田中吉政は、初め久兵衛という名で、近江の民衆の一人だった。
ある日、畑の畔で久兵衛が休んでいたところ、
ある侍が若党五、六人を引き連れ、槍を持たせているのを見かけた。
「侍でなければ、人ではないのだ。」
侍一行をまじまじと見て、そう言った久兵衛は、百姓を辞めることにした。
久兵衛は、宮部継潤の若党となったが、その頃は、わずか三石の身分であった。
はれて武士となった吉政に、伯母方の織った麻布一端が贈られてきた。
そこで紺屋に袴を染めさせると、巴の紋が付いていた。
これを縁にして、巴を定紋としたのだという。
吉政の働きぶりは礼儀正しく勤勉で、過悪もなかった。
豊臣秀吉が秀次を養子とし、師傅に相応しい人物を選んだが、
吉政よりも適任の者がいなかった。
よって吉政を秀次の傅とし、
近江八幡山城三万石を与えて兵部大輔に任じた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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