ある年、黒田家において、嘉例であると、
備後(栗山利安)の邸宅において謡初めがあった。
喜多七太夫なども出演し、小袖をつぼ折り、能も三番、囃子は番数あった。
筑前守(黒田長政)も仕手方を謡い、いかにも機嫌よく酒を飲み、
四ツ半頃(夜10時頃)座を立とうとした。
「夜長ですし、今少し咄などいたしませんか?」
そう備後が申したが、
「私がいては、若き者達が遠慮して酒を呑みかねているようだ。
私が帰った後、心やすく酒を呑むように。」
そういって座を立ち、敷居を越した時、但馬(母里友信)が大声で喚いた。
「今少し居てもらって、若き者たちを呼び出し酒を飲ませたかったなあ!
そうすれば座は必ず気ままに成っただろうから、
ぎりぎりに『やい!』とか言いたかったのに!」
その場の人々、これはどういう事かと興を醒ました。
筑前守より先に歩んでいた者も聞いたのだから、
聞こえなかったということは無かったのに、
聞こえぬ体で筑前守は帰られた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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