秀吉公の九州征伐の時、秋月家から聘使と偽って、
江利内蔵介というものを差し遣わした。
江利は広島で秀吉公にお目見えした。
帰ったのちに、主君である秋月種実に、申すことには、
「このたび秀吉殿下の軍勢は何十万騎と限りなく、
四国中国はことごとく先手となっております。
九州の諸将からも聘使が集まっておりましたので、
かくなる上は島津殿に御降参を勧めるべきでしょう。」
すると種実・種長親子を始め、みな異口同音にどっと笑い、
「汝は臆病か、またはよい脇差をもらったゆえに降伏をすすめるのか。
その猿冠者は下賤の者であり何ほどのことがある。
当家は漢の高祖の子孫で武勇で名高い。
ことに八町坂の大切所は難所であり、
日本・唐土の軍勢がひとつになって攻めてきても、
何ほどのことがあろうか。」
とおのおの口々に申した。
内蔵助は重ねて、
「不肖の身で広言いたしますが、このままでは当家の運が傾きます。
もう一度同じことを申します。」
と言ったが、
「憎き雑言をまだ言うか。腹を切れ。」
と言われたため、切腹して果てた。
こうして秋月種実は八幡宮に詣でて、くじを引いたが「秀吉に従え」と出た。
すると板並左京進が進み出て、
「くじは三度引いてこそ吉凶が定まると申します。」
とかねて用意した、
「一吉」「二吉」とすべて吉の字を書いたくじを取り出し、種実に引かせた。
こうして二つとも「島津に味方せよ」というくじであったため、
秋月は薩摩方となることにした。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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