草履取り程度の器ではない☆ | げむおた街道をゆく

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農夫をやめて、宮部継潤に、草履取りとして仕官したが、すぐに継潤により、

「草履取り程度の器ではない。」

と認められ徒士となった。
 

そののち才能・武功により、家老として二千五百石が与えられた。
秀吉公が因幡の垣屋摂津守を攻めた時のこと。

すでに城の包囲は突破されたため摂津守は、覚悟を決めて自刃しようとした。
 

そこへ城中一番乗りした田中吉政は、摂津守に対して槍をついた。
摂津守も槍で応戦し、勝負がまだ決しないうちに秀吉公の使いが来て、
「このたび垣屋が城をもちこたえさせたのは見事である。
これまでの咎を許し、本領十二万石を安堵しよう。」

と言ってきた。
 

そのため吉政も摂津守も戦いをやめた。
摂津守は秀吉公に謁見し、吉政の功績を述べた。
秀吉公は大いに感じて吉政を召し出し、そののち三河刈屋城主として四万石を与えた。
田中吉政が十八の時に農夫を辞めて、四万石を領するまで、わずか六年ばかりであった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

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→ 気さくな領主、田中吉政

 

 

 

ごきげんよう!