きも見えるようになって来ました。

文科省官僚の天下り組が、官僚時代に覚えた行動様式をそのまま使って、この場を逃れようとしているのがこの構図のようです。
理化学研究所の技術系・事務系の常勤職員の中には国家公務員試験(Ⅰ種)合格者も何人かおります。官僚の常套手段なのですが、今後の展開をどうするかは、何時ものように彼らがもうすでに決めているのです。彼らには事実はどうでも良いことです。自分たちの既得権益を守る、それが至上命令なのです。

彼らは、始めから自分たちの利益のために小保方さんを利用しようと決めた。そして、都合が悪くなったら彼女独りを切れば良い。彼らはそう決めたようです。だから、後はその既定方針通りにお膳立てを組めば良い。

原発推進の時の官僚のやり方と同じです。原発に関しては、彼らは自分たちでどうするか先ず決めてしまうのです。しかし、それを黙って実行するのでは、不祥事が生じた場合、後で自分たちに責任を取らされてしまうので、それは拙い。そこで、諮問委員会なるものを作って、そこにお伺いを立てるという手続きを取ることにする。

しかし、その諮問委員会で、官僚たちが決めたことと反対の意見が通ってしまうわけには行かない。そこで、官僚たちは、自分たちの方針に賛成意見を日頃から言っている学者たちを、諮問委員として選ぶことにする。しかし、露骨にそれを行うと世間が五月蝿いので、そのやり方に反対している学者も少数派として選んでおく。そして、その少数派に反対意見を十分に述べさせておいて、最後に多数決で自分たちの方針を通してしまう。だから、委員会を開くまでもなく、官僚たちの選んだ諮問委員会の人選の段階で、その結果は既に決まっている。諮問委員会は単なる儀式なのです。

また、福島原発大惨事の時を思いだして下さい。官僚たちは、今後の原発をどうするかを決めてしまっていたのです。しかし、国民達の意見を聞く会を開いて、その意見を聞いたと言う事実だけは作っておく。これも、単なる儀式です。彼らは、国民達の意見と諮問委員会の両方の意見を聞き、それを鑑みて結論を下したと言う形で、始めから決めたことを結論として出してくるのです。

今回も、小保方さんに全ての責任をなすり付けて、理研幹部たちの既得権益を守ることがすでに決まっている。でも、形式的には理研の連中による調査委員会なるものを作って、さもその委員会が判断したように見せかける。

私には、今回の小保方さんの論文に不祥事があったとは思いませんが、それでも理研が絡んだ不祥事なるものについて理研内部の人間が審査するなど、茶番あるいは猿芝居もいいところです。しかし、官僚や元官僚たちに取って、それが猿芝居であるかどうかなんてどうでも良い。ちゃんと調査委員会を開いたと言う既成事実を作ることが大事なのです。そして、その委員会に、天下り官僚たちのすでに決めた通りの報告をさせる。だから、調査委員会は単なる
儀式なのです。福島原発大惨事の時と全く同じパターンです。

ですから、もう結論は決まっている。小保方さんの異議申し立ては形式上受理しても、理研内部でその内容を検討した結果、再審議は行わないという発表が近いうちに出てくると思います。

もしそのようなことにならなかったら、まだ理研内部には良心のある者が発言力をもっていることになり、捨てたものではないのですが、この腐り切った官僚や
元官僚や理研幹部たちの厚顔無恥に対抗できる者がいるとはとても思えません。

私のこの悪い予感が当たらないと良いのですが。