出陣の催促を免れる☆ | げむおた街道をゆく

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石田治部少輔三成が、逆心の棟梁として廻文をまわし、
在大坂の大名小名とともに、慶長五年七月晦日に伏見城を攻め落とし、
鳥居元忠らを討ち取って濃州へと出陣した。

かねてから伊東祐兵にも出陣するように催促があったが、
祐兵は重病であり催促にも従わなかった。

島津中務少輔(豊久)は、大坂から出陣する時に、祐兵の居所へ立ち寄り、
さあいっしょに出陣しましょうと申し入れたが、

郎党たちは大病にて病臥していると答えたが、

「直にあってお話したい。」

と言われたので奥へ通された。

祐兵の病状を見て疑いも晴れると、泪を流して、

「ともに出陣しようと思っていたのにこんな容体とは・・・。

十分に養生してください。
命があればまた会いに来ます。」

と言って出て行かれた。

もし家康公に通じていることが露見すれば、

大事だったであろうが、強運の程こそ頼もしけれ。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 伊東氏中興の祖、伊東祐兵

 

 

 

ごきげんよう!