高名な勇者であり、関ヶ原の後、寺沢広高に仕えた池田市郎兵衛に、こんな話がある。
有るときの戦で大いに負け、市郎兵衛は殿として退いていた事があった。
その時、池田がふと見ると、田の畦にかねてから知っているものが座っていて、
市郎兵衛に気がつくと声をかけてきた。
「そこを通るのは池田殿か!
わしは深手を負ってもう退くことも出来ない。
どうか助けてくれ!」
これに市郎兵衛は、
「心得た。」
と、彼を自分の馬に乗せ、自らは徒歩となり馬の口を取って退いた。
が、そこに敵三人が追いすがってくる。
市郎兵衛は踏みとどまり、槍にて一人を突き殺し、
残り二人を追い払った。
するとその後追ってくるものはなく、無事、本陣まで帰り着いた。
この市郎兵衛に助けられた男は、後に黒田長政に仕え、この事を長政に話した。
長政はいたく感動し、ある時、寺沢広高の元に訪問した時、
この話をして池田市郎兵衛を呼び出してもらい、寺沢広高に向かって、
「この様に強い働きをしたものがあるとは! 寺澤殿、あなたはこの事を知っていましたか?」
そう問うと広高、
「いやいや、この池田は抜群の戦功であってすら、常に自ら語るということをしない者でして、
その話は全く承知していませんでした。黒田殿、よく語っていただいた!」
と、大いに喜んだ。
ところが市郎兵衛は喜ぶどころか、困惑した顔をして申し上げる。
「その話に関して私は、恥じ入るより他ありません。
実はあの時、『助けてくれ』と言ってくる声を聞いて、
これは難儀なことだと、先ず驚き、困り果てました。
何故なら敵はしきりに後から追いすがってきていました。
それに対して私に続こうという味方は一人もおりません。
『ここに捨て殺しにしても、どうせ知る人はいないのだ。』
私はそう考え、助けを求める声も聞こえぬ体でその場を通りすぎようとしました。
ですが、そこでふと気がついたのです。
『もしも私より後に残っている士があって、この男を助けるようなことがあったら、
見捨てたことが暴露され、武士として二度と男を立てることが出来なくなる。』
そう思い返し、どうしようもなく彼を助けたのです。」
長政はこれを聞くとますます感心し、
「この腹蔵なき心中こそ、百人の首を斬るよりも難しいことである。」
と賞賛した。
そうして御前を退き次の間に下がった池田市郎兵衛に、寺沢家中の者達は集まり聞いた。
「どうしてあのように、ありのままを答えたのか。
その時の貴殿の心中など、知る者が居るはずもないのに。」
これに市郎兵衛、
「私には若い頃から一つの嗜みがある。
それは仮初にも表裏の言行あるまじき、という念願である。
そうであるので私は、未だかつて口に嘘を言わず身に偽りを行わずに生きてきた。
今日、両将の御前において些かでも欺くようなことを申しては、
かねてからの念願の心に、恥じる事になってしまう。
だから、ああ言ったのだ。」
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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