ロック? それとも バッハ? | texas-no-kumagusuのブログ

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トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

音が聞こえてくる絵って凄いですよね。外国の女流画家でカーロなんて結構名が知れてるけど、日本のお栄さんと比べてどうなのかしら。でもお栄さんはこれだけ凄い絵を描いているのに、お父さんの北斎の陰に隠れてしまって世界的にはあまり知られていないかも知れませんね。画面をクリックして、その迫力を堪能して下さい。

 

texas-no-kumagusuのブログ-葛飾鷹為三重奏
 

 

本朝浮世絵名家詳伝明治32年関根黙庵著より

 葛飾應爲(おうい):應爲は北斎の三女にして
通称を阿栄(おえい)と呼びたるものなり。
栄女初め橋本町の油渡世、庄兵衛の男吉之助へ嫁せしが
障る事ありて離別となりぬ。
そのゆえは栄女が良人たる吉之助は
幼年の頃より、画を深く好みしが
長じて堤等琳を師となし、等明と号して
一心に業を修めたり。
栄女も父北斎の骨法を得て、女絵をよく描き
また芥子人形を作るに巧なりしかば
これらの事に余念なく
更に家政を顧みず
かつ針のわざ縫物などは手にさえとらぬ程なれば
かたかた舅の心にかなわず。
ついに不熟となりて、家に戻りたり。
後、再縁をすすむる者ありといへども
かたくこばみてしたがわず。専ら父が業を助け
美人を描くにいたりては
父にも優りたりとの高評ありき。
栄女はその性質に似て、洗うがごとき赤貧を事ともせずかの俠任の風ありて、麁衣疎食を恥じず。
好みて三食の下物は、みな露店より調へ来れり。
ゆえに竹皮(食物を包めるもの)座右に填高きも
あえて清掃する事なし。
傍ら占考観相をよくし
晩年にいたり仏門に帰依して、爾経に怠らず。
常に茯苓を服して、女仙とならんことを望めりとぞ。
栄女は没年詳ならずといへども
安政二、三年の頃、加州侯寡婦の老衰をあわれみ
扶持せられしが、ついに加州金沢において
病にかかり没せしようにききね。