納屋小左衛門の決断☆ | げむおた街道をゆく

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関ヶ原の役が勃発した時、大坂の黒田長政の屋敷には、その母と妻が残されていた。

つけ置かれていた家老の母里友信と栗山利安は相談し、

母里が医者に行くと見せかけ、
その乗り物に密かに両人を乗せ屋敷の外の宿に潜ませた。

その夜、船に載せようとしたが、船までどうやって両人を遣わすか、方法がなく困り果てた。
最初は彼女らを俵に入れ、粮米に紛らわせて船に載せようと考え、二人を俵に入れたのだが、
暑気甚だしい頃であったので、

「息が切れる! このように苦しいのならいっそ刺し殺してほしい!」
と声高に泣かれ、母里も思案に苦しみ、

『このような事で大阪方に露見するのも口惜しい事だ。
二人共に害し、腹を切るべきか…。』

などとも考えたが、

『いやいや! 

出来るだけなんとかなるよう才覚せねば!

死ぬのは全て叶わなかった時だ!』

と思い直し、宿の亭主に相談することにした。

相談の結果、櫃の中に両人を入れ、夜に紛れて茶船に乗せ、そこから本船に移す。

仮に大坂方の警備に見咎められればその時のことだ、と決まり、

すぐさま出発の準備を始めた。
 

亭主も共に出発しようとするのを、母里が止めた。

「私は主のためであるから、捨てて惜しまぬ命である。

二人の女房衆にとってはいたわしい事だが、
侍の妻子として生まれた以上、これも生前の因果の道である。
しかし、其の方は町人である。

黒田家に対して殊に日頃の恩があるわけでもない。
我らと同じように相果ててしまっては気の毒千万である。

この宿の門まで出て見送ることも無用だ。

もし我々が見つかり、咎められても、決してこの宿のことは人に知らせない。

であれば、ここに難儀はかからないだろう。」

そう申し聞かせたが、宿の亭主は言った。


「日頃、黒田様のお屋敷に出入りし、久しく御恩を被っていた奴原が、

今回お頼みしても御宿を仕ろうとせず、他人のようなふりをしているとのこと。

畜生とも言い難い所業です。

私は近年御台所にも罷り出て、似合いの御用を仰せ付けられるように成りました。
尤も甲州様(長政)からお言葉をかけて頂いたことは未だ有りません。

ですが、私をお頼みにされた栗山様の一言が打ち捨て難く、

この事お受けし、一命を捧げたのです。

あなた様がどれほど止めようとも、本船までは、私はお供仕ります!」

そう言い切ると母里よりも先に外に出たため、母里も力及ばず、彼の同行を許した。

この亭主は納屋小左衛門といって、堺の納屋一党の者であった。

母は浅野殿の家来、丹羽大膳という人の娘だそうだ。

丹羽大膳と言う人は、その勇ましさ人に聞こえのある人物であった。

亭主の物を切ったような決断は、なかなか筆にも詞にも為し難い。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 名槍・日本号、母里友信

 

 

 

ごきげんよう!