或る記に、伊予国の人曰く、以前に他国よし来た軍談の旅客があった。
同国道後に於いて、浪速乱(大坂の陣)を談じた。
当地の村人たちはこぞってこれを聴いた。
彼等は、始めは信じて群参していたのだが、最後の方にかかると、
「これは虚談である。」
として、皆これを信じなかった。
これについて、かの旅客は、
「私は全く虚談を述べていない。
どういう理由で、そのように言うのか。」
と問うた所、村民はこのように言った。
「後藤又兵衛については、大坂落城後に当所の温泉に来て、傷を治療したのだ。
この事を所の別当が怪しみ問うた所、その切なる事に好感をもったのか、
又兵衛は実を以て答えた。
別当は聞いて、その功名を崇み、
かつ、又兵衛の活気に懐き、彼を労り親しんだ。
ところが所の者共これを伝え聞き、公聞を恐れ密かに党を結び、不意に後藤を襲った。
又兵衛基次はこれに立ち向かい、奮迅して数人を斬ると雖も、大勢が打ち囲み、
既に縄目の辱に合わんとするに及び、内に駆け入って自害した。
則ちその首を取り、東武(江戸)に献じた所、御沙汰の上仰せ出された事には、
『後藤又兵衛については、道明寺に於いて戦死している。
然るを再び後藤の首と言って捧げることは紛らわしい。
さりながら真偽を糺すには及ばず。』
との趣にて、その功空しくなった。
その後、郷民たちは後藤の霊を恐れ、八幡宮の傍らに新たに祠を立て、
九月十三日(八幡宮の例祭は八月十五日である)、五斗の樽祭といって、この小祠を祀る。
であるのだから、後藤又兵衛が道明寺表において討死と講ずる事は虚事である。
然ればその外の事についても、
きっと虚事を入れているのだろうから、故に信ずるに足らず。」
と答えた。
これに旅客は汗顔して口を噤んだという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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