慶長元年12月下旬、伊東祐兵は、朝鮮の安骨浦陣中より、
黒田如水に相談の事があって、家臣の借家原甚右衛門尉満鎮を豊前に派遣した。
如水は、甚右衛門を近くに召して、
「さてさて、良い所に参った。
私の方からも使いを出して、伊東殿に申したいことがあったのだ。
実はな、太閤が近頃殊の外衰えられた。
その上、日本中で様々な怪異が多く起こっている。
遠からぬ内に、世の中はまた騒がしくなるであろう。
民部殿(祐兵)は小身であるから、国元について甚だ心もとなく思うだろう。
天下の事が未だ起きない内に、片時も早く島津家と談じて、縁故を取り結ぶか、
又は麾下に入る事を申し入れるべきだろう。
その上で互いに神文を取り交わすべきだ。
この旨を早々に帰って伝えるように。」
甚右衛門は急ぎ豊前を立って明けて慶長2年正月中旬、安骨浦に帰り、
黒田如水の口上の趣を申し上げると、
伊東祐兵はこの助言を喜び、早速加徳島にあった島津の陣中に赴き、
兵庫頭(義弘)と会談して、
以後、堅く唇歯の好みを結び、互いに違背有るべからずと、神文を取り交わした。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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