関ヶ原の役の岐阜城攻めの際、
田中吉政は郷戸川を渡ろうとする時、中間の中に水練を良くする者がおり、
これに瀬踏みをさせた。
このとき川は大雨の後、増水しており浅瀬が解らず、田中家を始め、諸勢渡りかねていた。
かの中間は川に飛び入ると、或いは浮かび或いは沈んで、その水深は甚だ深いと見えた。
ところが彼が帰ってこう報告した。
「浅く候。」
これを聞いた吉政は尋ねた。
「汝が渡った様子では、深い様子であったのに、今帰ってきて浅いとは、どういうことか。」
かの者これに答えた。
「浅いという様子を見れば、他の部隊の備から、先を争って渡り始めるでしょう。
ですのでわざと深いかのように泳いだのです。」
こうして田中吉政の部隊は浅い場所を渡って先登の功を立てた。
かの中間はこの功により、郷戸三郎左衛門と号し、
武士の列に入れられ、後に細川家に使えて病死した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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