10歳にて陣立て☆ | げむおた街道をゆく

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関ヶ原の時、田中筑後守(吉政)の家臣で、田辺甚兵衛という者の子、

父は早世して甚兵衛の名を継いだが、10歳にて陣立てした。

 

彼の家臣たちが敵を突き落とし、甚兵衛を馬より抱き下ろして頸を取らせた。
幼少の子として比類なき儀であると、その頃、世間で大変に賞賛された。

後に、黒田長政が、田中吉政を訪れた時、四方山の物語の中で、

吉政がこの甚兵衛の事を語った。
長政はこれに大いに感じ入り、甚兵衛を呼び出し盃を与えた。

 

この時、

「甚兵衛を補佐した家来どもも呼び出して、様子を尋ねよう。」

という事になり、甚兵衛の家来たちも出頭した。

長政が当時の様子を具体的に尋ねると、彼らはこう証言した。
「馬より抱き下ろした時、刀を抜いてかかりましたが、わなわなと震えていました。
それを家来どもに恥ずかしめられ、震えながら立ち寄りて頸を討ったのです。」

これを聞いて長政は、再び大いに感じ入った。
「さてはますます勇士の機がある。

震えずにかかったなら、十方無き故(頭がからっぽだから)と言うべきであろう。

恥ずかしめられてかかったのは、義をつとめて致すという行為だ。」

そう評したという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 気さくな領主、田中吉政

 

 

 

ごきげんよう!