秀吉公は、豊前厳石城(岩石城)を始めとして大隈城以下を攻略し、大隈の城に陣をとった。
秋月の侍どもが、姑所城(古処山城、秋月氏本拠)からながめると、
嘉麻一帯の寺部は山川残らず兵であふれ、
夜になると篝火が万も焚かれ、灯会のようであった。
夜が明け、大隈城を見ると一夜のうちに腰板がうたれ、白土が塗られていた。
これは播磨の杉原紙を壁に貼り、家屋の戸板をはずして腰板になされたのであった。
秋月勢は、
「さてこそ天魔の仕業であろうか。」
と仰天した。
秋月種実親子も、江利内蔵介の忠言を今更ながら思い出し、降参した。
そして内蔵介を厚く葬り「鳴渡の観音」とあがめたのが、今でも残っている。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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