普段の心掛け☆ | げむおた街道をゆく

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熊沢勝右衛門正英は、寺沢志州が、いまだ身分の低かった時からの姉婿である。

生国は尾張の瀬部であるが、後に志州が唐津に招いて最も篤く接待した。
剃髪して徳容と号し、嫡子・三郎右衛門は、禄二千石を受けて長臣となる。

ある夜、盗人があり、そこだぞ、ここだぞと騒ぎになった。

宅地の隅には高木が屏の上に枝を垂れているところがあり、徳容は、

「盗人があらば、ここをたよりにして越えるだろう。」
と、日頃から見定めていたので、ただちにその屏の陰に走って盗人を待った。

思った通り、盗人は、その屏に登って逃げようとしたので、

徳容は簡単に盗人を斬り留めた。

志州は、これを聞いて、

「壮年の者がかえって七十有余の徳容に殺されたのは、

少しも(壮者の)つたなさからではない。

まさしく(徳容の)普段の心掛けに基づくのだ。」

と戒めた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。

 

 

 

こちらもよろしく

→ 肥前国唐津藩藩主、寺沢広高

 

 

 

ごきげんよう!