ある時、成富兵庫茂安が、江戸に勤めていた時の事である。
将軍家の代がわりがあり、成富兵庫茂安は鍋島家を代表してお祝いの挨拶を行った。
ところが…。
鍋島淡路守茂宗は、はるばる佐賀から江戸へと上ってきて愕然とした。
それもそのはず、彼は将軍家代がわりに対する祝いの使者としてやってきたのに、
既に兵庫がお祝いを済ませてしまったのである。
茂宗は鍋島主水茂里の息子である。
茂里は亡くなるころに、一万石の加増を申しつけられたが、それを断っていた。
そのため、息子である茂宗に改めて加増を行おうということになり、
将軍家代がわりの祝いの使者として役目を果たした時、
約束の加増がつかわされることになっていたのであった。
折角の江戸上がりが無駄になった茂宗は、ショックによって身体を悪くし、
茂宗の母である天林はひどく嘆いて、かきくどいたので、
茂宗の叔父である安芸守茂賢は、
ある時、法事の席で兵庫を掴まえて、その事を責めたてたという。
兵庫は閉口して、この件についての詫びの証文を書き、
この証文は茂賢から天林へと渡されたという。
成富兵庫の、ちょっと間の悪かった話。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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