熊沢勝右衛門正英は、寺沢志州が、いまだ身分の低かった時からの姉婿である。
生国は尾張の瀬部であるが、後に志州が唐津に招いて最も篤く接待した。
剃髪して徳容と号し、嫡子・三郎右衛門は、禄二千石を受けて長臣となる。
ある夜、盗人があり、そこだぞ、ここだぞと騒ぎになった。
宅地の隅には高木が屏の上に枝を垂れているところがあり、徳容は、
「盗人があらば、ここをたよりにして越えるだろう。」
と、日頃から見定めていたので、ただちにその屏の陰に走って盗人を待った。
思った通り、盗人は、その屏に登って逃げようとしたので、
徳容は簡単に盗人を斬り留めた。
志州は、これを聞いて、
「壮年の者がかえって七十有余の徳容に殺されたのは、
少しも(壮者の)つたなさからではない。
まさしく(徳容の)普段の心掛けに基づくのだ。」
と戒めた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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