この世界ってどう出来ているの?2 西洋篇 | texas-no-kumagusuのブログ

texas-no-kumagusuのブログ

トミオ・ペトロスキー(Tomio Petrosky、日本名:山越富夫)のブログです。

前回はインド人の考えた世界の見方の一つを紹介しましたが、今回は西洋人の見た世界を紹介します。これは、もう亡くなられたヴィクター・ゼベヘリー先生(V. Szebehely)という、天体力学、その中でも3体問題と言う特に有名な問題への寄与で知られた先生から聞いた話です。ニュートンが彼の法則を発見して、この世界の運動は数学で言う微分方程式で表されることを提案しました。微分方程式と言うとチンプンカンプンでそれだけでアレルギー反応を起こしてしまう人がいるかも知れませんが、言っていることは簡単です。それは、今の状態が解るとその直後と直前の状態が解ると言っているだけです。だから、直後の状態が解ると、その直後の直後が解る。それを繰り返すと、未来永劫全ての状態が解ると言っているのです。だから、今が解れば全未来と全過去が解ると言うことです。


別の言い方をすると、ニュートンの法則は、この世の中は今の状態が決まっていれば全て決定されていて、何か新しいことが創造されることはあり得ない、と言っているのです。これを決定論的な世界観とも言います。要するに過去・現在・未来と言う区別は単に便宜的なだけで、それは今の時点で同時に在るのだ、だから無時間の世界に生きているのだと言っていることになります。


だから、ニュートンの法則は西洋の一神教的な世界の神様から見た世界を表している。我々人間が未来を予測できないのは、単にその運動方程式を解くにあたっての情報不足が原因で、神様から見ればその運動方程式を解くなど簡単なことで、全てがお見通しと言うことを主張しているのがニュートンの法則です。この立場はアインシュタインによっても強く主張されています。


ニュートンの法則が提示されたとき、西洋の多くの人々はその決定論的な性格にすぐに気付きました。その当時の著名な哲学者であったライプニッツは、ニュートンの法則が成り立っていることが、神の存在の証拠であると主張したのです。ところがそれに反対したのがニュートンだったとゼベヘリー先生が教えてくれました。このことに関して、はじめのうちはライプニッツとニュートンの間で、そしてライプニッツが亡くなった後でもその弟子たちとニュートンの間で、果たしてこの世界は決定論的に出来ているのか、そうでないのかという論争の手紙のやり取りが続いたとのことでした。


ニュートンは、彼の決定論的な法則に反対して、天体の軌道は時間が経つと段々と彼の法則で計算される軌道から予測不可能な方向にずれてしまう筈だ。だから、この世の中は決定論的には出来ていない。ときどきエージェントが出てきて、その軌道を修正しなくてはこの宇宙の秩序を保つことができないと主張したそうです。要するに、ニュートンはニュートニアンではなかったそうです。


この問題は未だに西洋科学では決着が着いていない問題です。多くの西洋の物理学者はニュートンの法則やその後の発展形態である量子力学の微分方程式の決定論的な側面に着目して、ライプニッツの立場を取っています。(脚注) しかし、そんなことは無いだろう、この世界には確率論的な性格が本質的であると頑強に主張している物理学者も少数ながら西洋の中にいます。


西洋科学万能の現在、貴方はライプニッツの主張とニュートンの主張のどちらが正しそうだと思いますか?


(脚注)量子力学の基本方程式であるシュレディンガー方程式は初期条件が決まると後の時刻の振舞いが一意に決まってしまうので、決定論的な微分方程式です。これは、ランジュバン方程式で代表されるようなブラウン運動などの確率過程を記述する非決定論的な確率論的方程式あるいはストカスティック方程式とは全く違った方程式です。確率過程では初期条件が同じでも結果が一意に定まらないからです。しかし、量子力学ではシュレディンガー方程式の従う波動関数の物理的意味として確率振幅を表しているというコペンハーゲン派の解釈が大勢として容認されているために、数学で言う非決定論的な確率過程とシュレディンガー方程式で記述される決定論的な現象をごちゃ混ぜにして、確率過程の根拠は量子力学にあり、と誤解している人が多く見られます。確率過程を決定論的な物理学の基本方程式からどう導き出すかは現在でも多くの物理学者を引きつける物理学の大問題の一つです。